徳島・ゲゲゲの妖怪屋敷とこなき爺の故郷

| 徳島県

| 旅の専門家がお届けする観光情報

徳島・ゲゲゲの妖怪屋敷とこなき爺の故郷

徳島・ゲゲゲの妖怪屋敷とこなき爺の故郷

更新日:2018/10/02 13:28

春野 公比呂のプロフィール写真 春野 公比呂 歴史研究家、郷土文筆家、郷土登山家

昭和9年に全国的な妖怪伝承調査が実施された際、徳島県三好市山城町で初めて児啼爺(こなきじじぃ)の伝承が集録されたことにより、山城町は児啼爺伝説発祥の地とされ、世界妖怪協会の「怪遺産」として認定されています。同町には他にも60種以上の妖怪や物の怪伝説が確認されており、伝承地は150ヶ所以上に及びます。それらの妖怪体験を疑似体験できるのが「妖怪屋敷」です。異界空間をぜひ!

「四国の遠野」山城

「四国の遠野」山城

写真:春野 公比呂

地図を見る

昭和9年(1934)の調査は「日本民俗学の父」とも言われる柳田國男門下生、武田明氏によるもので、その調査成果は昭和13年(1938)、柳田國男の「妖怪名彙」に纏められていますが、旧山城町では児啼爺を始め、4種の妖怪が紹介されています。同書の80種の妖怪中、4種が紹介されているのは全国最多。

ゲゲゲの鬼太郎の仲間である妖怪伝承や各種妖怪の伝承地の数が極めて多いことから、2008年、当時水木しげる氏が会長だった世界妖怪協会から怪遺産「四国の秘境・山城大歩危妖怪村」として認定されたのです。

これを受けてその2年後、道の駅大歩危(おおぼけ)内に「妖怪屋敷」が誕生し、毎年11月、「妖怪まつり」が行われるようになりました。木像の児啼爺がゲートに立つ所が妖怪屋敷の入口。中ではどんな妖怪たちが出迎えてくれるのでしょうか。

「四国の遠野」山城

写真:春野 公比呂

地図を見る

内部にはロウソクの灯りが障子に映る箇所があり、その障子紙は何ヶ所か破られています。恐る恐る覗くとそこには包丁を持った鬼姥が。

山城町粟山の大西神社脇に合祀されている若宮神社はかつて、昭和40年代後期に廃村となった奥村にあり、西宮と呼ばれていました。昔、この宮の前を16時過ぎに通りかかると、社殿から鬼姥が飛び出てきて、襲われて食われると恐れられていました。

「四国の遠野」山城

写真:春野 公比呂

地図を見る

棚の奥を見ると蛇が出入りするドクロが。

大正時代に目撃された巨大な妖怪

大正時代に目撃された巨大な妖怪

写真:春野 公比呂

地図を見る

館内の一角には鉱山の坑道をイメージした「山城坑」というトンネル型スペースもありますが、中が真っ暗なため、幼児の中には怖がって入りたがらない子もいます。中に入ると壁面から・・・詳しくはぜひ実際に体験してみてください。

大正時代に目撃された巨大な妖怪

写真:春野 公比呂

地図を見る

奥の広いスペースには、町内に伝承がある妖怪の人形が展示されています。写真は西宇の小歩危峡(こぼけきょう)遊歩道入口にある、蛇岩に巻き付いた大蛇を退治する七人の山伏を表現した「西宇・七人塚」。

昔のある朝、「山城三名士」(山岳武士)の一人、西宇家の家人が周囲にただならぬ気配を感じ、雨戸を開けると、前方の蛇岩に七巻き半した大蛇が毒気を吐きながら西宇家の門に迫ろうとしていました。そこで家人は急いで交流のある山伏に連絡すると、その山伏は仲間と共に七人で駆け付け、蛇岩を巻く大蛇の胴体を一巻きずつ切り落としたと言います。この岩は国道の側にあるため、伝説を体現するには便利です。

大正時代に目撃された巨大な妖怪

写真:春野 公比呂

地図を見る

他にも山城の妖怪では名の知られた山父(やまぢち)や、閻魔王(町内では実在の妖怪として)等の大きな人形が展示されています。一つ目の妖怪が案外多いのですが、写真の一番奥に写っているのは「クモトリ淵の一つ目入道」。何とこの妖怪が最後に目撃されたのは大正14年(1925)8月2日のこと。

