ストーリーで巡る奈良伝説・伝承の樹木4選

ストーリーで巡る奈良伝説・伝承の樹木4選

更新日:2018/11/19 10:36

花月 文乃のプロフィール写真 花月 文乃 地域文化・民俗文化リサーチャー、グラフィックデザイナー、旅行ライター
日本には、古来より神が依りつくとして神木を神聖視する風習があります。神木の中には樹齢3,000年を超えるものもあり、人間よりも遥か長い年月をその地域と共に過ごしてきたことになります。
観光では見落としてしまいがちな樹木ですが、一体どんな物語を目撃してきたのでしょうか。
今回は、奈良で信仰の対象とされる神木やいわれのある木々を語り部として、奈良の伝説・人々の営みと歴史を紹介します。

飛火野の大楠

飛火野の大楠

写真:花月 文乃

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飛火野は春日山の麓にある、広大な芝が広がる空間です。その名前の由来はこう伝わります。

かつて春日大社の主祭神・鹿島大明神がはるばる茨城県鹿島市から白い鹿に乗って奈良についた際、現在の萬葉植物園近くの「鹿道(ろくどう)の辻」で白鹿から降りました。
既に夜半で暗かったため、お供の八代尊(やしろのみこと)が、足元を照らそうと口から火をふきました。

その火は、消えることなくあたりを飛び回ったという伝説から、飛火野と呼ばれます。

飛火野の大楠

写真:花月 文乃

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飛火野には、樹齢約100年のひときわ目をひく大きな楠があります。遠くから見ると1本の巨樹に見えますが、実は3株の木々から成り立っています。主幹は樹高25m、幹周り4.5m。
3株全てを合わせると幹周りは11mにもなります。幹の前には、「明治天皇王座跡」という文字が刻まれた石碑があります。

飛火野の大楠

写真:花月 文乃

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この楠は、「飛火野の大楠」と呼ばれ、1908年(明治41年)奈良での陸軍大演習御統裁後に飛火野で開催された餐宴に出席した明治天皇の王座跡に植樹されたものです。
明治天皇(1852〜1912)は、江戸時代から明治時代への激動の時代を統治した天皇です。

1868年「王政復古の大号令」を発令し明治新政府を樹立、1868年には京都から東京へ奠都して近代天皇制国家を確立しました。
現人神とは人の姿をした神を意味し、第二次世界大戦終結まで天皇をさす言葉として使われていました。明治天皇はその功績から、明治神宮にお祀りされています。

楠は、古来より神仏が宿る神聖な木とされました。「飛火野の大楠」からは、明治天皇の王座跡に楠が植えられた理由とその時代背景が感じられます。

<飛火野の基本情報>
住所:奈良県奈良市春日野町160
アクセス:JR、近鉄奈良駅から「市内循環外回り」「山村町」「藤原台」行き乗車、「春日大社表参道」下車すぐ
近鉄奈良駅から東に徒歩20分
JR奈良駅から東に徒歩30分

西大寺の百萬古柳

西大寺の百萬古柳

写真:花月 文乃

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西大寺の東門からほど近い場所にあるのが、百萬古柳です。

百萬古柳は、能楽「百萬」で百萬という女性が一人息子とはぐれた舞台とされます。
昔奈良に百萬という女曲舞があり、西大寺念仏会に我が子と詣出ますが、古柳付近でその姿を見失います。我が子と生き別れた百萬は、佛の加護を念じて念仏を唱えながら徘徊し、ついに狂女となります。

一方はぐれた男児は、都の者に拾われており、後日、嵯峨の大念仏会に参会するために連れられて清涼寺へとやってきます。そこへ一人の狂女が現れ、念仏の音頭をとり、笹を手に舞いながら我が子に逢わせ狂気を止め給えと祈ります。

再会した母と子は法の力ありがたしと喜び、共に故郷に帰っていきます。

西大寺の百萬古柳

写真:花月 文乃

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「百萬」は観阿弥原作と考えられる「嵯峨物狂」を世阿弥が改作したものといわれます。
世阿弥は南北朝時代の1363年に、奈良・大和四座に所属する猿楽師・観阿弥の長男として生まれ、父の観阿弥とともに猿楽を大成しました。
観阿弥はそれまで物真似芸主体だった猿楽に、曲舞を取り入れ演劇性を高めました。百萬は奈良に実在した曲舞の名手です。観阿弥は賀歌流の乙鶴に曲舞を習ったといわれ、賀歌流の流祖が百萬と伝わります。

