川を越えるとドイツ、という国境の町ヴィアンデンは、ウール川渓谷の小さな町。色とりどりの家並みが美しいこの町を小高い丘の上から見守っているのは、ヴィアンデン城という、ルクセンブルクを代表する有名な古城です。
古代ローマ時代に要塞として建てられていたここは、カロリング王家の隠れ家であったりと、歴史上重要な戦略の拠点として栄えました。ヴィアンデン城は、11世紀になってその砦跡に建てられた、ヴィアンデン伯の居城。ロマネスクとゴシック様式の城塞式の居城は、当時のヨーロッパにおいて、最大かつ最も優美な城とされていました。
写真:松田 朝子
地図を見るその後、内戦などによってヴィアンデン伯は衰退、居城は1820年には売却され、約70年間は住む人もなく荒廃してしまいました。やがて1890年にヴィアンデン城はアドルフ大公の所有となり、1977年には国有化されました。
写真:松田 朝子
地図を見る現在は美しく修復され、常設博物館として一般に解放されています。ここでは、中世に使われていた家具や調度品の展示もあり、当時の暮らしを知ることができます。
またヴィアンデン城は、現在もルクセンブルク大公が来賓をもてなす際などに使われており、日本の皇室が訪れた時の写真も展示されています。
写真:松田 朝子
地図を見る城内の見学は、イヤホンガイド(日本語あり)をつけて番号順に各部屋をまわります。アップダウンに富んだ内部は外観から見る以上に広く、20近くの部屋が複雑に入り組んでいます。
中世の生活をそのまま再現した部屋で興味深いのは、ベッドルーム。写真の、天蓋付きのベッドは、どう見ても小さめのソファーくらいの大きさですが、これでダブルベッドなのです。18世紀末当時、人は横たわらず座った姿勢で寝ていたそうです。ベッドに横たわることは死んだ人のみがする姿勢とされていたのだとか。
写真:松田 朝子
地図を見る十角形の礼拝堂は、後期ロマネスク様式のもっとも素晴らしい作品に数えられています。柱などの多色を用いた装飾は、建設当時のオリジナルです。
写真:松田 朝子
地図を見る内部も美しいヴィアンデン城ですが、最上階から見渡す町も美しく、森の緑の中に点在する色とりどりの家並みや川などが絵画のように感じられます。
<基本情報>
住所:W6P3+23 ヴィアンデン,
電話番号:+352-83-41-08-1
写真:松田 朝子
地図を見る写真の胸像は、フランス人の作家、ビクトル・ユーゴーのもの。「レ・ミゼラブル」の著者でもある彼は 1862年、ヴィアンデンを訪れ、この町とウール川、そしてヴィアンデン城をいたく気に入り、当時の荒廃しきっていたヴィアンデン城の修復を呼びかけたと伝えられています。この像は、ユーゴーがヴィアンデン城を救ったとして造られたものです。
この近くには、彼がフランス国外追放中に数か月過ごした家が、ビクトル・ユーゴー記念館として残っています。
写真:松田 朝子
地図を見るヴィアンデンから川沿いに車で30分ほどいったところにあるエシュテルナッハは、ドイツ国境にあるルクセンブルク最古の町。小さなスイスとも呼ばれる自然景観に恵まれ、ルクセンブルクの人たちにとってのリゾート地でもあります。中世の雰囲気漂う美しい町は、マルクト広場を中心にショップやレストランなどが立ち並び、買い物や食事を中心にそぞろ歩きも楽しめます。
エシュテルナッハの見どころは、698年にルクセンブルクの守護聖人である、聖ウィリボードが創建した修道院。エシュテルナッハは、この修道院ができたことで誕生した町と言われています。
毎年、聖霊降臨祭の次の火曜日(5月または6月、その年によって変動あり)に行われる、エヒテルナッハの「踊りの行進」は、15世紀末から続く聖ウィリボードにちなんだ伝統行事。毎年、町の人口の倍以上の人が集まるという「踊りの行進」はユネスコの無形文化遺産にもなっています。
ヨーロッパの奥座敷のようなルクセンブルクの、さらに奥深い地域、ヴィアンデンやエシュテルナッハは、中世ヨーロッパの歴史そのもの。まだガイドブックにはあまり紹介されていないこのエリアは、SNSにも上がってこないような風景の宝庫です。カメラを携えて、フォトジェニックな中世に遊びに行ってみませんか?
取材協力:ルクセンブルク政府観光局
2019年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
この記事の関連MEMO
- PR -
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/3/19更新)
- 広告 -