マルコ・ポーロも称賛!日中戦争の発端地・北京市「盧溝橋」

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マルコ・ポーロも称賛!日中戦争の発端地・北京市「盧溝橋」

マルコ・ポーロも称賛!日中戦争の発端地・北京市「盧溝橋」

更新日:2018/11/16 10:58

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員

「盧溝橋事件」といえば、日本と中国とのあいだで全面戦争に突入するきっかけとなった事件として、その名を知る方も多いでしょう。北京市豊台区には、その盧溝橋事件ゆかりの地が点在していますが、そのなかには名称の由来ともなった「盧溝橋」がいまなお残されています。今回はマルコ・ポーロも称賛したという盧溝橋をご紹介しましょう。

マルコ・ポーロも称賛!北京市の郊外にある盧溝橋

マルコ・ポーロも称賛!北京市の郊外にある盧溝橋

写真:乾口 達司

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「盧溝橋(ろこうきょう)」は、北京市の南西に広がる豊台区にある大理石造りのアーチ橋。かつて「盧溝河」と呼ばれた永定河に架けられており、その全長は266.5メートルあります。

建造は明昌3年(1192)のこと。この地を訪れたマルコ・ポーロは『東方見聞録』のなかで盧溝橋の唯一無二の美しさを称賛しており、それにちなんで「マルコ・ポーロ橋」とも呼ばれています。盧溝橋事件でしかその名を知らない大多数の日本人にとって、盧溝橋がそれほど古くからある石橋であることは、意外に思われるのではないでしょうか。

マルコ・ポーロも称賛!北京市の郊外にある盧溝橋

写真:乾口 達司

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盧溝橋は当地(旧宛平県)の中心地であった城郭都市・宛平城の西側に位置しています。宛平城の西門を抜けると、目の前に現れるのが盧溝橋。手前には受付があり、そこで入場料を支払って入場します。入場料は成人20元。中国ではパスポートを見せないと入場出来ない施設がたくさんありますが、盧溝橋に限っては、わざわざ提示する必要はありません。

マルコ・ポーロも称賛!北京市の郊外にある盧溝橋

写真:乾口 達司

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写真は盧溝橋の西側から宛平城方面を向いて撮影したもの。盧溝橋は近隣住民の生活道路としても使われており、ご覧のように、近隣住民は自転車やバイクで対岸へ渡ります。

近隣住民の入場料は無料。そのせいか、彼らは受付を通らずにどんどん渡っていきます。マルコ・ポーロが称賛したという由緒ある石橋が、いまでも近隣住民の生活道路として普通に活用されているということに心が打たれませんか?

ただし、受付の職員が観光客と近隣住民とをどのように見分けているかは不明。そういったアバウトなところも良いですね。

欄干に注目!501基の獅子像が居並ぶ光景

欄干に注目!501基の獅子像が居並ぶ光景

写真:乾口 達司

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盧溝橋を渡る誰もがまず気付くのは、やはり橋の欄干にしつらえられた獅子の石像群でしょう。その数は501基!その居並ぶ光景は壮観そのもの。圧倒される人も多いのではないでしょうか。

欄干に注目!501基の獅子像が居並ぶ光景

写真:乾口 達司

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獅子像は一体ずつ異なる姿や表情をしています。それぞれの姿や表情を眺めながら渡りましょう。必ずやお気に入りの獅子像を見つけられますよ。

欄干に注目!501基の獅子像が居並ぶ光景

写真:乾口 達司

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側壁にも、ご覧のような彫刻がほどこされています。こういった意匠もマルコ・ポーロに称賛されたのではないでしょうか。

歴史を感じさせる轍の跡

歴史を感じさせる轍の跡

写真:乾口 達司

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橋の中央に並べられた石畳は古くからのもので、1980年代におこなわれた修復工事の折、盧溝橋の長い歴史の証として並べなおされたものです。

事実、その石畳には深い轍の跡が見られ、北京の南西側の玄関口として、これまでにおびただしい数の人やモノがこの上を往来したことをしのばせます。ひょっとしたら、マルコ・ポーロもこの石畳を踏みしめたかも知れませんね。

盧溝橋を顕彰した石碑の数々

盧溝橋を顕彰した石碑の数々

写真:乾口 達司

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宛平城側の橋のたもとには、盧溝橋を顕彰した幾つかの石碑が建立されています。こちらの石碑は「盧溝暁月碑」と呼ばれているもの。刻まれている字は清朝の乾隆帝の筆で、乾隆帝がここでお月見を楽しんだことにちなんで建立されています。

盧溝橋を顕彰した石碑の数々

写真:乾口 達司

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こちらは「康熙盧溝橋修復碑」と呼ばれている石碑。清朝の康熙帝が、洪水によって損壊した盧溝橋の修復をおこない、その完成を記念して建てたもの。高さは6メートル近くあり、摩滅した台座の亀の頭が歴史を感じさせます。

盧溝橋を顕彰した石碑の数々

写真:乾口 達司

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ほかにも、西域からやって来た人たちの姿を模したオブジェなどもあり、盧溝橋が当地における交通の要衝であったことがうかがえます。

日中戦争発端の地としての盧溝橋と中国人民抗日戦争紀念館

日中戦争発端の地としての盧溝橋と中国人民抗日戦争紀念館

写真:乾口 達司

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盧溝橋といえば、やはり「盧溝橋事件」を連想する人が多いでしょう。中国側で「七七事変」と呼ばれている盧溝橋事件の発生は、1937年7月7日の夜から8日の未明にかけて。日本の支那駐屯軍が盧溝橋の北方で夜間の軍事演習をおこなっていた際、発砲主不明の発砲騒動や隊員の行方不明事件が発生。それをきっかけにして支那駐屯軍と、当時、宛平城に駐留していた中国・国民革命軍第29軍とのあいだで武力衝突が起こり、最終的に日中間の全面戦争へ発展してしまいました。

写真はそのことを示す大砲で、敷地内にずらりと並べられています。支那駐屯軍は盧溝橋の北方に広がる原野で演習をおこなっていたとはいえ、そこは国民革命軍が駐留する宛平城とは目と鼻の先。両軍の関係はまさしく一触即発の状態にあり、誰が発砲したかはともかくとしても、起こるべくして起こった事件であったといえるでしょう。

日中戦争発端の地としての盧溝橋と中国人民抗日戦争紀念館

写真:乾口 達司

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こちらは盧溝橋から徒歩数分のところにある「中国人民抗日戦争紀念館」。その名のとおり、盧溝橋事件に端を発する日中戦争の歴史を中国側の視点から紹介した博物館ですが、日中間の不幸な歴史について学ぶためにも、盧溝橋とあわせて足を運んでいただきたいところです。

いかがでしたか?盧溝橋は大陸進出の野望に燃えていた戦前の日本にとって、敗戦へといたる大きなターニングポイントとなった地であり、それだけに一見の価値のあるところです。盧溝橋を訪れた際には、その美しい造型と相反する禍々しい歴史からも決して目を背けず、日本と中国との過去から現在、そして、未来のあるべき姿に思いを馳せてみてください。

盧溝橋の基本情報

住所:中華人民共和国北京市豊台区盧溝橋
入場料:20元
アクセス:地下鉄14号線「大瓦窯駅」より徒歩約30分

2018年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2018/11/06 訪問

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