野良時計に土居廓中!安芸市に遺る土佐伝統の町並み散策

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野良時計に土居廓中!安芸市に遺る土佐伝統の町並み散策

野良時計に土居廓中!安芸市に遺る土佐伝統の町並み散策

更新日:2019/01/31 09:37

浦賀 太一郎のプロフィール写真 浦賀 太一郎 週末トラベラー

高知県安芸市は、三菱グループの始祖・岩崎弥太郎を輩出し、阪神タイガースのキャンプ地としても知られています。江戸時代から残る武家町の町並み「土居廓中(どいかちゅう)」が国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定され、往時の人々の暮らしを今に伝えます。120年も動いた野良時計や、戦国時代の名残も見られる安芸城跡と共に、旅情あふれる土居廓中を散策してみましょう!

見よう見まねで作った!「野良時計」をまずは目指そう

見よう見まねで作った!「野良時計」をまずは目指そう

写真:浦賀 太一郎

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安芸市への道程は、車なら国道55号線を、電車なら土佐くろしお鉄道で、時折姿を見せる広大な土佐湾を眺めながらの爽快アクセスです!重伝建の土居廓中は、藩政時代の名残から道幅の狭い所が多く、駐車場がありません。

駐車場は、安芸市のランドマークとも言える、「野良時計」のすぐ隣にある、野良時計(溝ノ辺公園)駐車場を目指しましょう。電車なら、安芸駅からバスで10分程ですが、県道211号を20分程歩くのも一つの手です。少しづつ江戸時代に戻っていくようで、なかなか味わい深い町並みですよ!

見よう見まねで作った!「野良時計」をまずは目指そう

写真:浦賀 太一郎

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野良時計は個人宅なので外観だけの見学になります。まだ家ごとに時計のなかった時代に、この土地の地主・畠中源馬という人が時計に興味を持ち、アメリカから取り寄せた時計を分解しては組立し、やがて時計の仕組みを理解するに至ります。

見よう見まねで作った!「野良時計」をまずは目指そう

写真:浦賀 太一郎

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源馬は、自分で作ってみようと思い立ち、なんと、分銅から歯車から、全てのパーツをすべて手作りで作り上げたと言います。明治20(1887)年頃の完成と言い、それからなんと120年あまり稼働していました。現在は国の登録有形文化財に登録され、常時動いてはいませんが、整備すればまだ動くということです。

土佐漆喰に生垣が良い!土居廓中の町並みを散策してみよう

土佐漆喰に生垣が良い!土居廓中の町並みを散策してみよう

写真:浦賀 太一郎

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土居廓中は、野良時計から徒歩約3分の場所にあります。土居廓中の町並みの特徴は、台風の上陸地であったこの地域独特の、「暴風雨」を意識した工夫が随所にみられます。家屋の土佐漆喰壁には、壁から突出した瓦へ雨水を伝い流すことによって壁を守る「水切り瓦」が施されています。

また、塀には玉石を使用した「いしぐろ(写真中央の塀)」が、頑丈に家屋を守っています。塀の意匠は家屋によって色々で、瓦を積み重ねた練塀、縦板張りの板塀など、武家町らしく「敵襲」も想定した工夫も見られます。

土佐漆喰に生垣が良い!土居廓中の町並みを散策してみよう

写真:浦賀 太一郎

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塀だけではなく、町並みの特徴に大きなアクセントをつけているのが、武家だけに使用を許されていたと言われる、土用竹の生垣(写真)です。土用竹は夏の暑さ、冬の寒さ、暴風を防ぐといった役割だけでなく、「いざ戦っ!」という時に、弓矢に使うために植えられていたと伝えられています。

唯一内部公開の武家屋敷・野村家

唯一内部公開の武家屋敷・野村家

写真:浦賀 太一郎

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武家屋敷は4軒が現存しており、その中でも安芸を統治した五藤氏の与力・騎馬として仕えた上流家臣の野村家は内部を公開されており、無料で見学ができます。

唯一内部公開の武家屋敷・野村家

写真:浦賀 太一郎

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野村家の立派な門をくぐると、玄関横に今度は小さな門があります。これは塀重門(へいじゅうもん)と言って、襲撃してくる敵の勢いを削ぐために設けられているものです。また玄関は三畳と狭く、これも敵の立ち回りを制限するのに効果があるとされています。町並みの美観は、実用あってのものなんですね!

