写真:乾口 達司
地図を見る「宝積寺」は、京都府乙訓郡大山崎町にある寺院。山崎の合戦の舞台となった天王山の中腹に位置しています。
寺伝によると、創建は奈良時代前期。聖武天皇の命によって僧・行基が建立したとされます。本堂は京都府の文化財に登録されており、入母屋造・本瓦葺。1605年(慶長11)に改築されたものです。内部は大きく分けて外陣と内陣の2区画から成ります。
内陣中央に安置された厨子には、鎌倉時代に作られた本尊・十一面観音菩薩立像(国の重要文化財)が安置されています。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は本堂の軒下に掲げられた扁額。大きく「天王山」と記されているのが、おわかりいただけるでしょう。
「天王山」は宝積寺の背後に山頂を有する山であり、山崎の合戦に際して、秀吉が本陣を置いたところ。それが宝積寺の山号となっていることからも、宝積寺と秀吉とのかかわりの深さがうかがえますね。
写真:乾口 達司
地図を見る宝積寺と秀吉とのかかわりは、明智光秀との決戦に際して、秀吉が宝積寺の位置する天王山に本陣を置いたことに由来します。天王山はやがて秀吉方に属する山崎城として整備され、宝積寺もその城郭の一部としてとりこまれることになりました。
写真は本堂の脇に残る小石。山崎の合戦の折、秀吉がこの石に腰を下ろして采配を振るったことから「出世石」と呼ばれています。こんな小さな石が!?と驚く方も多いでしょうが、立身出世を願う人はこちらの出世石にお祈りしてみてはいかがでしょうか。
写真:乾口 達司
地図を見る本堂の横に位置する小槌宮には、聖武天皇が夢のなかで竜神から授けられたという「打出」と「小槌」とがまつられています。「打出」と「小槌」といえば、大黒天。堂内にたくさん吊るされた提灯にも「大黒天」と記されています。宝積寺が別名「宝寺」と呼ばれるゆえんです。
ちなみに、小槌宮の手前にあるのは、たくさんの絵馬。しかし、絵馬といっても、ここでは巾着で作られています。
写真:乾口 達司
地図を見る宝積寺では、古来、一般的な絵馬とは異なり、このような巾着が絵馬の代わりに奉納されていたのでした。
お願いごとのある方は、こちらの巾着にお名前とお願いごとを書いて奉納してみてはいかがでしょうか。
写真:乾口 達司
地図を見る閻魔堂には、その名のとおり、閻魔王とその眷属の像が多数安置されています。その憤怒の表情は圧倒的!仏像ファンだけでなくとも魅了されますよ。
写真:乾口 達司
地図を見る墓地の横に建つ三重塔は桃山時代の建造で、高さは約20メートル。国の重要文化財となっています。
実はこちらの三重塔も秀吉ゆかりのもの。秀吉公が一夜で建てたともいわれています。堂内には大日如来坐像が安置されていますが、非公開となっています。
写真:乾口 達司
地図を見るこちらの梵鐘は「待宵の鐘」と呼ばれています。室町時代、松田宗誠によって寄進されたもので、「待つ宵のふけゆく鐘のこゑきけば あかぬ別れの鳥は物かは」という待宵小侍従の歌にちなみ、「待宵の鐘」と呼ばれることになりました。
写真:乾口 達司
地図を見る宝積寺は天王山への登り口ともなっています。写真の登り口からだと、1キロメートルあまり。宝積寺を拝観した後、そのまま天王山の山頂を目指すのも一計ですね。
宝積寺の歴史性が運気のアップと深い関わりを持っていること、おわかりいただけたでしょうか。立身出世、金運アップ、どちらも願うためにも宝積寺にご参詣ください。
住所:京都府乙訓郡大山崎町銭原1番地
電話番号:075-956-0047
アクセス:JR山崎駅より徒歩約10分
2024年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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この記事を書いたナビゲーター
乾口 達司
これまでは日本文学や歴史学の世界で培った見識にもとづいて数多くの評論や書評を執筆してまいりました。奈良生まれ、奈良育ちの生粋の奈良っ子。奈良といえば日本を代表する観光地の一つですが、地元民の立場からい…
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(2025/2/9更新)
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