四国本土と島の最西端の秘密〜愛媛・佐田岬半島の豊予要塞〜

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四国本土と島の最西端の秘密〜愛媛・佐田岬半島の豊予要塞〜

四国本土と島の最西端の秘密〜愛媛・佐田岬半島の豊予要塞〜

更新日:2018/08/11 10:10

春野 公比呂のプロフィール写真 春野 公比呂 歴史研究家、郷土文筆家、郷土登山家

四国本土の最西端は伊方町の日本一長い半島・佐田岬半島の突端、佐田岬。その最西端の島が、岬と防波堤で繋がった無人島・御籠島だ。半島の正野谷周辺と佐田岬には陸軍豊予要塞跡があり、更に岬と御籠島には洞窟式砲台跡がある。要塞の中にはUFOのような半地下施設もあり、御籠島の地下の砲台壕は2017年に整備され、レプリカ大砲も設置された。戦争遺跡を秘匿してきた風光明媚で雄大な景色を楽しんでいただきたい。

迷彩色が残る地下施設

迷彩色が残る地下施設

写真:春野 公比呂

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豊予要塞は四国西部と九州東部の間を通る豊後水道に敵艦隊が侵入してきたことを想定し、大正後期から昭和初期にかけて、佐田岬半島と大分県東部に築造された。

佐田岬半島ではまず佐田岬に大正15年(1926)11月、第一砲台施設が完成し、その完成と同時に半島の正野谷周辺に第二砲台施設が着工され、昭和2年(1927)10月に竣工した。第一砲台には15センチ・カノン砲4門、第二砲台には30センチ榴弾(りゅうだん)砲4門が配備された。

探訪はまず第二砲台施設から。正野漁港に到る小径の入口に旧正野谷桟橋の案内板が近年設置されたが、この桟橋は第二砲台施設の建設資材の陸揚げ時に使用された。小径の終点にあるのがその桟橋なのだが、見応えのある第二砲台跡へは、二軒目の民家の北側から正野谷を渡り、山際を北西に少し進むと左上に現れる。

現れるのは隧道の開くコンクリート壁だが、今日でも外壁に鮮やかな迷彩色が残っており、驚かされる。内部の壁面には横穴壕である地下砲側庫が掘られている。砲台関係の物資等の倉庫である。

迷彩色が残る地下施設

写真:春野 公比呂

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隧道を抜けた先に現れるのが砲座だが、どれも雨水が溜まり、池のようになっている。

迷彩色が残る地下施設

写真:春野 公比呂

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次に訪れるのは第二砲台施設中、最も見応えのある施設、第二砲台観測所跡。正野谷の一つ西の谷の県道三差路まで車か徒歩で向かい、そこを左折する。

道路終点から続く小径を辿り、二軒目の民家が右手に見えると、その民家の上方に直径数メートルのコンクリート造りの異様な円盤型施設が現れる。これが観測所跡で、敵艦までの距離と方角、艦の速力、進路等を計算し、さきほど訪れた砲台の砲兵に伝えていた。

形状が異なる第一砲台の観測所

形状が異なる第一砲台の観測所

写真:春野 公比呂

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観測所下の民家や周辺のみかん畑に地権者がいれば、内部に入る許可を取れば良いが、内部は所狭しとみかんラックが天井まで積まれている。それでもUFO型施設前で記念写真を撮るとある種の思い出にはなるだろう。

<豊予要塞第二砲台の基本情報>
所在地:愛媛県西宇和郡伊方町正野
駐車場所:休日なら旧正野桟橋案内板の先の路肩に駐車可
問合せ先:0894-54-1111(伊方町役場 三崎支所)
アクセス:松山自動車道(大洲道路区間)大洲南ICから車で1時間少々

形状が異なる第一砲台の観測所

写真:春野 公比呂

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次は県道まで引き返し、県道終点の佐田岬駐車場へと移動する。駐車場の手前、売店奥の休憩所がある所には近年まで、木造の砲弾磨き所があった。岬の遊歩道入口脇から下る階段の先にあった兵舎も台風で倒壊してしまった。

岬の遊歩道を進んで行くと、左手に小さな石段や小径が現れるのだが、これらを登った先には第一砲台施設群がある。ここでも見応えがあるのは、やはり最初の方に現れる観測所跡。入口の形状は第二砲台のものとは異なるが、全体の形状は第二砲台より一回り小さな円形。

形状が異なる第一砲台の観測所

写真:春野 公比呂

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階段を下りた先には測遠機の台座基礎と銃眼のような観測窓がある。如何にも秘匿されてきた施設、という雰囲気のある半地下施設だが、この測遠機により、正確な敵艦の位置を把握できた。

象の目にも砲台?

象の目にも砲台?