一国一城令対策!「安芸土居」と呼ばれた五藤氏の居館跡

一国一城令対策!「安芸土居」と呼ばれた五藤氏の居館跡

写真:浦賀 太一郎

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安芸(安喜)土居は、江戸期を通して土佐国守・山内氏の家老である五藤氏の安芸統治の政庁でした。幕府の一国一城令があるため、「城」とは言わずに中世の土佐で広く使われていた、領主の住む屋敷を表す「土居」と呼称していました。堀には水が湛えられ、ガッチリ積まれた石垣と土塁を見ると、しっかりお城であることがわかります。

一国一城令対策!「安芸土居」と呼ばれた五藤氏の居館跡

写真:浦賀 太一郎

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大手の桝形虎口は特に厳重で、かつては櫓門を設け、土塁に築かれた石垣には練塀が築かれていました。現在は大ぶりな石垣が遺るのみとなっていますが、桝形の形状がそのまま残っているので、土塁、石垣と共に、しっかり古城感も味わえます。

一国一城令対策!「安芸土居」と呼ばれた五藤氏の居館跡

写真:浦賀 太一郎

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安芸を治めた五藤氏は、代々山内氏に仕えた古参の家臣でした。五藤吉兵衛(為浄)は、初代土佐藩主・山内一豊が戦場で矢を顔面に射られた際、草鞋(わらじ)を履いたまま一豊の顔を踏みながら矢を引っこ抜いたというエピソードが伝えられています。

その矢は五藤家代々の家宝となり、土居内にある市立歴史民俗資料館に展示されています。また草鞋は吉兵衛とその一族を祀る、藤崎神社(写真)の御神体となったと伝承されています。

激しい攻防戦の歴史!中世から戦国時代の安芸城(土居)

激しい攻防戦の歴史!中世から戦国時代の安芸城(土居)

写真:浦賀 太一郎

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さて、時代をさかのぼれば鎌倉時代。この地方の有力な豪族であった安芸氏によって、安芸城は築かれました。「土居」と呼称されてもいますが、機能は土佐の特徴的なお城と言えるでしょう。安芸氏は、戦国時代には土佐七雄と称されるほど屈強な一族でしたが、戦国末期に長宗我部元親によって滅ぼされてしまいます。

写真の石垣は、その前後に築かれたと考えられています。大手筋は近世城郭の典型的な桝形虎口でしたが、藩政時代に「土居」と呼ばれる以前の安芸城は、れっきとした戦国の平山城でした。藤崎神社の手前から、古城跡へ上ることができます。

激しい攻防戦の歴史!中世から戦国時代の安芸城(土居)

写真:浦賀 太一郎

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江戸時代にはほとんど実用されていなかったと考えられている平山城の主郭部分(写真)に往時を偲べるよすがはほとんどありませんが、道々に土の盛り上がりや小さな谷のような起伏が見つけられます。これは、土塁や曲輪の跡であるとされています。

激しい攻防戦の歴史!中世から戦国時代の安芸城(土居)

写真:浦賀 太一郎

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こちらは、戦国乱世の生々しい逸話が残る「毒井戸」。長宗我部氏に包囲された安芸氏は、24日間も籠城し、必死の抵抗を試みますが、味方から長宗我部方に寝返るものがあり、その際、井戸へ毒を投じたと言われています。城兵は毒に倒れ、士気は著しく衰えてしまいます。

事ここに至り、城主であった安芸国虎は城兵や領民の助命を条件に降伏、自刃し、戦を終結させたのでした。長宗我部氏も、四国を統一するほどの勢力を誇りましたが、豊臣秀吉により土佐へ押し込められ、関ヶ原合戦では敗軍となり、改易。山内氏が土佐24万石で入封。明治維新まで統治することになるのです。

野良時計、土居廓中、安芸土居(安芸城跡)と、歴史を遡りながら紹介してきました。様々な歴史が折り重なり現在に遺る安芸市の歴史に触れる旅、ぜひ訪れてみて下さいね!

土居廓中の基本情報

住所:高知県安芸市土居953番地イ(安芸城跡)
電話番号:0887-34-8344
アクセス:安芸駅徒歩20分程度(レンタサイクルも便利)、駐車場有
開館時間:常時可能・野村家は8:00頃〜17:00頃 年中無休

2019年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/05/01 訪問

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