写真:古都の U助
地図を見る新日吉神宮があるのは、京都国立博物館や智積院のある東山七条から東へ続く坂道を上った先。東大路通に面しこの大きな社碑があるのが目印です。
写真:古都の U助
地図を見る新日吉神宮の参道は途中まで豊臣秀吉を祀る豊国神社の管理する豊国廟と共通しています。そのため新日吉神宮へつづく参道には豊国廟の石碑も。通称女坂とも呼ばれているこの参道、沿道には京都女子大学のキャンパスが建ち並び女子学生の姿が多いのが特徴です。また、喫茶店やレストランなども並びます。
写真:古都の U助
地図を見る参道を歩いて行くとこのような分岐点があり、左側の鳥居の先を行くと豊国廟、右手の石畳の奥が新日吉神宮の境内です。
豊国廟は豊臣秀吉の遺言によって東山・阿弥陀ヶ峯の山上に設けられた墓所で、かつての豊国神社も新日吉神宮と隣接するこの鳥居の先にありました。大阪の陣の後徳川家によって一時廃絶。明治になってから、阿弥陀ヶ峯をのぼる500段以上もの階段の先に伊藤忠太の設計による廟や神門が再建されています。
写真:古都の U助
地図を見る新日吉神宮は参道の坂道を上った地にあるため、京都盆地を挟み東山と反対側にそびえる西山連邦の姿がよく見えます。
写真:古都の U助
地図を見る鳥居や狛犬さんの先には鮮やかな朱色の楼門が。神日吉神宮は応仁の乱で焼け、江戸時代の寛永年間に再興された際には現在の参道の辺りに社殿が置かれ、さらに明治以後現在地に再建されました。
写真:古都の U助
地図を見る楼門をくぐると舞殿、その奥には拝殿があり境内は春は桜が美しく、秋は紅葉が楽しめます。
新日吉神宮は平治元年(1600年)、後白河上皇によって比叡山の守護神である日吉大社の神を勧請し創祀されました。今からおよそ850年も前のことですが、当時は新しく日吉の神を祀ったとのことで、新日吉(いまひえ)の名が用いられました。
写真:古都の U助
地図を見る新日吉神宮で見逃せないのは阿吽の神猿です。こちら阿形の神猿で烏帽子をかぶり右手には鈴、左手には扇子を持っています。
写真:古都の U助
地図を見るこちらは吽形の神猿。口は引き結んでいますが目が大きくて愛らしい顔立ちをしています。御幣を手に魔を祓ってくれる神猿は、新日吉神宮のお守りや絵馬のモチーフにもなっています。
写真:古都の U助
地図を見る本殿の右手側には豊国神社(写真左)と愛宕神社・秋葉神社(同右)のお社が。例年11月14日には「火焚祭」とあわせ、豊国神社の行事として「このもと祭」も行われます。
その他境内社として楼門前にある山口稲荷社、本殿左側にある飛び梅天満宮もあり、それぞれの御朱印をいただく事ができます。
写真:古都の U助
地図を見る新日吉神宮の豊国神社は江戸時代は樹下社(このもとのやしろ)と呼ばれ徳川家によって豊国神社が廃絶された後江戸時代を通じて密かにそのご神体を祀ってきたとされています。
諸説ありますが秀吉の幼名は日吉丸。信長に出仕した頃は木下藤吉郎と名乗り、さらに猿の愛称で呼ばれたこともあって秀吉は日吉大社の神を篤く信仰していたと伝わります。織田信長の比叡山焼き討ちによって被害を受けた、滋賀県坂本の日吉大社を再興させたのも秀吉でした。生前は方広寺を創建し、死後はその東方の阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬するよう遺言したのも、近くにこの新日吉神宮があったことも一因であったにちがいないと考えられます。
写真:古都の U助
地図を見る境内東側、本殿の後ろに回ってくると推定樹齢500年〜800年というスダジイの巨木があり、秋には椎の実(いわゆるドングリ)も落ちてきます。江戸時代新日吉神宮の再建時にはすでに生えていたという古いもので、京都市東山区の区民誇りの木にも選定されています。
写真:古都の U助
地図を見るスダジイの木は根が大きく隆起しているのが特徴で、その根元には巨石も。スダジイの木とともに神秘的な姿を見せています。
住所:京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
電話:075-561-3769
アクセス:京都市バス東山七条より徒歩約6分、京阪七条駅より徒歩約12分
営業時間:参拝自由
2018年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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