提供元:桜井市教育委員会
地図を見る奈良盆地の東南部、現在の桜井市から天理市にまたがる一帯は、「大和は国のまほろば たたなづく青垣山ごもれる 大和し美し」と歌われた古代日本の夜明けを告げる場所です。このヤマトの中のヤマトとされる大和=オオヤマト古墳群地域をゆっくり歩きます。
スタートは、日本で最も古い巨大前方後円墳で卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳。航空写真を見れば、ここがとても美しい形をした前方後円墳であることが分かります。
写真:菊池 模糊
地図を見るもしかすると卑弥呼が葬られているわけですから、箸墓古墳の前に立つと胸が高まります。西側の拝所にお参りするとともに、北側の池からの眺めを堪能しましょう。ここはまさに古代史ファンの聖地です。
箸墓古墳は、墳丘長278mの出現期古墳中の最古級の巨大墓で、三世紀後半の築造と考えられます。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓とする有力な学説があります。宮内庁の正式名は、倭迹迹日百襲姫命大市墓。日本書紀には「墓は昼は人が作り、夜は神が作った。」と書かれています。このヤマトトトモモソソヒメは、孝霊天皇の皇女で、三輪山の神と婚姻した伝説的な巫女とされ、祟神天皇は巫女であるヤマトトトモモソソヒメの神託を聞いて政治を行なったとあります。
提供元:桜井市教育委員会
地図を見る箸墓古墳から北へ巻向駅の方へ歩くと、邪馬台国の宮殿跡ではないかとされる纏向遺跡があります。弥生時代末期から古墳時代前期の大集落遺跡で、一帯は前方後円墳発祥の地として、現在も発掘調査が進められています。
この遺跡を邪馬台国の首都に比定する説が有力になりつつあります。最近は、桃のタネ約2000個が見つかり話題になりました。神託などに使われた古代祭祀の供物のようで、炭素年代測定法の計測により西暦135〜230年のものであるという研究発表があり、邪馬台国の時代に整合します。
航空写真をご覧ください。奥にある山が聖地:三輪山、右端の大きな古墳が箸墓古墳、左端の団地の右上にある空地が纏向遺跡の中心です。この位置関係が重要で、この辺りが、大和朝廷の黎明期に日本最古の都邑があった場所であることは間違いありません。
提供元:天理市教育委員会
地図を見る纏向遺跡から北東へしばらく歩くと山辺道上陵こと景行天皇陵があります。この古墳は墳丘長300mに達する巨大前方後円墳で、築造時は日本最大、現在でも全国第8位、奈良県では第2位の大きさです。渋谷向山古墳とも呼ばれ、4世紀中後半にかけての造営と推定されます。
写真:菊池 模糊
地図を見る景行天皇陵は、拝所から見ると、さほど大きく感じないのですが、山の辺の道のある東側に回っていくとその巨大さを実感できます。景行天皇は、ヤマトタケルの父とされており、多くの伝説に彩られた存在です。ヤマト政権は景行天皇の時代に九州、東国にかけて勢力を拡大したと思われます。
提供元:天理市教育委員会
地図を見る景行天皇陵から北へ、山の辺の道をたどると崇神天皇山辺道勾岡上陵に至ります。拝所は国道169号線に面しています。
この崇神天皇陵は、墳丘長242mの巨大前方後円墳で、4世紀前半の築造。行燈山古墳とも呼ばれ、とても存在感のある古墳です。
写真:菊池 模糊
地図を見る崇神天皇陵は拝所へ長い階段があり、高さがあることから非常に立派な雰囲気のする天皇陵です。丘陵先端部を切断して築造されており、そのためひときわ雄大に見えるようです。
祟神天皇は、御間城入彦(みまきいりひこ)又は御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称えられ、ヤマト政権の最初期に君臨した大王です。そして、考古学的に整合する巨大古墳があることから、現代の日本の学術上、実在の可能性が見込める最初の天皇です。日本書紀も崇神天皇から内容が豊かになり、倭迹迹日百襲姫など多くのことが書かれてあり注目に値します。
