標高約400mの鬼城山に築かれた古代の山城。それが「鬼ノ城」です。
平成30年5月、「桃太郎伝説の生まれたまち おかやま〜古代吉備の遺産が誘(いざな)う鬼退治の物語」として日本遺産に認定され、その主たる地が鬼ノ城なのです。
場所は吉備高原の南端となり、JR総社駅から車で約30分の距離。鬼城山付近では、大型車が通行出来ない程の細い道を通っていくことになるので、車を利用した観光は運転に十分な注意をはらいましょう。
駐車場に停車し散策の開始となります。歩いてすぐに見えてくるのが復元された西門です。
復元された西門ですが、当時がどのような姿であったのか明確なことは分かっていません。そしてなぜ構築されたのかを含めて一切の記録が無く、詳細は分かっていないのです。しかしながら発掘調査により、7世紀後半に作られたことが分かっています。
鬼城山のほぼ山頂部に築かれていますが、この山の9合目付近から下は急激な傾斜となっており、容易に近づくことは出来ません。周囲は約2.8kmの長さで城壁が造られ、眼下の総社平野を見下ろしていたのです。
眼下の総社平野には役所や寺院等があったことから、立ち上る炊煙が鬼ノ城からも見えたことでしょう。西門は鬼ノ城の象徴的な場所。そして絶好の見晴らしとなっているので、じっくりと周囲を見渡してみて下さい。
既に記載の通り、鬼ノ城については記録が無いので詳細は分かっていません。しかしながら7世紀後半という時代背景から、なぜ作られたのかの推測はされているのです。
教科書にも出てくる白村江の戦い。6、7世紀の朝鮮半島は高句麗・百済・新羅の三つに分断された状態でした。 ここに日本が大きく関係しており、やがて日本(倭国)・百済連合と、高句麗・新羅連合の戦いとなるのです。天智2年(663年)のことでした。
この戦に日本側は敗れることで朝鮮半島の権益を失うのですが、さらに危惧されたことは敵が日本列島へ侵攻してくるのでは、ということでした。
そのため、日本の各地に防御拠点として城が築かれたことが分かっているのです。鬼ノ城も時代背景からすれば、その一つではないかと推測されています。
観光すると、傾斜の厳しい鬼城山山頂部に大きな山城を築いた当時の技術がどれほど高かったのかが分かります。ではなぜ、そこまでして難しい場所に築いたのかは、高い場所から周囲を見渡さねばならなかったから。当時の危機感が感じられるかも知れません。
鬼城山に築かれた山城であることから「鬼ノ城」と呼ばれていますが、この地には伝説が残されています。それがまさに桃太郎の鬼退治の話なのです。
桃太郎のモデルである大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)が、この鬼城山に住んでいた鬼(温羅)に、少し離れた現在の吉備津神社、吉備津彦神社付近から矢を放ち命中させたというものです。
その吉備津神社、吉備津彦神社については、下記の関連MEMOに詳細を記載していますので、参考にしてみて下さい。
鬼ノ城の面白さは、門だけではありません。西門から左側に進むと第一展望台となりますが、この奥が鬼山城山頂で標高397mとなり、遊歩道が整備されています。散策路に従ってさらに奥に進むと、当時の痕跡が遺跡として明確に残っている場所が多くありますので、見逃せません。
無造作に置かれたような岩にも、古代の技術で加工された跡を見ることが出来るので、周囲の自然の美しさと歴史散策を同時に楽しんでみてはいかがでしょうか。
鬼ノ城観光の締めくくりですが駐車場方向に戻り、そこから案内に従って鬼ノ城全体を眺められる展望デッキ(鬼ノ城学習展望台)に向かいましょう。徒歩ですぐに到着します。展望台から全体を眺め、時代を感じてみてはいかがでしょうか。
それでは最後に、岡山県の見どころを紹介します。桃太郎伝説を含め岡山県は見どころが多数ある観光県。吉備津神社、吉備津彦神社はもちろんのこと、鬼ノ城と同じ総社市にある見事な五重塔の備中国分寺も必見です。そして秋には圧倒的な紅葉の名勝地である豪渓を散策。
下記の関連MEMOをご覧のうえ、岡山観光の参考にして下さい。
住所:岡山県総社市黒尾1101-2
電話番号:0866-99-8566
アクセス:JR総社駅から車で約30分
2019年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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