写真:bow
地図を見る「碁盤の目」と呼ばれる京都市内の中心部。東西を結ぶ通り、南北を結ぶ通りが規則正しく直角に交差することからそう呼ばれています。しかし、本来真直ぐであるべき道が曲がっているところが京都市内にも数か所あります。
その大きな原因の一つになっているのは、かつて京都市内を縦横無尽に走っていた『市電』の存在。そして市電の走っていたルートが主要な幹線道路として現在の京都市内の動脈的存在となって残っています。東本願寺前で烏丸通りが門前を迂回するようにカーブする箇所がありますが、それは市電の線路が本願寺に配慮して線路を曲げた名残として残っているためなのです。
そして、市電が”とある木”のおかげで道を曲げてしまった場所があるのです。それが『若一神社』前の道です。
写真:bow
地図を見る京都市を南北に結ぶ西大路通。その西大路通に面している『若一神社』。京都駅からも程近い場所にあるこの神社には、「平清盛公西八条殿跡」という石標があります。ここは平清盛の別邸である「西八条殿」があったとされる場所なのです。
この『若一神社』には樹齢800年と言われる大きな一本の楠があり、平清盛の手植えとされています。この楠は『若一神社』の御神木として大切にされてきた楠で、この木を切ったり移し替えようとすると、必ず祟りがあったと伝えられます。それは古来からずっとそうであったとられ、昭和初期の市電の工事の為にこの楠を切ろうとした関係者に次々と事故や不幸が襲ったという、いわく付きの楠なのです。
それがゆえに楠はそのままにされ、道を曲げたそう。それが現在の西大路通がこの『若一神社』前で曲がっている理由なのです。
写真:bow
地図を見るこの『若一神社』付近は平清盛が六波羅に住んでいた時に、西八条殿という別邸を建てた地とされています。当時、平家一族が50もの邸宅を連ねていたとされています。
伝承によれば、ここに『若一神社』が出来た経緯は、平清盛が仁安元年(1166年)に紀州熊野に詣でた際にお告げがあり、帰郷後にこの西八条殿内を探したところ、 土中より若一王子の御神体が現われたそう。平清盛は若一王子を祀る神社をここに造り開運出世を祈ったところ、 翌年には太政大臣に任ぜられたということです。前述の楠は、清盛がそれを喜んで植えたとされている楠なのだそうです。
境内には太政大臣の衣冠束帯姿をした平清盛像が建てられています。このような装束に身を包んだ清盛像は実は珍しいそうです!
写真:bow
地図を見る『若一神社』境内には、平清盛が熱病を冷やすために使ったと言われる御神水があります。この御神水は平家物語にも記述がある開運出世の水としても知られています。また地元では新生児誕生の際に産湯としても使われているのだそう。
近所の人が絶えず水を汲みに来るという名水、この水で運が開けたという逸話も聞く御神水。この水で平清盛のパワーを授かれるかもしれません!
写真:bow
地図を見るここから平清盛の出世街道が始まったともいえる『若一神社』。そんな平清盛にあやかる開運出世のお守りが人気!出世を夢見るサラリーマンの参拝も多いのだとか!
また、若一神社には他にも沢山のお守りが。ペット用の首輪につけるちょっと変わったお守りもあります。小さな神社ですが、境内に摂社が沢山あり、いろんなご利益が得られるのもポイントです。
現代においても道を曲げてしまうほどの霊力を持った平清盛。そんな清盛の出世のルーツを訪ねて開運のパワースポット『若一神社』へおまいりしてみてはいかがでしょうか?そして、真直ぐな道の多い京都で”曲がった道”を発見したなら、そこには何か秘話があるのかもしれません。ちょっと調べてみても面白いかもしれませんね!
『若一神社』へはJR西大路駅から徒歩約5分です。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/9/16更新)
- 広告 -