旧西国街道に面した昆陽寺山門は、江戸時代中期の建築となります。西国街道は定義が複数ありますが、一般的には江戸時代の主要道として、京都の羅城門から下関の赤間関をつなぐ街道。
往来では多くの人がこの山門を見上げ、足を止めてお参りをしたのです。ぜひとも時代の雰囲気を感じてみましょう。
高野山真言宗の寺院で山号は崑崙山(こんろんさん)。崑崙とは中国の伝説上の仙人が住む山。見事な朱色の山門は、絵の題材としてもよく使われ、写生している人に出合うかも知れません。
山門の手前が国道171号線となります。地元では171号線を「いないち」と呼びますが、これが旧西国街道と部分的に一致し、昆陽寺の前には常夜灯が残されています。
昆陽寺がある場所は伊丹市寺本町。常夜灯には寺本村と刻まれており、同じ地名が残されていることも、歴史好きなら興味深いところでしょう。
常夜灯は、嘉永五壬子年十一月とありこれは西暦で1852年。翌年にはペリーが浦賀にやってくるのであり、激動が始まるのです。
山門を潜ると、そこには秋の彩りが。
振り返って山門を見ると、銀杏の色づきと山門の朱色が美しく見えることでしょう。
境内の右手には鐘堂があり、歴史と紅葉を同時に楽しむことが出来ます。鐘堂が作られたのは嘉永元年(1789年)のこと。また、梵鐘は宝暦十年(1760年)で、今から約260年も前のものとなります。
昆陽寺の御本尊は本堂に祀られている薬師如来となりますが、本堂の左手にあるのが行基堂です。
ところで行基とは、どのようなことをした人なのでしょう。昆陽寺に関係するところでは、天平5年(733年)に、貧民救済を目的として「昆陽施院」をこの地に創建したのです。その後に第四十五代、聖武天皇の勅願寺となり伽藍が整備されることになりました。
行基堂の左には白長大明神という鳥居が。神社と寺院が明確に分けられるようになったのは明治(1868年)の神仏分離以降のこと。それまでは神仏習合で、同じ敷地の中に神仏がある信仰形態が一般的だったのです。
境内では、時代の古さが感じられるのではないでしょうか。
行基堂から裏手に進むと、稲荷大明神があります。手前には白長大明神があったことからも、二か所で異なる神の鳥居が並ぶユニークなお寺といえるでしょう。
昆陽寺は、摂津国八十八カ所六十二番霊場にして境内には伊丹市の七福神もあり、広い敷地となっています。静かな雰囲気の中を散策していると、ゆったりとした時間の流れが感じられるのでは。
また、木立の中には行基塚や行基の歌碑がありますので、昆陽寺の雰囲気を楽しみながら探してみてはいかがでしょうか。
<昆陽寺の基本情報>
住所:兵庫県伊丹市寺本2丁目169
電話:072-781-6015
アクセス:JR伊丹駅、阪急伊丹駅よりバスで昆陽里下車、徒歩すぐ
なお、伊丹市には昆陽池公園があり、その池は行基が開墾に力を注いだと伝わっています。そして昆陽池のユニークな所は、飛行機で上空から見下ろすと日本地図があること。伊丹空港利用の際には見下ろしてみましょう。
<昆陽池公園の基本情報>
住所:兵庫県伊丹市昆陽池3丁目
電話:072-784-8134
アクセス:市バスJR伊丹・阪急伊丹両駅前4番から松ヶ丘経由西野武庫川センター前行きで松ヶ丘下車
歴史ある昆陽寺の紅葉。ゆっくりとした時間が流れ、歴史の長さも感じられるのではないでしょうか。
最後に、兵庫県には他にも見どころがたくさん。昆陽寺から近い「門戸厄神・東光寺」は、地元で知らない人はいない厄払いの寺院。姫路には国宝で世界遺産の「姫路城」があり、朝来には天空の城として有名な「竹田城」も。また滝に猿の名がつく珍しい「猿尾滝」も兵庫県。
全ては下記の関連MEMOに情報がありますので、ぜひご覧ください。
2018年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/4/19更新)
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