写真:菊池 模糊
地図を見る崇神天皇陵拝所から国道169号線を渡って西へ150mほど行くと黒塚古墳があります。墳丘長約130メートルの前方後円墳で、盗掘を免れた貴重なもの。3世紀後半、箸墓古墳の直後の時期に造営された時期的に注目される中型古墳です。魏から卑弥呼に贈られたと考えられる三角縁神獣鏡が大量に発見されたことで有名で、邪馬台国を考える際にも非常に重要な存在です。
また、古墳の上部に登ることが出来ますので、実際に古墳の上に立って、往時の雰囲気を体感しましょう。
写真:菊池 模糊
地図を見る黒塚古墳の東側には天理市立黒塚古墳展示館という無料で見学できるガイダンス施設があります。
館内一階では黒塚古墳の竪穴式石室を実物大で再現しており、その大きな規模に驚かされます。また、三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡が置かれていた位置も見られます。三角縁神獣鏡は、割竹形大型木棺の北半分を取り囲むように棺内部に向けてずらりと並べられており、これはおそらく呪術的な意味があると思われます。中央部に大量の水銀朱が塗られていたこともはっきり分かります。
写真:菊池 模糊
地図を見る黒塚古墳展示館の二階には、黒塚古墳から出土した三角縁神獣鏡33面、画文帯神獣鏡1面のレプリカが展示してあります。いずれもきわめて精巧な作りで綺麗なもの。このように出土した全部の銅鏡が見られるのは古代史ファンには嬉しい体験。魏の都である洛陽の工人が作った旨や魏の年号が刻まれた鏡があり、三角縁神獣鏡を研究しようとする者にも、最高の材料を提供してくれます。
写真:菊池 模糊
地図を見る黒塚古墳近くのコンビニ北側から国道169号線を東へ渡り長岳寺方面へ歩き、山の辺の道に合流して北に進みます。柿本人麻呂の万葉歌碑を見て、さらに北へ歩くと、念仏寺の向かい側に中山大塚古墳があります。
墳丘長約130メートルの前方後円墳で黒塚古墳より少し小さい規模。残念ながら竪穴式石室は盗掘されており、最初の発掘調査では、わずかな銅鏡や鉄器、土器(特殊器台)の破片が見つかっただけでした。最近の調査では、おびただしい葺石が発見され、ほぼ全面を葺石が覆う3世紀後半の築造であることが判明し、国史跡に指定されました。
提供元:天理市教育委員会
地図を見る中山大塚古墳を過ぎて山の辺の道を北に進むと「→衾田陵」という標識がありますので、それに従って右へ折れ果樹園(柿畑)の中をたどると手白香皇女衾田陵に至ります。
この古墳は、墳丘長約230mの巨大前方後円墳で、西殿塚古墳とも呼ばれます。南北に長く丘の上にあるため量感を感じる、とても大きな古墳です。
写真:菊池 模糊
地図を見る衾田陵は、車道や山の辺の道からも少し外れていることから、観光客が少なく、静かでのどかな田舎の雰囲気を堪能できます。穴場の巨大古墳と言えるでしょう。
造営時期は3世紀後半で、箸墓古墳に続く時期の巨大古墳であることから、被葬者としては邪馬台国の二代目女王である台与とする説もあります。特徴として、前方部と後円部の両方に方形壇があることが注目されます。これは巫女的女王と政治家的男王の二人が葬られていることを示しているのかも知れません。
箸墓古墳
所在地:奈良県桜井市箸中
アクセス:JR桜井線巻向駅下車南へ500m
黒塚古墳展示館
所在地:奈良県天理市柳本町1118-2
電話番号:0743-67-3210
開館時間:9:00〜17:00
休館日:月曜日・祝日(月曜日が祝・休日の場合は翌日も休館)・年末年始
アクセス:JR桜井線柳本駅下車東へ400m
2018年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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