東京タワーとのコントラストが映える・芝「心光教院」の優美

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東京タワーとのコントラストが映える・芝「心光教院」の優美

東京タワーとのコントラストが映える・芝「心光教院」の優美

更新日:2018/09/25 19:22

Isao Noguchiのプロフィール写真 Isao Noguchi 著述業、観光検定教材製作者、ブロガー

「心光教院」は徳川家の菩提寺である増上寺の分院として深い関りを持ってきました。かつては隣接する瑠璃光寺の一部でしたが、1955年に本堂が完成すると美しい庭園などが整備されました。また、東京タワーを背景にした景観は圧巻で、思わず足を止めてしまうほどです。建築物の対比だけでなく、江戸の「名所」という観点で訪れてみると新たな魅力が見えてきます。当時の慣習を伝える上で貴重な文化財が境内には残されています。

無の境地で参拝に集中!白浜を思わせる庭園で造形美に浸る

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写真:Isao Noguchi

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「新光教院」山門の右手には、文化庁「登録有形文化財」のプレートが埋め込まれています。1950年赤羽橋から移転してきた際、唯一そのまま据え置かれたのがこの山門です。

「惠照律院光阿上人」が1761年に開山して以来、芝や三田の人々から長年に渡って崇敬されてきました。移転後1995年に本堂などが新築され、現在は浄土宗について理解を深めてもらおうと、5月の「大施餓鬼会」や10月の「十夜法要」が執り行われています。

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写真:Isao Noguchi

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境内の背景には東京タワーの鉄骨がそびえ建っています。どうしても参拝中は圧倒的な迫力で気を取られがちですが、そこは心を乱さぬよう御仏に全てを委ねましょう。

新築された本堂はかつての装飾を踏襲しており、江戸から続く伝統工芸を観ることができます。江戸幕府から庇護された寺院は当時のガイドブックとも言える『江戸名所図会』に紹介されています。徳川家の菩提寺である増上寺の別院であったことから、芝の名刹として継承されてきました。

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「心光教院」の魅力は本堂もさることながら、手入れの行き届いた美しい庭です。境内はそれほど広くはないものの、淡い白色の砂利が樹々の色を際立たせています。

参拝するならば平日や夕暮れ時などがお薦めです。砂利を踏みしめた音が境内に響き渡るかのような静寂の中、東京タワー側から吹き抜ける心地よい風が心身をリフレッシュさせてくれます。

将軍生母も感銘を受けた「お竹堂」が伝える御仏の教えとは?

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写真:Isao Noguchi

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境内に鎮座しているのは「お竹堂」です。「心光教院」には庄内(山形県)出身のお竹という女性が奉公をしていました。彼女は信仰心がとても厚く、日々念仏を欠かさない生活を送っていたそうです。

お竹は自分の食事を貧しい人に与え、水受けの流し板に残った飯粒を食したと伝えられています。その逸話を耳にした5代将軍綱吉の生母、「桂昌院」はいたく感銘を受けたそうです。その後、金糸などで織り上げた豪華な金襴の布にお竹が使った流し板を包み、寺院へ奉納したのです。このお堂はその仁徳を顕彰したものです。

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「お竹堂」のすぐ傍にあるのが「龍王堂」です。言い伝えではある女性が蛇の夢を見る度に、営んでいた飲食店が繁盛したそうです。しかし、ある日家の中で蛇が死んでいるのを見つけ、夢に出てきた寺院に供養してもらおうと考えました。探し回った結果、ようやく辿り着いたのが「心光教院」だったのです。

この女性は『大岡越前』などで有名な俳優「大坂志郎」の母親、神成志保さんの逸話です。その後、住職に懇願して庭先に「龍王堂」が建てられました。また、芝公園と東京タワーに挟まれた場所にある「もみじ谷」にも蛇塚が建てられました。

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境内の壁沿いにある「馬頭観音」は、2代将軍徳川秀忠の愛馬「布引」を供養するために建てられました。秀忠の霊廟は増上寺に造営されましたが、「心光教院」が分院ということもあり、こちらに観音像が安置されました。

「馬頭観音」は古くから、山越えなどに使われた道筋でよく見かけられ、交通と関係が深い要所に建っています。そのような歴史からすると、都心の寺院で観ることができるのは珍しいのではないでしょうか?

徳川家がもたらした経済効果?寺社への寄進が庶民に与えた影響

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写真:Isao Noguchi

「心光教院」と関係の深い人物が、5代将軍綱吉の生母「桂昌院」です。3代家光の側室であり、若き頃は「お玉」と呼ばれていました。「玉の輿」の語源とも言われ、寺社の修復・寄進を積極的に行いました。

将軍家の経済的支援は街の発展にも繋がりました。「心光教院」周辺も門前町として多くの人々が商いを始め、人口が増加していきました。現在でも芝の中心街には本院である増上寺の巨大な旧総門が残っており、その繁栄ぶりをみることができます。

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境内の少し奥に入ると、水子地蔵が建っています。赤子がこの世に生を受けることなく亡くなったとき、地蔵様の導きで天に召され、家族の幸せを祈ってくれるといわれています。

江戸時代、衛生面や栄養価が低かったことにより、早世する赤ん坊が絶えませんでした。赤子の供養だけでなく、多くの石仏が建っているのは「心光教院」が長年にわたり芝の地で供養を続けてこれた証しでもあるのです。

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将軍家の「お膝元」として手厚い待遇を受けてきた寺院は、時を経て東京タワーの「お膝元」となりました。徳川家と首都のランドマークという二つのアイコンが同居する場所であり、同時に時代の変遷によりその役割は変化していきました。

建造物の対比に目を奪われがちですが、双方とも昼と夜とではまた違った表情をみせます。人混みから解放された空間は、ライトアップにより幻想的な雰囲気を醸し出します。その景色はどこか我々の心を和ませ、心を穏やかにしてくれるのです。

心光教院の基本情報

所在地:東京都港区東麻布1-1-5
電話番号:03-3583-4766
アクセス:都営大江戸線・赤羽橋駅から徒歩約5分

2018年9月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2018/09/07 訪問

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