角館の桜は350年前「嫁入り道具の中に桜の苗木が3本入っていたのが始まり」とはご存じの方も多いかと思いますが、「小京都」と呼ばれる理由もそのことに機縁します。
江戸時代初期、角館を支配していた芦名家が3代で子孫断絶した為、佐竹氏の分家である佐竹北家の義燐(よしちか)が角館を所領することになります。義燐の実父は京の公家でしたが母が佐竹氏の娘であった為、途絶えていた佐竹北家を再興していました。そして義燐の息子、義明は京の公家の娘を嫁に迎え、この時の嫁入り道具の中に入っていたのが桜。そして公家の娘を嫁に迎えたことにより、角館には多くの京文化が入ることになりました。これが「みちのくの小京都」と呼ばれる所以となっているのです。
生まれ故郷の京を懐かしみ、角館で京に似た地形に「小倉山」や「賀茂川」と名付けていたという逸話の残る義燐。息子の嫁を京の公家からもらったこと、京文化を入れたことも京を懐かしく思っていたからなのかも知れません。
見頃:4月中旬〜5月上旬
桜まつり:あり(開花状況による)
ライトアップ:桜まつり期間中
武家屋敷通り日没〜22時30分 桧木内川堤 日没〜24時
アクセス
電車:JR田沢湖線、秋田新幹線、秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線 角館駅下車
車:秋田自動車道 大曲IC〜R105号経由約24km
角館には枝垂れ桜が400本もあります。その中の162本は国指定の天然記念物。
古木の枝垂れ桜が350年前の輿入れの時の桜を増やしたものなのか、そのことをきっかけに植えられた桜なのかは不明ですが、「梅津家」の桜(明治時代に焼失)を母樹としてそれぞれの武家の屋敷に植樹したと云われていて、藩政時代に植えられた枝垂れ桜は153本も残っています。
桧木内川の堤には2kmに渡りソメイヨシノが植えられていて、枝垂れ桜とはまるで異なる桜の趣を楽しむことができます。
日当たりや地形、もしくは品種の関係でしょうか、枝垂れ桜の方が開花時期が少し早いようですので、ソメイヨシノの満開の時に行くと、枝垂れ桜は散り始めています。
角館の街は元和6年(1620年、江戸時代)に、この地を治めていた芦名義勝により造られました。南北に長い街に「火除け」と呼ばれる土塁を設けその北側の武家居住区の「内町」と、南側の町人居住区の「外街(とまち)」がはっきりと区別され、今では火除けの土塁こそありませんが、そのままの街の区割りをとどめています。
その内町にあたる武家屋敷通りには、道の両側に築200年は経つ風情あるお屋敷が立ち並び、塀の内側から枝垂れ桜が道路へと枝を伸ばしていてます。武家屋敷通りで多い枝垂れ桜は「エドヒガン(変種)」。
300年近い古木もあり、枝垂れ桜が立ち並ぶ姿は華やかで壮観です。
武家屋敷の黒板塀に枝垂れ桜のピンクのコントラストは、この角館ならでは。
また3000坪の敷地を誇る「青柳家」や、角館最古の武家屋敷「石黒家」など内覧できるお屋敷(お屋敷により有料)、CAFE、樺(桜の皮)細工のお店、名物のきりたんぽが販売されていたりと、楽しみながら散策できます。
武家屋敷通り:角館駅〜徒歩約1km
この角館には武家屋敷通りがもう1つあります。
それが外町に当たる「田町武家屋敷」と呼ばれている所で、秋田藩主・佐竹氏本家直臣(じきしん)の家臣団が住んでいたところでもあります。
この一画にある「西宮家」では昔ながらの母屋と5つの蔵があり、それぞれギャラリー、販売、食事やcafeが楽しめるようになっています。
また味噌や醤油の醸造元である「安藤家」は明治中期に建てられたレンガ造りの建物で、桜が咲くと一層華やかに。ここでは立派な襖絵のある座敷を無料で公開しています。
田町武家屋敷通り:角館駅〜徒歩約0.5km
この桧木内川堤の桜のトンネルは昭和9年(1934年)、当時の皇太子様(今上天皇)のご生誕を記念してソメイヨシノが植えられたことが始まり。現在では2kmに渡る桜並木となり、武家屋敷通りと並ぶお花見スポットとなっています。
満開の時にはぎっしりと花をつけた枝が道を覆い、見事な桜のトンネルに。この桜のトンネルは一度は通ってみたいもの。また内川橋から堤を見れば、桜と桧木内川、赤い横町橋が素晴らしい景観となっています。
桧木内川堤:角館駅〜徒歩約1.2km
角館は決して大きな街ではありあませんが、日本の武家社会の面影を残した貴重な街。そして、春には「桜の街」と言っても過言ではないほど、桜で溢れています。
そんな他にはない街、桜花爛漫の角館を訪れてみてはいかがでしょうか。
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(2023/11/29更新)
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