ローマから1時間!湖畔の古城「ブラッチャーノ・オデスカルキ城」へ

ローマから1時間!湖畔の古城「ブラッチャーノ・オデスカルキ城」へ

更新日:2018/11/05 14:22

Etsuko Ciaoのプロフィール写真 Etsuko Ciao 郷土料理お伝え旅ライター
大都会ローマから約1時間。ブラッチャーノの町には、ローマ貴族の館「オデスカルキ城」が湖畔に佇んでいます。古城には今もオデスカルキ家の当主が居住中で、半分が一般公開されています。ガイド付きツアーでは20を超える部屋と、フレスコ画、武具、エトルスキ時代の器等が見学できます。メディチ家から嫁いだイザベラの部屋も必見です。この古城で俳優トム・クルーズが挙式を上げました。


美しきブラッチャーノ湖を眺める、15世紀の古城

美しきブラッチャーノ湖を眺める、15世紀の古城

写真:Etsuko Ciao

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多くの観光客で賑わうローマから静かなブラッチャーノへ。穏やかに波打つ湖畔には「オデスカルキ城」が、中世のままの姿で訪れる人々を迎えています。城は当初の持ち主オルシーニ家のナポレオーネ・オルシーニの依頼により1470年に建築が始まり1485年に完成しました。敵対していたボルジア家の法王アレッサンドロ6世に没収された時期もありましたが、1696年迄オルシーニ家の所有でした。その後、売却によりオデスカルキ家の所有となり1956年より一般公開となりました。

美しきブラッチャーノ湖を眺める、15世紀の古城

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城に入るとすぐに熊の像がお出迎え。でもなぜ熊があるのか不思議に思いますよね。実は、熊はオルシーニ家のシンボル。10世紀まで遡ると、オルシーニ家の先祖はオルソ(Orso)と名乗っていたのです。オルソはイタリア語で熊の意味。 オルソ・ディ・ボトーネ(Orso di Bobone)がオルシーニの苗字を使い始めたと言われています。オルシーニ家は、ローマ教皇を輩出した貴族。同時代のライバル、コロンナ家とローマを巡って覇権争いをするほど有力な家柄でした。

美しきブラッチャーノ湖を眺める、15世紀の古城

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現在の当主オデスカルキ家は比較的新しいローマ貴族で、1676年に教皇インノケンティウス11世を輩出しています。古城は現在、美術館として公開されている他に映画の撮影所や、会議等で使用されています。結婚式場として広く知られ、美しいブラッチャーノ湖を眺めながらの挙式が人気です。15世紀のこの古城は保存状態がよいことで知られています。見学中は敷地内の壁や通路といった随所から中世時代をイメージできることでしょう。屋上の塔から塔への移動通路は、ブラッチャーノの町と湖を一望できる写真スポットとしておすすめです。

ローマ教皇シクストゥス4世が宿泊

ローマ教皇シクストゥス4世が宿泊

写真:Etsuko Ciao

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城内の階段を上って最初に訪れるのが、教皇シクストゥス4世が滞在した部屋(La sala papalina)です。ローマでペストが流行した際に、この部屋に避難滞在していました。シクストゥス4世はローマの美術やバチカン図書館の拡充、街の美化に投資を行いました。「プリマヴェーラ」「ヴィーナス誕生」の作者ボッティチェッリや、バチカン内のフレスコ画を描いたピントゥリッキオのパトロンとしても知られています。

ローマ教皇シクストゥス4世が宿泊

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ブラッチャーノ湖の眺めの良さもさることながら、色鮮やかな天井には驚きを隠せません。現在もまばゆい輝きを放つこのフレスコ画の天井、作品名「Oroscopo delle nozze(結婚のホロスコープ)」は、1560年のパオロ・オルシーニとイザベラ・デ・メディチの婚礼を祝ってタッデーオとフェデリコのズッカリ兄弟によって描かれました。この部屋は後に図書室となりました。

ローマ教皇シクストゥス4世が宿泊

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トリプティクの部屋(La sala del Trittico)には、ローマ生まれのアントニアッツォ・ロマーノの作品が置かれています。彼は、ローマ教皇の下で働き、バチカン宮殿の装飾を手掛けていました。

