再開発で姿が変わる東京・麻布台の行合坂と界隈史跡めぐり

再開発で姿が変わる東京・麻布台の行合坂と界隈史跡めぐり

更新日:2018/10/28 20:52

雲本 らてのプロフィール写真 雲本 らて 散歩ブロガー、坂道探検家
東京メトロ六本木一丁目駅から徒歩数分にある麻布台界隈では、現在、大規模な再開発によりこれまであった街並みが次々となくなろうとしています。今回はそんな再開発が着々と進んでいるエリアに隣接し、影響もかなり受けるであろう行合坂を中心に、今のうちに訪れてみてほしい界隈の史跡や街並みもあわせて紹介します。

再開発で姿が変わる行合坂

再開発で姿が変わる行合坂

写真:雲本 らて

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「行合坂」は、東京メトロ六本木一丁目駅から徒歩3分程度の場所にあります。高速道路を横目に見ながら下っては上るという、普通の坂道であれば下りか上りの一方という形の中、珍しい形をしている坂道です。一度歩いてみるとまわりの景色もあいまって記憶に残る坂道といえるかもしれません。

坂名については、双方から行き合う道のため行合坂と呼ばれるようになったという説が有力です。

再開発で姿が変わる行合坂

写真:雲本 らて

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行合坂は双方から行き合う道ということで、坂上にあたる場所が二箇所あり、双方に坂の碑があります。

坂の東側はまるまる麻布台の再開発エリアのため、現在でも建物が次々と取り壊されており、坂道からの景色も刻々と変化しています。そして、この行合坂もその影響は免れず、西側を通る六本木麻布通り(写真でいえば右側の道路)のレベルまで埋め立てられることが決定しています。ですので、道路自体は同じ位置にあるので地図上では行合坂は存在するのかもしれませんが、坂名の由来にもなった坂の形状でいえば、まったく別の道となってしまう可能性があります。

ぜひ姿が変わってしまう前に訪れてみることをおすすめします。

再開発で姿が変わる行合坂

写真:雲本 らて

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現在の行合坂沿いには、日本で唯一のベラルーシ料理店「ミンスクの台所」や、現在は再開発のため閉店してしまいましたが「ニコラスピザハウス六本木店」という日本におけるピザ発祥のお店が坂下あたりにあるなど、興味深いレストランが軒を連ねていることでも知られています。

台地の記憶

台地の記憶

写真:雲本 らて

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行合坂の北側から東京メトロ六本木一丁目駅の方向に向かう道路は下り坂になっています。現在は手前に高速道路、奥の坂下あたりにはアークヒルズなどずいぶん前に行われた再開発エリアの高層ビルを坂道から眺めることができます。

そして、行合坂のあるあたりは麻布台と呼ばれているとおり、台地になっています。なので、この坂道をとおして建物がなかった頃の台地からの眺めをすこしばかり追体験できる場所であるともいえるでしょう。

近代文化の拠点

近代文化の拠点

写真:雲本 らて

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行合坂の南側には、現在、港区立麻布小学校があります。その地にかつて「旧紀州徳川藩屋敷跡」がありました。現地には案内看板もあります。かつてこの地で当主の徳川頼倫が日本で最初の私立図書館「南葵文庫」を設け、次の当主・徳川頼貞についても日本で最初となる音楽ホール「南葵楽堂」を開設したことでも知られています。

なお、当時の各施設は関東大震災で大打撃を受け、現在は残っていませんが、南葵文庫の蔵書は東京大学総合図書館へ、南葵楽堂に据えられていたパイプオルガンは上野の旧東京音楽学校泰楽堂に移され、今でも聴くことができます。

外務省外交史料館前の道と眺め

外務省外交史料館前の道と眺め

写真:雲本 らて

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行合坂の南東側には、外務省外交史料館がありますが、そのまえの道も印象的です。道路から南東側を見るとちょうど道路の軸線上に東京タワーを眺めることができます。

また外務省外交史料館の隣にあり、この道路とも面している麻布郵便局は、麻布台の再開発で取り壊されてしまいます。1930年に旧逓信省貯金局庁舎として建てられたもので、昭和初期のモダンさが伺えるすばらしい建物です。

ぜひこちらも、再開発で影響を直接受ける場所でもありますので、行合坂とともにひと目みておくことをおすすめします。

行合(ゆきあい)坂の基本情報

所在地:東京都港区東京都港区六本木1丁目および麻布台1丁目と六本木3丁目の間
アクセス:東京メトロ・六本木一丁目駅より徒歩3分

2018年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。

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