写真:乾口 達司
地図を見る「倭文神社(しずりじんじゃ)」は、奈良市の南方、西九条町に鎮座する神社。祭神は武羽槌雄神・ 経津主神・ 誉田別命です。768年(神護景雲2)、武甕槌命が東国・鹿島の地より渡来し、春日大社の神さまとなった折、そのお供をした中臣時風・秀行が当地に居住し、祖神を勧請したことにちなみます。
写真は本殿。向拝付きの三間社流造で、春日大社の摂社・三十八所神社の旧本殿を移築したものと伝わります。ここからも倭文神社と春日大社とのつながりが認められますね。
写真:乾口 達司
地図を見る境内の北東の隅には「蛇塚社」と呼ばれる摂社が鎮座しています。今回、ご紹介する「蛇祭り」はこの蛇塚社と深いかかわりを持っています。
いまは昔、この地に大蛇が出没し、村人にたびたび危害を加えていました。そんなある日、理源大師がそれを憂いて大蛇を退治し、村に平穏をもたらしたのでした。蛇塚社は退治された大蛇を埋めたところとされ、事実、社の裏には大蛇を埋葬したとされる塚が残されています。
写真:乾口 達司
地図を見る「蛇祭り」がとりおこなわれるのは、毎年10月の「スポーツの日」(旧「体育の日」)の前日。午後、まずは山車が町内を巡行します。
写真:乾口 達司
地図を見る山車の一行が倭文神社に戻って来る頃、境内では、神主や役員の方々がお渡りの準備をはじめます。お渡りを前にして、一部の関係者はご覧のような御供を抱えて出発のときを待ちます。
写真:乾口 達司
地図を見る注目したいのは、この御供が人間を模したものであるということ。里芋の断面に描かれた「へのへのもへじ」は人間の頭部を表しており、御供が大蛇に差し出す生け贄(人身御供)であったことを連想させます。この珍しい御供が倭文神社の「蛇祭り」の特徴の一つでもあるといえるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る時間になると、いよいよお渡りがはじまります。そのなかにご覧のような一団が加わっていることに注意してください。一団が運んでいるのは藁で編んだ5メートルほどのもので、大蛇を模したものとされます。藁の大蛇は数名の男性に担がれ、そのうちの一人は大蛇にまたがり、掛け声をかけています。「蛇祭り」の主役というべき存在といえるのではないでしょうか。
写真:乾口 達司
地図を見る大蛇の前後に連なるのが、先ほど紹介した御供を抱える一行です。
写真:乾口 達司
地図を見る町内を巡行しながら、一行は各所にある摂社に参拝します。そして、神事がとりおこなわれた後、ふたたび倭文神社に戻って来ます。
写真:乾口 達司
地図を見る境内に戻って来た一行は、御供を本殿に丁重にお供えします。
写真:乾口 達司
地図を見る御供は、しばらくの間、安置されたままなので、間近でその独特の姿を観察するには絶好のタイミングです。この機会をお見逃しなく。
写真:乾口 達司
地図を見る一連の儀礼が終わると、拝殿前の広場で「子供相撲」がとりおこなわれます。「子供相撲」は幼児同士による取り組み、小学生同士による取り組み、そして、青年同士による取り組みと3種類から成ります。
写真は幼児同士の取り組みを撮影したものですが、自分たちでは取り組みが出来ない年齢の子どもたちゆえ、役員の方がそれぞれの幼児を抱えて取り組ませます。もちろん、子どもたちは大泣き。その様子がかえって参拝者の笑いを誘います。
写真:乾口 達司
地図を見るこちらは青年同士の取り組みですが、彼らは実際に取り組みはおこなわず、代わりに筵の上に置かれた扇の日の丸に向かって矢を投げつけます。彼らの所作は特別に「矢相撲」と呼ばれていますが、至近距離にもかかわらず、命中しないこともあり、それがまた笑いを誘います。
写真:乾口 達司
地図を見る子供相撲で盛り上がっている頃、境内の片隅では、お渡りで活躍した藁の大蛇に火がつけられます。大蛇が完全に燃焼すると「蛇祭り」は終わりです。
いかがでしたか?山車・御供・大蛇・子供相撲と見どころ満載の「蛇祭り」。どこかしらユーモラスで、どこかしら謎めいた倭文神社の「蛇祭り」を堪能してみてはいかがでしょうか。
2024年9月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/11/6更新)
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