藤川谷上流のオガワという山で小屋掛けして山仕事をしていた山師が仕事を終え、小屋の中でうとうとしていると、一匹の蜘蛛が入ってきて山師の足の指に糸を巻き付けてはまた外へ出て行く、という奇妙な行為を繰り返し始めます。

気味が悪くなった山師は糸を柱に巻きつけ、寝込んでしまったのですが、深夜、いきなり小屋が物凄い力で藤川谷の方に引っ張られていったのです。そして小屋ごとクモトリ淵に引きずり込まれると、淵の中から一つ目入道が現れたのです。山師は必死に岸へと這い上がったものの、翌朝、山師の姪がその山師の遺体を発見したのでした。

妖怪屋敷観覧後は土産物コーナーで、妖怪絵馬や各種鬼太郎グッズを買い求めるといいでしょう。

妖怪と仏の閻魔大王

妖怪と仏の閻魔大王

写真:春野 公比呂

地図を見る

児啼爺の伝説発祥地は相当な山の上なのですが、山城町を代表する妖怪だけに町内の何ヶ所かに石像や木像が設置されています。道の駅北方から西に折れる県道272号(通称・妖怪街道)沿いにも児啼爺の石像の他、各種妖怪の像が設置されています。

藤の里公園には鬼太郎や目玉おやじその他地元の妖怪のモニュメントがいくつか設置されています。その中の一つ、「野鹿池の竜神と乙姫」の伝承地も本来は藤川谷上流南方の野鹿池山(のかのいけやま)にあるのですが、乙姫に化けた竜神が麓の里や讃岐まで出かけていた伝説があることから、ここに設置されました。

野鹿池は雨後でないと水が溜まりませんが、公園下の藤川谷川は切り立った絶壁の谷底の淵のようで、竜神が潜んでいそうです。

妖怪と仏の閻魔大王

写真:春野 公比呂

地図を見る

前述の蛇岩には案内板が設置されていませんが、独特の岩故、すぐ分かります。今ではおどろおどろしい雰囲気はありませんが、こんな何メートルもある巨岩を七巻き半もする大蛇は、体長はいったい何十メートルあったのでしょうか。

かつて蛇岩の裏に山伏を称えた七人塚が祭られましたが、昭和後期、開発で壊されてしまいました。

妖怪と仏の閻魔大王

写真:春野 公比呂

地図を見る

山城町と愛媛県四国中央市との県境にエンマノタオ(閻魔の峠)という峠があり、昔、ここには閻魔大王がいて、国越えする者を地獄行きか天国行きか、決めていたと言います。

一方、山城町中野の「中野地蔵堂」には木造の閻魔王像が祭られています。

初代地蔵堂は宝永5年(1708)の建立ですが、中には年代物の二体の木造地蔵菩薩立像と一体の閻魔王座像が祭られています。日本仏教の本地垂迹(ほんじすいじゃく)説では、閻魔王の本地仏は地蔵菩薩とされているので、閻魔王像を祭っている仏堂には地蔵像も祭られていることが多いのです。ここの閻魔王像は腕が欠損していますが、こんな山の上の小さな仏堂に本地垂迹の二体が並んでいるのは貴重です。

帰路、時間があれば国道下方を流れる四国屈指の大河・吉野川がV字峡となった大歩危峡の川下りを楽しむといいでしょう。

妖怪屋敷(道の駅大歩危)の基本情報

住所:徳島県三好市山城町上名1553-1
電話番号:0883-84-1489
営業時間:9:00〜17:00
アクセス:
・R土讃線大歩危駅下車、大歩危橋を渡り右へ徒歩約20分
・高知自動車道 大豊ICから約30分、もしくは徳島自動車道 井川池田ICから約40分

※現在、妖怪屋敷は拡充されており、展示物等も増えています。また、道の駅では有料の妖怪めぐりウォーキングガイドも受け付けています。

※各ブログ等では、妖怪屋敷内の写真撮影が禁止である旨の書き込みが見られますが、現在は許可されています。

2018年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2010/04/25−2013/08/04 訪問

- PR -

条件を指定して検索

LINEトラベルjpで一緒に働きませんか?

- PR -

旅行ナビゲーター(在宅ライター)募集中!
この記事に関するお問い合わせ

- PR -