写真:島塚 渓
地図を見る備前岡山藩の初代藩主、池田光政(いけだみつまさ)が、寛文10年(1670年)に庶民の教育を目的として設立したのが、今回紹介する閑谷学校。学問好きの殿様として有名な光政は、水戸光圀(みとみつくに)や保科正之(ほしなまさゆき)とともに、江戸中期の三名君として地元岡山を中心に、今でも多くの人たちに親しまれています。
写真:島塚 渓
地図を見る閑谷学校には農民や商人、武士といった身分を超えた様々な人たちが勉学に励んでいました。さらに、岡山藩の生まれでなくても、入学が可能という寛大な処置まで実施していたんです。まさに幅広い人たちに開かれた、当時の最先端の学問施設と言えるんですよ!
写真:島塚 渓
地図を見る閑谷学校を代表する建物として、もっとも目を引くのが、国宝に指定されている講堂(こうどう)。1と6の付く日には儒教の講義が行われていたという、閑谷学校の中心的な施設です。
実際に閑谷学校の建築工事の指揮を執ったのは、岡山藩士の津田永忠(つだながただ)という人物。講堂には、この津田永忠の工夫が至る所に隠されているんです。
写真:島塚 渓
地図を見る例えば、施設に使用されている瓦は、岡山県特産の備前焼の技術を用いたもの。一般的な瓦が寿命60年と言われているのに対し、備前焼は撥水性と耐久性に優れているため、300年経過した今でもほとんど割れていないんです。さらに、壁土を使わず、木材に引っ掛けて瓦を葺いているので、土の風化を心配する必要もありません。
また、基礎の部分には地面からの湿気を防ぐために、和風のセメントが使用されています。これによって、300年経った今でも、腐ることなく美しい状態のままの姿が残っているんですよ!
写真:島塚 渓
地図を見る講堂の内部は、10本のケヤキの円柱に支えられており、その周りに上部がアーチのような形をした火灯窓(かとうまど)が張り巡らされています。この火灯窓から入る光が、床板に反射されて、なんとも幻想的な雰囲気。
床は透明な漆を刷り込んだ、拭き漆(ふきうるし)で仕上げられているので、いまでも美しい光沢を保っています。鏡のように光る床板を見ていると、実直に学問に励む子どもたちの様子が目に浮かぶような気がしてきませんか。
写真:島塚 渓
地図を見る閑谷学校のもう1つの見どころが、学校全体を取り囲むようにして配置されている石塀(せきへい)。高さ約2メートル、幅が約1.8メートルのかまぼこ型で、全長は765メートルにもなります。(隣接する椿山を含むと総延長は846メートル)
ここには江戸時代に考案された「切込ハギ(きりこみはぎ)」という技法が使用され、石を徹底的に加工して石同士の隙間をなくしています。写真のように隙間なく巧妙に組み合わせる技術があったからこそ、閑谷学校独特の美しい景観ができあがったのです。
写真:島塚 渓
地図を見るそして、この石塀の特筆すべき点は、300年を経て今でも、隙間から草が1本も生えていないこと。これは内部に詰められている石を徹底的に洗浄し、土や植物の種を洗い流しているから。さらに、石を隙間なく密着させることによって、草木の成長に必要な太陽光も差し込みません。
このように、手間暇を惜しまない努力によって、後世まで残る石塀が建造されているのです!
住所:岡山県備前市閑谷784
開門時間:9時〜17時
見学料:大人400円、小中学生100円、65歳以上200円
2019年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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この記事を書いたナビゲーター
島塚 渓
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