西大寺の「百萬古柳」からは、百萬から乙鶴へ曲舞が継承され、観阿弥から世阿弥を経て、能が大成されていく様を想起させられます。
「百萬古柳」の前には、百萬古柳の由来を示す看板があります。

※掲載写真2枚 百萬古柳と看板は西大寺の所蔵

<西大寺の基本情報>
住所:奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
アクセス:近鉄大和西大寺駅 南口から徒歩3分

猿沢池の衣掛柳

猿沢池の衣掛柳

写真:花月 文乃

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猿沢池の東側にあるのが衣掛柳です。

昔、奈良の帝に仕える采女がいました。容姿端麗で多くの人から求婚されますが、采女は帝に心を寄せていたためその思いに応えることはありませんでした。
帝は一度采女を召しますが、特別な感情を持つことはなく、二度と采女を側に召仕えることはありませんでした。宮中で帝を毎日拝見する采女は、いたたまれなくなり、ある夜密かに御所を抜け出し、猿沢池に身投げします。

采女が入水自殺する際に、その衣をかけた柳が衣掛柳です。衣掛柳の横には、「衣掛柳」の石碑が設けられています。

猿沢池の衣掛柳

写真:花月 文乃

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采女の霊を祀るのが猿沢池の西北にある采女神社です。本殿は、猿沢池や鳥居に背を向ける珍しい形になっています。これは、采女の霊を慰めようと社を建てたところ、采女の霊が自身が身を投げた池を見るのが忍びないと一夜にしてその向きを変えた、と言い伝えられます。

生前、報われない恋に苦しんだ采女は、自分と同じ辛い思いをしないようにと、現在は恋に悩む乙女を応援する縁結びの神様となり親しまれています。

猿沢池の「衣掛柳」からは、帝に恋をした采女の悲しい伝説と悲哀を思い起こさせます。

<猿沢池の基本情報>
住所:奈良県奈良市橋本町
アクセス:JR奈良駅から徒歩20分 近鉄奈良駅から徒歩5分

奈良市芝辻町のノガミさん

奈良市芝辻町のノガミさん

提供元:写真AC

https://www.photo-ac.com

グーグルマップで奈良の近鉄新大宮駅の北側をズームアップすると、ノガミサンの文字が。
ノガミさんとは、何か人の苗字のようにも感じますが一体何なのでしょうか?

稲作の豊穣をもたらす神を田の神と呼び、農耕を主とする日本では古来より田の神に豊作を祈願し、収穫を感謝して祀ってきました。
一般に田の神は、決まった水田を祭場に、石や木で祀る形が多く見られます。近畿地方では、野神(のがみ)または作り神と呼ばれることもあります。

奈良市芝辻町のノガミさん

写真:花月 文乃

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奈良市芝辻町にあるノガミさんは、マンションや一戸建て住宅が密集する市街地の中にある巨大なクスノキのご神木です。
かつてこの地域が農村であった頃から、ノガミさんはあり、五穀豊穣を祈願する場所として農民たちの信仰を集めてきたことがうかがえます。時代を経て、ノガミさんがたつ地域が開発され市街地となっても、人々の信仰と神木への畏敬の念から、その姿は変わらずにこの地に残されました。

奈良市芝辻町のノガミさん

写真:花月 文乃

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しめ縄がかけられた幹からは、その信仰が今もなお続いていることが感じ取れます。

神木は神社の境内でみることが多く、人々が普通に生活し行き来する市街地の真ん中で見られるのは珍しいです。ノガミさんは、境内の神木とは違い、日本人が農耕を中心とした生活を営む上で崇拝してきた野神信仰のご神木です。かつて、農村がたくさんあり農業が生活の主体であった時代には、ノガミさんはあちこちにありましたが、現在その姿を目にすることは、滅多にありません。そして、ノガミさんが何の神であるかを知る人もほとんどいない状態になってしまいました。

芝辻のノガミさんからは、かつて日本人が農耕を中心とした生活を営み、稲作の豊穣をもたらす田の神である野神信仰と常に共にあったことを思い起こさせます。

<ノガミさんの基本情報>
住所:奈良県奈良市芝辻町
アクセス:近鉄新大宮駅から徒歩20分

奈良の語り部に会いに行こう!

物言わずたたずむ木々ですが、なぜそこに存在することになったかを尋ねる時、かつてその場所で展開されたストーリーが鮮やかに蘇ります。
そこには歴史的な時代背景、その時代に生きた人々の信仰と喜怒哀楽が見え隠れします。
普段、観光地を巡る際、見過ごしてしまう木々ですが、足を止めて彼らの語るストーリーにぜひ一度耳を傾けてみてください。

2018年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2018/09/23 訪問

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