「石穴稲荷神社」は、佐賀県にある「祐徳稲荷神社」と、福岡県の飯塚と筑紫野の市境にある「大根地神社」と共に、「九州三大稲荷」に数えられています。これらの神社に共通するのは、背後にある山を「稲荷山」「甘奈備山」などと呼びお祀りしていることです。
元々東アジアには古くから山を「大地母神」と結びつけて考える風習があり、また食物を調理し人々の生活を護る「火の神」の棲む土地とされてきました。そして、この世の現象の上昇と発展を望み、「火」と対をなして作用する「水」の要素を持つ瀧や池も、同じく「聖域」として大切にされました。
このように「山海」「男女」など対極にある陰陽の要素を、一心同体としてお祀りするのが日本古来からの風習であり、「山岳信仰」の由来でもあります。日頃から「中庸」つまり「和」の心を子孫にさとす、境内ではそんな先祖たちの温かい眼差しを感じずにはいられません。
「石穴稲荷神社」で印象的なのは、巨石群と石の階段、そして境内の緑と赤い鳥居のコントラストの美しさです。赤は生命の循環の象徴として、日本のみならず、世界中で少なくとも6万年以上前から「神聖な色」とされてきました。
赤い鳥居の右手には、かつて上流から川が流れていたと思われる、神奈備山と対になる谷の形状が見られ、上方を見上げれば、昔、瀧であったことが分かる高低差のあるぽっかりとした空間が現れます。本殿は30段ほど石の階段を登って、ちょうど瀧の上部にあたる高さの広場にあります。
「石穴稲荷神社」の由緒は、資料の消失などにより詳しいことが分かっていません。神社によれば「明治年間の由緒書きや信者の家々に伝わる伝承を総合すると、菅原道真公が大宰府に下られた際、道真公をお守りして一緒に京都から九州太宰府へ来られたお神様とする説が有力」とのことです。そうであれば「石穴稲荷神社」も「伏見稲荷大社」から分霊されたのかもしれません。
一方で「石」を信仰対象として祭祀した歴史は、古代から世界中にあります。日本にも「石神」「宿神」という言葉に代表される神、または精霊としての「ミシャグチ」や「岐(くなと)」「アラハバキ(アカララキ)」などの存在があります。
これらの神々は「常世(とこよ)」と「現世(うつしよ)」との結界という説や、大和民族と先住民族との住み分けの境界線などの説があり、「サヒ(鉄)の神」や「塞の神(境界の神)」と呼ばれ、のちに「幸の神」「道祖神」「猿田毘古神」「庚申」とも習合し、身近な神様として人々に親しまれてきました。
また「石穴」とは、縄文時代から昭和初期頃まで、森羅万象の生命エネルギーの循環を祈り、女性の象徴とも言われる「盃状穴」の掘られた磐座や石窟、陰陽道で言う繁栄の「気」が「龍脈」を通って満ちるところ、つまりパワースポットである「龍穴」にあたる場所を示します。
日本最古の神社の形態とも言われる、山を御神体とした出雲のカンナビ信仰や、奈良の「大神神社」、紀伊半島の熊野信仰、長野の「諏訪大社」などに共通する、原始の祈りの形態が見え隠れする境内は、訪れる人々の想像力をかき立ててやみません。
「石穴稲荷神社」御祭神の「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」は、ウケ・ウカの音が「穀物・食物」を意味することから、森羅万象の自然の作用のひとつとして、人々に五穀豊穣をもたらす「田の神」「穀物神」「農耕神」として敬われてきました。
一説には「雷」または「静電気」と関係し、「雷の多い年は豊作」と言われるように「窒素固定」を招く、豊作の神であるとも言われます。ほかにも「保食神」「大物忌神」「若宇加能売命」「大宜都比売」など、色々な名で呼ばれています。
特に「伊勢(度会)神道」では、伊勢神宮外宮に祀られる「豊受大神」と同神とし、さらに女神と共に一心同体の働きを受け持つ男神「国之常立尊」や、その大元神・根源神そのものである独神の「天之御中主神」とも同一とされます。
