写真:雲本 らて
地図を見る「逢(おう)坂」は、JR・飯田橋や都営地下鉄・牛込神楽坂からなら徒歩数分で訪れることができる場所に立地しています。坂下の外堀通りから高低差約8mほどの牛込台地の崖と言ってもいい場所を一気に上る坂道のため、急坂で坂上からの景色も印象的です。
ただ現在は坂道沿いにビルが建っているため、かつてほどの景色の開け具合はみられません。しかし、隣接する石垣や緑の配置具合が気持ちよく歩くだけでも楽しい坂道であることは確かです。
写真:雲本 らて
地図を見る逢坂の坂名の由来は、奈良時代のロマンスが元になっています。当時、小野美佐吾という男が武蔵国(現在の東京)の国守となってこの地にきた時、「さねかづら」という美女と恋仲になったのですが、やがて都から帰還の命令がくだり男は再会むなしく亡くなってしまいます。ただその後、彼の魂が女の夢にでてきて、女をこの坂に呼び寄せたという幽玄な話が続きます。そして女がこの坂で待っていると男が昔と変わらない姿であらわれた――逢坂はそんな夢物語を今に伝えています。
写真:雲本 らて
地図を見るまた逢坂の坂下には、江戸時代より存在する「掘兼の井」とよばれる井戸があります。一時期、地下鉄の工事で枯渇するなどしましたが、その後、平成21年に再整備され、雰囲気は昔とずいぶん変わっていますが、当時とほぼ同じ位置に残っています。
またこの井戸には、幼い子どもを酷使して掘らせ続け、はてに過労死させてしまったという悲しい伝説も残っています。ちなみに掘兼の井とは、「掘りかねる」の意味からきていて、掘ってもなかなか水がでてこず、みんなが苦労して掘った井戸という意味があります。
写真:雲本 らて
地図を見る逢坂といえば、坂の途中にあるフランス語学校のアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)があることでも有名です。語学学校とともに季節ごとに様々なイベントも催されていますが、ここでは建物自体のほうでも知る人ぞ知る名作。設計はル・コルビュジエ門下の建築家、坂倉準三氏です。
また逢坂の坂下には、アンスティチュ・フランセ東京へと向かう小さな坂道も隣接しています。施設の石垣とのコラボが印象的な坂道です。ぜひ気にしてみてください。
写真:雲本 らて
地図を見るまた逢坂の坂上あたりには、最高裁判所長官公邸も隣接しています。1928年に旧馬場家牛込邸として建築家の吉田鉄郎の設計により建築されたもので、現在は重要文化財にも指定されています。ただ一般には非公開なので、中を見たい方は特別公開されるなどの機会を待ちましょう。
<逢(おう)坂の基本情報>
所在地:東京都新宿区市谷船河原町
アクセス:JR・飯田橋や都営地下鉄および牛込神楽坂より徒歩5分
写真:雲本 らて
地図を見る逢坂の坂上あたりから北へ200mほど歩くと「新坂」があります。住宅街にありながら高低差がわかりやすく、かつての切通の具合もわずかに残っています。しかもこの界隈の曲がりくねった路地の中では珍しく、直線的な坂道でもあります。
ちなみに、この新坂という坂名、たいていの場合は歴史的に新しい場所につけることが多いのですが、この坂に関しては江戸時代の中頃に武家屋敷の中に坂道を開いたことに由来しています。そういう意味でも珍しい坂道と言えるでしょう。
<新坂の基本情報>
所在地:東京都新宿区若宮町と袋町の間
アクセス:都営地下鉄・牛込神楽坂より徒歩4分
今回はJR・飯田橋や都営地下鉄・牛込神楽坂からほど近い新宿区にある逢坂と新坂について取り上げてみました。逢坂にいたっては都内の坂道でもめずらしい奈良時代からの伝説が残る坂道です。江戸時代の古地図にも記載はありますが、さねかづらがこの坂で待っていたという話が残ることからも、江戸時代以前の相当古い時代からこの坂道はあったのだと予想できます。
そういう意味でも幽玄な空間で、東京の中でも珍しい坂道といえるでしょう。ぜひとも印象的な景色とともに、これらの夢物語にも思いをはせながら歩いてみることをおすすめします。
2018年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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この記事を書いたナビゲーター
雲本 らて
ブログ「東京坂道さんぽ」にて、坂道の魅力を随時発信しながら、坂道探検家としてカメラ片手に全国の坂道の調査を続けています。坂道に加えて、大学時代は建築を学んだこともあり、建築物や街並み自体にも興味があり…
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