部屋の中央が「十字架にかけられたキリスト(Crocifissione di Cristo)」で、両脇に飾られているのが「受胎告知(Annunciazione della Vergine)」です。

フィレンツェ・メディチ家から嫁いだイザベラの逸話

フィレンツェ・メディチ家から嫁いだイザベラの逸話

写真:Etsuko Ciao

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今も使用されているかのような美しいこの部屋は、フィレンツェのメディチ家から嫁いできたイザベラの寝室(Sala Isabella)です。イザベラは初代トスカーナ大公コジモ1世の娘で、1560年にオルシーニ家の当主パオロ・ジョルダーノ・オルシーニと結婚し、二人の結婚式もこの城で行われました。

室内には色鮮やかな装飾で仕上げられた、16世紀のヴェネツィア様式のベットが置かれています。寝室は城の角部屋に当たる部分。自然光が奥まで注がれ、眺めも良く明るい印象の部屋です。

フィレンツェ・メディチ家から嫁いだイザベラの逸話

写真:Etsuko Ciao

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イザベラの夫のパオロは粗野で粗暴な性格と知られ、一方のイザベッラは開放的で夫のいとこトロイロ・オルシーニと恋仲に。二人の仲はパオロに知れ、その後イザベラはフィレンツェ郊外で謎の死を遂げるのです。それは夫パオロの凶行によるものでした。

イザベラのベット横にあるドアは。実は階段の出入り口。この階段から移動が可能となっていました。階段を上ると、シチリアのベットの部屋(Sala del letto Siciliano)へ通じています。

フィレンツェ・メディチ家から嫁いだイザベラの逸話

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ゆらゆら揺れる「鏡」、人形型のシャンデリアは必見!

ゆらゆら揺れる「鏡」、人形型のシャンデリアは必見!

写真:Etsuko Ciao

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ライオンの部屋(la sala del Leone)と呼ばれる一室には、中世時代の鏡がそのままに飾られています。当時の鏡は、ガラスに銀を吹き付けて仕上げたものでした。そのため、ゆらゆらと揺れるように対象物が写ります。鏡の中に見える暖炉の炎と、室内に鏡から反射してできた光を楽しんでいたのです。なんと優雅な時間でしょうか。

ゆらゆら揺れる「鏡」、人形型のシャンデリアは必見!

写真:Etsuko Ciao

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中世時代の鎧やサーベル等の武具が一堂に飾られた部屋。2つのシャンデリアは、一見わかりにくいのですがよく見るとその形に驚かされます。鎧を身に着けた人形がシャンデリアになっているのです。イタリア国内に城は多くあるものの、鎧の人形シャンデリアは他では滅多に見られません。

ゆらゆら揺れる「鏡」、人形型のシャンデリアは必見!

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古城の大台所と、「秘密の庭」での挙式

古城の大台所と、「秘密の庭」での挙式

写真:Etsuko Ciao

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広い中庭に面した部分に、かつての広い台所があります。中は洗い場や、焼き物の作業場に分かれ、鍋や壺等が置かれています。壁には、オデスカルキ家の人々が狩りをした動物の剥製があちこちに飾られています。

古城の大台所と、「秘密の庭」での挙式

写真:Etsuko Ciao

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暖炉は、煙の後が黒く壁にくっきりと残り、忙しく調理に励んでいた料理人達の息遣いがリアルに感じられます。

古城の大台所と、「秘密の庭」での挙式

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結婚式は敷地内の「秘密の庭」で行われます。一般見学コースでは「秘密の庭」は公開されていません。特別な機会のみ許された場所です。緑溢れる芝生と純白の式場、穏やかで美しいブラッチャーノ湖での挙式は、人生でより思い出深い一日となることでしょう。詳しくは関連MEMOの公式サイトでご確認下さい。

ブラッチャーノ・オデスカルキ城の基本情報

住所:Piazza Mazzini 14,00062 Bracciano
電話番号:+39-06-99802379
ファックス:+39-06-99809175
料金:大人1名/8.5ユーロ
開館時間:
(夏時間)月曜‐金曜10:00〜18:00、土曜・日曜10:00〜19:00
(冬時間)月曜‐金曜10:00〜17:00、土曜・日曜10:00〜18:00

※ご参考
2018年10月28日(日)3:00より冬時間、2019年3月31日(日)2:00より夏時間

2018年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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