ここで大切なのは、「石穴稲荷神社」の御祭神は、五穀を護り民を育てる、すなわち常世から国家を守護し繁栄を支える、大変重要な働きをする神様であると言うことです。
「宇迦之御魂大神」の御神徳は、ひとえに無から有を生み出し、それを繁栄させる、私たちが生きるために必要不可欠はお働きにあります。現代ではこれが発展した形で、「五穀豊穣」「家内安全」「商売繁盛」「学業成就」「万病平癒」「芸道上達」「開運招福」「所願成就」など、広く「衣食住の守護神」として崇敬されるようになりました。
これらの御神徳を拝受するにあたっては、御本殿そばの社務所で「石穴稲荷神社」と「奥宮」の二種の御朱印を授与していただくことができます。もし社務所が閉まっている場合には、一ノ鳥居そばにある宮司邸宅を直接訪ねてください。丁寧にご対応下さいます。
「石穴稲荷神社」境内には四社の摂社があり、いずれも「稲荷大明神」をお祀りしています。「稲荷大明神」を構成する神々は、各神社によって多少変化がありますが、基本的に「宇迦之御魂大神」および別名の穀物神・食物神を主祭神としていることに変わりありません。
御本殿正面から見て、左側が病気平癒・厄除けの神とされている「清水稲荷神社」です。
御本殿正面から見て、右側が学問や道徳の神とされる「中山稲荷神社」、そして商業や家業にご利益のあるとされる「石高稲荷神社」です。
ここから石穴稲荷神社「奥宮」へと進みます。石の鳥居そばの「奥宮への参拝にはこちらの履物をお使い下さい。」の案内に従って、用意されている履物に履き替え、本殿右側の階段を登ります。
階段を登りきって再び朱の鳥居を進むと、正面に小さな石の祠が見えてきます。これが「子どものお神様」と言われる「桃若稲荷神社」です。不老長寿のシンボル「桃」の字が入った、いかにも生命を産み育む稲荷神らしい神社です。ここは「九州三大稲荷」のひとつ、「大根地神社」への遥拝所です。
いよいよ石穴稲荷神社「奥宮」へ。重なる磐座前には「是より下足おぬぎください。」の注意書きがあり、ここから先は特に「神聖な場所」であることが分かります。甘奈備山の静謐さを感じつつ、一歩一歩足元を確かめながら「奥宮」の旗の方へと向かいます。
磐座はすべりやすいうえ、履物をはいたままで立ち入ることはできません。ここからの遥拝でも良いので、天候によって十分注意のうえ、実際に先に進むかどうかについては、自己責任での御判断をお願いいたします。
磐座からふと上を見ると、そこには温暖な九州らしい、大らかに枝をのばしたクスノキが茂っています。「石穴稲荷神社」境内では、他にも大きく育った木々が目につきます。
旗本からゆっくりと階段を下りて注連縄をくぐれば、「奥宮」に到着です。湿気のある日はすべりやすいため、ここでも用心して石段を降りてください。
現在はこれ以上奥へ進むことはできませんが、ここでは昭和60年頃まで「お代人」を中心にした「巳(み)の通夜」と呼ばれる行が、信者と共に行われていました。
石穴稲荷神社「奥宮」周辺では、積み重なった自然石の花崗岩が神秘的な空間を作り出しています。翠に苔むし、蔦がからんだ岩の中には「船形石」のような石も見られ、石穴神社と人々の長い関わりの歴史が、なんとも温かく伝わってきます。
住所:福岡県太宰府市石坂2丁目13番1号
電話番号:092-922-3528
アクセス:西鉄太宰府駅から徒歩約15分
詳しい道筋については太宰府駅構内「太宰府市観光案内所」でお訪ねください。
各種ご祈祷・祈願などは予約制です。
2019年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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