写真:いなもと かおり
地図を見るみなさんがイメージする「城」といえば、天守や石垣があるお城ではないでしょうか? 佐倉城は、そのイメージとは違う土造りの城! 天守や石垣だけではなく、「土塁」と呼ばれる土を盛った防御壁や、水堀、そして水の張っていない堀の「空堀」が見どころです。
佐倉城の歴代城主には、幕府常任最高職の「老中」経験者が多く配置されたという、なんともVIPな城! 江戸の東を守るこの城には、8基もの巨大な櫓門を有した壮観な城だったそうです。1611年頃に徳川家臣・土井利勝によって改修され、現在みる近世城郭となりました。
写真:いなもと かおり
地図を見る城址公園内に立つ銅像の方は、1825年に佐倉藩の藩主になった堀田正睦です。教科書にも登場する「日米修好通商条約」を締結しようと奔走した人物で、日本を開国へと導きました。彼が亡くなった場所も佐倉城内の三の丸御殿だったそうで、この銅像も三の丸に位置しています。
写真:いなもと かおり
地図を見る佐倉城のシンボルは、復元された「角馬出(かくうまだし)」という遺構です。角馬出とは、城の出入口の外側に兵を溜める張り出し空間を設け、その周りを土塁や空堀で囲み、守りを強固にしたもの。この空間があることで攻め手の兵に反撃しやすく、さらには守り手の兵をバックアップできる優れものでした!
攻め手の兵の気持ちで進むと、突破できない難所であることがよくわかります。
写真:いなもと かおり
地図を見る攻め手の兵の気分で城内に入ったら、次は守り手の兵の気持ちになって城歩きを楽しみましょう! ここは角馬出の内側から外側を見た写真です。人の大きさと比べると、角馬出の規模がよくわかります。空堀の深さはなんと6m! 現在は安全のために深さ3m程に整備されています。
この空堀を挟み、敵同士の兵が対峙する姿がイメージできますね。戦がはじまる高揚感と恐怖が入り交じったような、未知な刺激を感じられる……命をかけた戦をする武士たちに思いを馳せてみてください。
写真:いなもと かおり
地図を見る佐倉城には、城にイメージするような石垣はありません。関東一帯は、関東ローム層という粘土質の土壌のため、ツルツルと滑りやすく守りに固い城だったのです。そのため石垣を築く必要がなく「土造りの城」が多くみられます。
なかでも、佐倉城は規模がスゴイ! 例えば、曲輪(城の区画)間に設けられた空堀は、 他の城に比べて深く、そして幅も広いです。
写真は、三の丸跡と東の惣曲輪跡を区切る空堀です。攻略しようと空堀に挑んでみても、巨大さに心が砕け散ってしまいそうになります。安全のため堀は多少埋められておりますが、当時の堀底はもっと深く、法面はさらに急斜面となり、今の見た目よりも登りにくかったことでしょう。
写真:いなもと かおり
地図を見る本丸跡と二の丸跡の間にある空堀も必見! それも機械のない時代に、全て手作業で行っているのです。その土木量に圧倒されてください。
写真:いなもと かおり
地図を見る二の丸跡には、佐倉城から出土した礎石が並べられています。
明治時代になると城は必要なくなり、全国の城郭に廃城令が発令されます。佐倉城にあった建物も取り壊され、陸軍の軍用地として活用されました。城の建物に使われていた礎石は、陸軍の兵舎の基礎として再利用されたのです。
江戸時代、そして明治、大正、昭和と見守ってきた石に触れると、タイムスリップした気持ちになりますよ!
写真:いなもと かおり
地図を見る本丸跡は、周囲をグルっと土塁に囲われた場所です。土塁の上を歩く人と比べると、その高さがわかります。しかも、土塁の横には空堀が! とてつもない高低差です。
ただでさえ登るのが大変なのに、戦となれば弓矢や鉄砲玉がとんできます! 守備兵の反撃をかわして本丸に辿り着くことなんて絶対にできない……そんな失望感を楽しんでみましょう。
写真:いなもと かおり
地図を見る石垣のない佐倉城ですが、天守がなかったわけではありません。記録によると、本丸跡には三重四階地下一階の天守がありました。しかし、19世紀初頭に、盗人が行灯を倒し天守は焼失してしまったそうです。
写真:いなもと かおり
地図を見るこの時代、徳川家に配慮して天守は築かれなかったため、おおかたの藩の城主は御三階櫓を天守代用としていました。佐倉城の天守は、発掘された礎石の状況から考察するに土塁に片側をつける構造だったようで、城内側からは4階建てに、城外側からは3階建てに見えたそうです!
三の丸跡にある佐倉城址公園センターには、天守の模型や、出土した瓦などの遺物が展示されています。
佐倉城を散策すると、城の遺構とは違う「歴史の残り香」にも出会います。
それは、日本が戦争を繰り返していた20世紀前半の歴史を物語る戦争遺構です。佐倉城だった場所には、大日本帝国陸軍の組織する歩兵第二連隊(のちに第五十七連隊)の兵営が置かれていました。
写真にあるコンクリートは、兵営のトイレ跡です。
写真:いなもと かおり
地図を見る「旧佐倉連隊脂油庫」は、機関銃を手入れする油を保管していた倉庫で、1945年の太平洋戦争の終戦まで使われていたそうです。鉄筋コンクリート造りの小さな建物で、窓もありません。
関連MEMOにある「国立歴史民俗博物館」は、佐倉城址、そして佐倉連隊の兵営跡地にあり、佐倉連隊や戦争についての詳細な展示もあるので、併せてお立ち寄りください。
写真:いなもと かおり
地図を見る佐倉城は、(公財)日本城郭協会が選定する「日本100名城」にも選定される優れた城。千葉県だけではなく、日本を代表するような立派な城が、首都圏から1時間ほどで行ける場所にあるのです。
さぁ、歴史のトキメキに出会う旅に出かけましょう。週末の行き先は千葉県佐倉市の「佐倉城」で決まり!
住所:千葉県佐倉市城内町官有無番地
電話番号:043-484-0679(佐倉城址公園管理センター)
アクセス:総武本線・佐倉駅より「ちばグリーンバス田町車庫行き」バス約15分、「国立歴史民俗博物館」または「国立博物館入口」バス停よりすぐ。または、京成・佐倉駅より「ちばグリーンバス田町車庫行き」バス約5分、「国立歴史民俗博物館」または「国立博物館入口」バス停よりすぐ。京成・佐倉駅から徒歩15分ほど。
取材協力:佐倉市
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(2025/1/20更新)
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