福山市加茂町「旨匠 仁助」〜歴史ある旧家で食事を味わう贅沢

福山市加茂町「旨匠 仁助」〜歴史ある旧家で食事を味わう贅沢

更新日:2018/11/11 21:03

村井 マヤのプロフィール写真 村井 マヤ 中国・九州文化的街並探検家
文豪・井伏鱒二の故郷福山市加茂町に、お屋敷が食事処へと変身した明治から続く旧家のお屋敷があります。造り酒屋として地域の方に愛された母屋は、江戸時代から明治にかけて活躍した啓蒙思想家の生家を移築したもの。二重の意味で地域の方々には思い入れのあるお屋敷。

そんな歴史ある場所で、食事が出来るという贅沢。その気分は、「旨匠 仁助」に刻まれた歴史が醸し出すものなのでしょう。旧家でお食事してみませんか?

旨匠 仁助(ししょう にすけ)〜憧れのお屋敷が食事処へ

旨匠 仁助(ししょう にすけ)〜憧れのお屋敷が食事処へ

写真:村井 マヤ

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福山市中心地から車で30分くらいで、「旨匠 仁助(ししょう にすけ)に到着します。数年前まで造り酒屋だった高橋酒造。白壁の塀や堂々とした門構えや広い敷地は、旧家の貫禄を漂わせます。

約2年前に、食事処として生まれ変わり、堂々とした門は開かれました。地域の人も用事がない限り入ったことがなかったお屋敷。そんな場所に入れるとあってか、今では近所の方も訪れ、昔話で花を咲かせる憩いのお屋敷へと変身しました。

旨匠 仁助(ししょう にすけ)〜憧れのお屋敷が食事処へ

写真:村井 マヤ

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「旨匠 仁助」は、オーナーの大橋さんが手掛ける三店舗目のお店。大橋さんは、現在75歳(2018年10月現在)です。2年ほど前にこのお屋敷について相談を受け、取り壊す話を聞いて買うことにしたとか。
バス通りに面しており、自然豊かな神石高原町へと抜ける主要道路のすぐそば。1200坪の敷地を買う勇気もさることながら、お屋敷を見事に復活させたことにも驚きです。

この(写真)貫禄ある門構えに臆してしまい、高価なお店だと思う方も多いそうですが、お食事代は意外にリーズナブルなんです。勇気をもって門の中へ。

旨匠 仁助(ししょう にすけ)〜憧れのお屋敷が食事処へ

写真:村井 マヤ

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門をくぐり、お屋敷の敷地内に足を踏み入れると、堂々とした母屋の全貌が目に飛び込んできます。
この母屋は、福山市の近代化に貢献した医師窪田次郎氏の生家を大正時代に移築したものです。窪田次郎氏については、後ほど詳しく説明します。窪田氏が住んでいた家に、高橋家の方々が手を加えているようですが、高橋酒造廃業後、このお屋敷を受け継いだ大橋さんは、当時の姿を残すことに努めたそうです。

人気の仁助御膳からステーキまで、御馳走ぞろい

人気の仁助御膳からステーキまで、御馳走ぞろい

写真:村井 マヤ

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オーナーの大橋さん曰く、最初は神石高原町(加茂町よりさらに北に位置する町)の野菜をふんだんに使った、精進料理を出すことが目的だったという「旨匠 仁助」のメニュー。ところが、お客様が求めたものは、意外にも肉料理だったとか。写真は、「ステーキ御膳」です。お店のお客様は、年配の方が多いようですが、このお肉メニューは大変人気です。

人気の仁助御膳からステーキまで、御馳走ぞろい

写真:村井 マヤ

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写真は、一番人気の「仁助御膳」です。野菜や、魚、そして蕎麦もついてくるバランス抜群の料理。お昼からかなり贅沢な御馳走です。

人気の仁助御膳からステーキまで、御馳走ぞろい

写真:村井 マヤ

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中庭に面した畳の部屋にテーブルとイスを配したゆったりとした空間。こちらで、お食事をいただけます。食事が済んでも、ずっといたくなる雰囲気が漂いとても気持ち良い空間です。

造り酒屋の面影がそこかしこに垣間見られる

造り酒屋の面影がそこかしこに垣間見られる

写真:村井 マヤ

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畳の部屋がいっぱいの時には、昔の土間のようなお部屋でもお食事できます。「深山」と入口にありますが、これは高橋酒造が醸していたお酒の名前。廃業後は、他の酒造会社にその名前が引き継がれています。作り方も独特のお酒で、醸し方も引き継がれているとのこと。なかなかの名酒なのです。

