古のロマンに想いを馳せる…日本建国の地・橿原神宮(奈良)

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古のロマンに想いを馳せる…日本建国の地・橿原神宮(奈良)

古のロマンに想いを馳せる…日本建国の地・橿原神宮(奈良)

更新日:2014/04/15 19:10

橿原の地は、畝傍山(うねびやま)の麓に広がる街である。その畝傍山は耳成山(みみなしやま)と天香久山(あめのかぐやま)を合わせて大和三山と呼ばれ、奈良盆地を象徴するエリアで、猛烈に古代ロマンをかきたててくれる。
中でも畝傍山の麓に鎮座する橿原神宮は、かつて初代神武天皇が宮を造られ、歴史上最初に日本が建国された場所として伝わる聖地として重要な場所なのである。

天皇が治めた日本最初の都

天皇が治めた日本最初の都
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日本書紀によると、大和を平定された神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)は、畝傍山の東南の橿原の地を都と定め、三輪の大物主神の娘・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃とし、その翌年に畝傍橿原宮にて初代天皇として即位されたとある。
その伝承地に神宮を建てたいという民間有志による請願に感銘を受けられた明治天皇により、1890年(明治23年)に官幣大社として創建されたのが、橿原神宮の始まり。

平成26年は紀元2674年

平成26年は紀元2674年
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外拝殿にお参りに行くためにはこの南神門を抜けていく。脇には今年を表す看板…紀元というのは神武天皇がこの橿原の地で天皇に即位された年のことを指し、2674年前の2月11日に日本国が生まれたという意味。
今年は紀元2674年ということになるので是非、頭に入れておいていただきたいと思う。2月11日は「建国記念日」として現在でも国民の祝日に制定されているが、この理由をどれだけの人が知っているだろう。

拝殿より本殿に向けて遥拝

拝殿より本殿に向けて遥拝
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この本殿は、もともと1855年に建立された京都御所の賢所(かしこどころ)。神宮創建にあたり明治天皇より下賜され、それを移築した建物というだけあって、すごく立派。
玉砂利の参道と後ろの深緑が清浄な雰囲気を見事に演出している。朱や蒼などの仏教寺院のような色に塗られた神社に比べて、崇高な日本の美のようなものを感じる。

万葉の時代より、この地を映しつづける深田池

万葉の時代より、この地を映しつづける深田池
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古く万葉の時代に造られたと伝わる深田池は、橿原神宮に隣接する大きなため池。目の前に大和の地を大きく支えてくれる雄大で温かな葛城山、金剛山を臨みながら、四季折々の自然を楽しめる。鳥たちのさえずりを聞きながらベンチに腰かけてみると、まるでゆっくりと太古の昔に戻っていくようにさえ感じる。

このオーラはまさに神武天皇陵

このオーラはまさに神武天皇陵
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神武天皇陵もまた、橿原神宮に隣接している。これについて「古事記」では137歳で崩御され「御陵在畝火山之北方白檮尾上也」と書かれている。つまり"御陵は畝傍山の北の方の白檮(しらかし)の尾の上にあり"とされている。
歴代の天皇の陵墓を決めて整備する事業が行われたのは、今から360年ほど前の元禄時代のこと。実はその時に神武天皇陵に治定されたのは、畝傍山から東北へ約700m離れた場所で、現在は第二代・綏靖天皇陵に治定されている古墳だった。
しかしそこは、畝傍山から離れすぎていることから、神武陵は畝傍山の麓である現在の地に決まり、幕府が15000両ものお金を出して修復したという記録がある。
古代の天皇陵については様々な学説があり、その謎はおそらく永遠に解決しないことだろう。
だが実際に、この縦に三基ならんだ鳥居の前に立てば、紛れもなくなく神武天皇のお墓だと思えるオーラを感じる。

古代史ロマン溢れる橿原の地

周辺には多くの遺跡が残る明日香村をはじめ、持統天皇によって日本で初めて造られた条坊制の本格的な都市である藤原京、神社、寺院、古墳などがあるので、ぜひ足を伸ばしてみてはいかがだろうか。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2014/04/01 訪問

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