写真:乾口 達司
地図を見る「文殊院西古墳(もんじゅいんにしこふん)」は奈良県桜井市にある古墳。その名は、日本三文殊の一つに数えられる安倍文殊院の境内にあることにちなみます。
形状は円墳。内部には両袖式横穴式石室が設けられており、現在は南を向いて開口しています。築造時期は7世紀後半と推定され、被葬者は大化の改新後に左大臣となった阿倍内麻呂(安倍倉梯麻呂)の名が挙げられています。当地が古代の豪族・阿倍氏の勢力圏にあること、阿倍氏の氏寺として創建された安倍文殊院の境内に位置していることからも、阿倍内麻呂を被葬者とする説は確かに有力ですね。
写真:乾口 達司
地図を見る文殊院西古墳が美しい古墳であると称えられる理由は、被葬者を埋葬した石室の内部にあります。石室の全長は12.5メートル。被葬者を安置した玄室の長さは5.1メートルで高さは2.8メートル。写真はその玄室を撮影したものですが、ここにかつて置かれていたと思われる石棺はすでになく、代わりに弘法大師・空海が彫ったと伝わる石造りの不動明王像(願掛け不動)が安置されています。
写真:乾口 達司
地図を見る注目していただきたいのは、石室を構成する石材の組み方!石材の花崗岩が長方形に綺麗に切りそろえられた上、規則正しく横積みに組み合わされています。しかも、左右の側壁には模擬線によってあえて目地までしつらえているのです。文殊院西古墳がいかに意匠を凝らした古墳であるか、ここからもうかがえますね。
写真:乾口 達司
地図を見る玄室では天井も見上げましょう。天井部分は巨大な1枚の石材で覆われています。しかも、写真を良くご覧になると、側壁が内側へ少し歪曲しているのがおわかりいただけるはず。つまり、文殊院西古墳の玄室はドーム状に構造化されているのです。石室内に浸透して来る水を外へ逃がすための工夫とされています。その点もぜひお見逃しなく。
写真:乾口 達司
地図を見るこちらは開口部と玄室とをつなぐ羨道の側壁。巨大な石材を組み合わせていることがわかります。しかも、天井の高さが変えられています。良く見ると、大きな石材と石材とをかませるために小さな石材をあいだに挟んでいるのがおわかりいただけるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る反対側の側壁でも下部に同様の石材を見ることが出来ます。こういった意匠も特徴の一つですよ。
写真:乾口 達司
地図を見る開口部で注目したいのは、ご覧の部分。石材に人為的にしつらえられた直線の切り込みがあります。切り込みは左右の石材をつなぐようにしつらえられていますが、この切り込みはいったい何でしょうか。ひょっとすると、開口部を閉じる目的で扉がはめ込まれていたのかも知れませんね。
写真:乾口 達司
地図を見るこちらは石材同士の隙間部分。良く見ると、隙間に何かがあった痕跡が残されていますね。文殊院西古墳と同じく美しい石室を持つ奈良県明日香村の岩屋古墳では石材同士のあいだを接着させるために漆喰が塗られていました。文殊院西古墳に見られるこちらの痕跡も、石材同士の隙間を埋めていた漆喰かも知れませんね。
写真:乾口 達司
地図を見る文殊院西古墳を見学した後は、西古墳と対になるようにして境内に残る文殊院東古墳にも足を運びましょう。ご覧のように、文殊院東古墳は自然石を組み合わせた古墳で、文殊院西古墳のような加工は見られません。それだけに東古墳の築造年代が古いことがわかります。
写真:乾口 達司
地図を見るもちろん、安倍文殊院の境内ですから、本堂にもお参りしましょう。堂内には、鎌倉時代の名仏師・快慶の作である巨大な本尊・騎獅文殊菩薩像をはじめとする5体の渡海文殊が安置されています。仏像好きの方はぜひ拝観しましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る受験シーズンになると、安倍文殊院にはたくさんの受験生が訪れ、合格祈願の絵馬を奉納します。身内に受験生のいる方、あるいはご自身が受験生であれば、絵馬の奉納もあわせてお勧めします。
文殊院西古墳がいかに美しく、意匠を凝らした古墳であるか、おわかりいただけたでしょうか。誰でも気軽に玄室内まで足を踏み入れることが出来るため、ご自身の目で美しい文殊院西古墳に魅了されてください。
住所:奈良県桜井市安倍山(安倍文殊院)
電話番号:0744-43-0002
アクセス:近鉄・JR桜井駅徒歩約10分
2018年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/4/20更新)
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