造り酒屋の面影がそこかしこに垣間見られる

写真:村井 マヤ

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床の間にある掛け軸や、そこらじゅうにさり気なく旧家の面影を感じることができる食事処です。それでいてかしこまった感じではなく、なんだかほっこりするところも素敵ですよね。

造り酒屋の面影がそこかしこに垣間見られる

写真:村井 マヤ

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門の脇にある瓦屋根。奥に見える飾りのようなもの、樽のように見えませんか?さりげなく粋なお出迎えですよね。

<旨匠 仁助の基本情報>
住所:広島県福山市加茂町中野555
電話:084-972-3438
アクセス:福山市街地から車で約30分。中国バス利用で約30分:福山駅前より「高蓋」行き「宇代」で下車、徒歩2分。
営業時間:11時〜21時

福山市加茂町の偉大な文学者・井伏鱒二先生ゆかりの場所も

福山市加茂町の偉大な文学者・井伏鱒二先生ゆかりの場所も

写真:村井 マヤ

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井伏鱒二(いぶせ ますじ/1898-1993)は、広島県安那郡加茂村、現在の福山市加茂町で生まれました。故郷を題材にした作品も多く残している作家です。生家は、室町時代までさかのぼることができる旧家で、代々地主を務めた家でした。今でもご子孫の方がお住まいになっています。生家近くに文学碑がありますので、立ち寄ってみてくださいね。文学好きな方には、意外な穴場ですよ。

<井伏鱒二文学碑の基本情報>
住所:広島県福山市加茂町粟根
アクセス:旨匠仁助から車で5分。旨匠仁助から北東へ右折後国道21号線へ向かう。左折して21号線へ。「井伏鱒二文学碑」でナビ検索できます。

庄屋屋敷の面影残す「窪田次郎生家跡」

庄屋屋敷の面影残す「窪田次郎生家跡」

写真:村井 マヤ

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まるでお城のような石垣があり、高台に位置する窪田家。庄屋屋敷の面影残す立派なお屋敷。この家で生まれた窪田次郎(1835-1902)は、大坂・京都でオランダ医学を学び帰郷後父の跡を継ぎ医者となりました。バセドー氏病の研究、コレラ予防にも努め保健所の前身「衛生会」の設立にも奔走した人物。医療だけではなく政治、教育、衛生と各分野で活躍した郷土の偉人です。

庄屋屋敷の面影残す「窪田次郎生家跡」

写真:村井 マヤ

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窪田次郎生家跡には、今では土塀や石垣、土蔵などが残るのみ。写真の土蔵の前あたりに本宅がありました。礎石と井戸もあります。「旨匠 仁助」のオーナー大橋さんは、大正時代に高橋酒造に移築された窪田家の母屋を、ご自身が亡くなったら元の場所に戻したいと話しておられました(あくまでも希望ですが)。

庄屋屋敷の面影残す「窪田次郎生家跡」

写真:村井 マヤ

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窪田家から眼下に加茂の町も見渡せます。朽ちかけた土蔵だけが残るこの屋敷跡について「土蔵しか残ってないのは可哀想」と語った大橋さん。その言葉を心に留めて、この(写真)景色を見ると、なんだか切ない気分にもなりますよね。

<窪田次郎生家跡の基本情報>
住所:広島県福山市加茂町粟根197
電話:084-928-1278(福山市文化財担当課)
アクセス:山根ストアー、手作りめん処生房などを目印にして久貞竈神社を目指すと辿りつきます。

啓蒙思想家の生家から造り酒屋そして「旨匠 仁助」へ

窪田次郎が医者としてまた啓蒙思想家として活躍した明治時代。その死後しばらくして窪田家のお屋敷は高橋酒造という造り酒屋へと受け継がれました。高橋酒造の廃業後は、大橋正明さんが食事処として再生し、今に生かされています。
大橋さんは、三軒のお店を切り盛りしながら、「大変だけど楽しい」と話されていました。楽しいということは、何かを学ぶときにも大切な思いですよね。江戸時代は医師としてこの町の名士として活躍された窪田家の方々の思いが宿った建物。大橋さんが「楽しさ」のエッセンスを加えて、今は人々が食事をしおしゃべりを楽しむ場所へと変身しました。

「旨匠 仁助」で食事をし、井伏鱒二文学碑や窪田次郎生家跡まで足を延ばして、どんな風にお屋敷が受け継がれ、今に至ったかのか思いを馳せてみるのも素敵ではないでしょうか?

(2018年11月現在の情報です。最新の情報は直接お電話ご確認ください)

掲載内容は執筆時点のものです。 2018/10/25 訪問

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