「仙台市立荒浜小学校」が震災遺構として生き続ける理由

「仙台市立荒浜小学校」が震災遺構として生き続ける理由

更新日:2019/01/19 16:24

bowのプロフィール写真 bow トラベルライター
仙台市の沿岸部にある仙台市立荒浜小学校は東日本大震災で甚大な被害を受け2016年に閉校。しかし翌2017年4月には津波の脅威を後世に伝える新たな使命を授かり、震災遺構として一般公開が始まりました。津波の爪痕を校舎の中まで入って見ることができる貴重な震災遺構をご紹介します。

閉校になった「仙台市立荒浜小学校」

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写真:bow

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2011年3月11日に発生した東日本大震災は、未曾有の大津波が太平洋沿岸の広範囲に甚大な被害をもたらしました。仙台市沿岸部を襲った津波も、ヘリコプターからの生中継が大きく報道されたので記憶に残っている方も多いことかと思います。

沿岸部の大部分は開発が制限される市街化調整区域であったため、田園地帯が中心。そのため人口密集地への津波の浸水はほぼなかったものの、沿岸部にあった主な集落は壊滅し多くの犠牲者を出してしまいました。

閉校になった「仙台市立荒浜小学校」

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仙台市若林区荒浜地区も荒浜小学校の建物以外はほぼ全て、津波により根こそぎさらわれてしまいました。残った荒浜小学校も2階床上にまで津波が達し校舎が大きく損傷したものの、児童や教職員、付近の住民ら計320人が屋上に避難し、津波の被害から難を逃れたのです。

閉校になった「仙台市立荒浜小学校」

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その後校舎が津波の被害で利用できなくなっただけでなく、学区内が災害危険区域に指定されてしまった荒浜小学校は2016年3月をもって閉校。近隣にある七郷小学校に統合されることになったのです。

震災遺構として復活した荒浜小学校

震災遺構として復活した荒浜小学校

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しかし閉校後も校舎は取り壊されることなく、震災遺構として保存されることになった荒浜小学校。震災を風化させず、防災・減災意識を高めるべく現状の姿のまま残すための耐震・改修工事が施され、閉校から1年後の2017年4月に一般公開されることになりました。

震災遺構として復活した荒浜小学校

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特筆できるポイントとしては、東日本大震災の震災遺構として常時内部を公開する初の学校施設である点。震災遺構の内部は危険が伴うため入場できないものが多いのですが、荒浜小学校は中まで入ってじっくりと体感できるのです。公開されているのは1、2、4階、屋上と外周部分。

画像は1階の1年1組教室で、津波によって運ばれた車が折り重なるように押し込まれていた現場。天井や床には生々しい傷跡が今も残っています。

震災遺構として復活した荒浜小学校

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震災後の調査により、荒浜地区を襲った津波の高さは海岸沿いで10メートルに達していたことが分かったそう。平野部としては世界最大級という波高であり、想定を遥かに超えた津波が襲ったのです。1〜2階部分はそんな圧倒的な津波の威力を物語る痕跡を目の当たりにする場となっています。

2階まで到達した津波

2階まで到達した津波

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1階から2階にかけては震災当時の大きな写真パネルの展示もあり、実際にその場が当時にどういう状況下にあったかということがわかります。どれも想像をはるかにこえる衝撃的な写真ばかり。

2階まで到達した津波

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そして2階の海側ベランダにはコンクリート壁と柵をなぎ倒し、校舎へと流れ込んだ津波の痕跡が。この高さでも津波の圧倒的な威力があったことをまざまざと見せつけています。

2階まで到達した津波

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そして2階廊下には津波到達ラインが記されており、このフロアにいても安全ではなかったという証が残されています。そんなリアルな津波の痕跡を目に焼き付けつつ4階へと足を進めていきましょう。

展示フロアの4階もじっくりと

展示フロアの4階もじっくりと

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4F部分は4つの教室を使った展示フロアになっています。旧まつかぜ学級教室では「震災の記憶と明日への備え」というテーマの展示で、震災当時に避難していた住民たちが夜に暖をとるため備蓄品が入っていた段ボールや紅白幕、カーテンなどを床に敷いていたという様子が再現されるなど、避難から救助までの過程を知ることができます。

展示フロアの4階もじっくりと

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また5年1組教室は「交流活動室」として、6年1組教室は「荒浜の歴史と文化/荒浜小学校の思い出」を展示。震災前の荒浜の街並みを再現したジオラマなど、壊滅してしまった荒浜地区の記憶を継承する役割も担っています。被害の大きさを知るだけでなく、こうした展示をじっくりと見る人も多いのだとか。

展示フロアの4階もじっくりと

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そして音楽室の展示「3.11荒浜の記憶」も必見。17分間にわたる見応え十分のVTR「3.11 荒浜小学校の27時間」は津波発生時の映像もまじえ、被災者本人たちが当時の状況を振り返るもの。あの日ここで何が起こっていたのか。貴重な防災へのメッセージも込められていますのでここには時間を割きましょう。

命を繋いだ屋上から眺める光景とは

命を繋いだ屋上から眺める光景とは

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屋上に上ると荒浜地区の眺めが一望。かつてはこの屋上で避難した住民たちが見た絶望的な光景も、今ここに立てばそれを想像することもできないほどの静かな日常があります。

視界には更地のような光景が広がりますが、震災前の写真も設置してありますので見比べてみてください。そこには確かにあった営みが全て失われてしまったことがわかるはず。しかし一方では着々と進むかさ上げ道路の建設や海岸林の再生など、復興への歩みも確認できるのです。

命を繋いだ屋上から眺める光景とは

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千年に一度という未曽有の災害を後世へと伝えるべく、全てが失われた町でただひとつ残った仙台市立荒浜小学校。多くの尊い命を無駄にしないため、そしてここで生き残った人たちの想いを繋ぐため、防災・減災のシンボルとしてここで生き続けていくのです。震災から年月が経ち関連報道も減る昨今、その存在感を増しつつある震災遺構を訪ねてみてはいかがでしょうか。

震災遺構 仙台市立荒浜小学校の基本情報

住所:宮城県仙台市若林区荒浜字新堀端32-1
開館時間:10:00〜16:00
入館料:無料
駐車場:あり
休館日:月曜日および第2・4木曜日および(祝日除く)、祝休日日の翌日、年末年始、臨時休館日
電話番号:022-355-8517
アクセス:車では仙台東部道路「仙台東」IC下車約10分、公共交通機関では地下鉄東西線「荒井駅」より仙台市営バス・旧荒浜小学校行きに乗車、終点下車すぐ

2019年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2018/11/04 訪問

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