写真:春野 公比呂

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第一砲台の砲座も第二砲台より小さく浅い。複数の小径を上がった先の地面にはそれぞれ、四角いコンクリートの竪穴「砲弾揚げ降ろし穴」が開いている。これは地下の弾薬庫から砲弾を揚げ降ろししていた穴で、誤って転落しないよう、各穴の横には立石が立てられている。地下の弾薬庫が気になるところだが、その入口は封鎖されている模様。

象の目にも砲台?

写真:春野 公比呂

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一旦岬の遊歩道を雷状に下って行き、佐田岬灯台キャンプ場跡上の鞍部に到るが、キャンプ場の売店と管理人室はコンクリート横穴壕である発電室壕を利用したもの。井戸と水槽は今でも残っている。

そこから再び上りになり、椿山展望台分岐に到り、その展望台へ登る。展望台直下には小道が周回しているが、これは移動式探照灯の台車道跡。探照灯はサーチライトのことで、台車に載せて移動し、各方向の海や空を照らしていた。その台車道沿いにはコンクリート造りの探照灯格納壕がある。探照灯自体の直径は150cmほどだが、格納壕の高さは4m近くもある巨大なもの。

象の目にも砲台?

写真:春野 公比呂

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台車道から南西へ下り、本道に合流すると目の前には佐田岬灯台が聳えている。この灯台は豊予要塞築造前からあったため、何度も米軍機から機銃掃射を受けていたが、現在、その痕跡は見られない。

灯台の北西の崖下には昭和20年(1945)春、2門の洞窟式砲台が築造された。尾根を貫通する隧道を掘り、豊後水道側の開口部に12センチ榴弾砲を据えたのである。この砲台壕口の写真を撮るには、御籠島展望所からが一番。島は面積僅か5,300平方メートルほどの小島で、防波堤を歩いて1〜2分ほどで上陸できる。

展望所から望むと、二つの砲台壕口はまるで象の目のようで、その外側の岩盤は耳、その間の下の岩塊は鼻のように見える。

地下で二手に分かれる隧道の先には

地下で二手に分かれる隧道の先には

写真:春野 公比呂

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御籠島展望所から反対の島内側を見ると、灯台下の洞窟式砲台と同時期に築造された2門の砲台壕口が窺える。落差のある断崖絶壁だが、戦時中、少年兵が転落死している。

地下で二手に分かれる隧道の先には

写真:春野 公比呂

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御籠島展望所手前の分岐を北に登れば、洞窟式砲台壕の入口に着く。内部に入って少し進むと隧道は二つに分かれる。元々は双方の出口手前に榴弾砲を設置していたが、右側の壕口は展望所になっている。おどろおどろしい隧道を抜けると、そこには豊後水道の真っ青な海原が広がっているのである。

地下で二手に分かれる隧道の先には

写真:春野 公比呂

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左側の隧道の先には忠実に再現された原寸大の榴弾砲が設置されている。天井と壁面はコンクリートで固められており、補強の坑木はそのまま残されている。恰も戦時空間に迷い込んだようである。
帰路は椿山展望台下方の遊歩道を通れば、近道になる。

<佐田岬の基本情報>
所在地:愛媛県西宇和郡伊方町正野
駐車場::無料駐車場あり
問合せ先電話番号:0894-54-2225(佐田岬ツーリズム協会)
アクセス:大洲南ICから車で約1時間半

地下で体験する戦時の空気感の意味合い

佐田岬半島の全長は約50km。岬の県道256号に連結する国道197号は景色のいい観光道路で、「佐田岬メロディーライン」という愛称もある。それは道の駅瀬戸農業公園前等三ヶ所の路面が加工されており、車で走行するとメロディーが流れるから。

また、半島の尾根には四国屈指の規模を誇る風力発電所もあり、三ヶ所に展望所を備えた公園が整備されている。

半島の戦争関連地や戦争遺跡は他に、太平洋戦争最初の戦死者である「九軍神」関連の伊方町三机にある海軍三机特殊潜航艇基地跡や九軍神のミニ資料室(いわみや旅館)、伽藍山展望台(伊方町三崎、明神、松の境界)側にある伽藍山防空監視哨の聴音壕等がある。

今回ご紹介した御籠島の砲台壕は、佐田岬灯台点灯100周年記念事業の一環として整備されたものだが、自治体が純粋な観光施設として地下の戦争遺跡を整備するのは、四国では異例。地下壕の整備は費用がかさむため、自治体は敬遠しがちだが、伊方町の成功例を見ると、地下施設が故の魅力も感じられる。地下空間はそれだけで非日常体験になるが、その雰囲気が戦時の空気感を醸し出すことになるのだ。

半島から美しい豊後水道や瀬戸内海を望見しながら、平和の意味をぜひ見つめ直してみてほしい。

2018年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2008/06/01−2018/08/05 訪問

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