北条早雲が築いた名城〜鎌倉「玉縄城跡」に残る遺構と古民家

北条早雲が築いた名城〜鎌倉「玉縄城跡」に残る遺構と古民家

更新日:2019/01/23 14:08

木村 岳人のプロフィール写真 木村 岳人 フリーライター
鎌倉といえば源頼朝が幕府を開いた古都として有名ですが、鎌倉市の北部に位置する玉縄地区には関東地方に勢力を誇った戦国大名・北条早雲が築いた玉縄城が存在します。その跡地は現在大部分が宅地開発されているものの一部に当時の遺構を残しており、また玉縄城の入口にあたる龍宝寺には地域の歴史を物語る歴史民俗資料館や国の重要文化財に指定されている旧石井家住宅が移築保存されており、とても散策のしがいがあります。

七曲坂を登って玉縄城の遺構を体感しよう!

七曲坂を登って玉縄城の遺構を体感しよう!

写真:木村 岳人

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明応4年(1495年)に大森氏から小田原城を奪取した北条早雲は、それを足掛かりに関東地方へ進出します。まずは相模国を平定すべく、三浦半島を本拠地とする三浦氏を倒す拠点として永正10年(1513年)に築かれたのが玉縄城です。

丘陵上に築かれた平山城の玉縄城は壮大な縄張り(城の設計)の堅城として知られており、また外堀が柏尾川に接続することから船で相模湾に出ることができて交通の利便性が高く、三浦氏を倒して相模国を掌握した後も玉縄城は小田原城の盾として利用されました。その城主には歴代当主の子が就くなど、極めて重要視されていたことが分かります。

冒頭で述べた通り、現在の玉縄城は大部分が宅地開発により住宅地やマンションとなっています。本丸に至っては学校の敷地になっており、許可なく立ち入ることはできません。通常時に見学することができる遺構は、「七曲坂」から「太鼓櫓」にかけての範囲です。

七曲坂を登って玉縄城の遺構を体感しよう!

写真:木村 岳人

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「七曲坂」は玉縄城の東側から本丸へと続く登城道で、その名の通りくねくねと曲がりくねった坂道です。途中には武士が詰める為の平場や、最上部には虎口(防衛の為のL字型のスペース)が設けられており、城であった当時の様相を残しています。

七曲坂の上には「太鼓櫓跡」の平場があり、現在は緑地公園として開放されています。また太鼓櫓の下には「焔硝蔵(火薬庫)跡」や切通しがあり、太鼓櫓から見下ろすことが可能です。それらの遺構を眺めながら、往時の玉縄城に思いを馳せてみましょう。

北条氏の菩提寺として栄えた龍宝寺

北条氏の菩提寺として栄えた龍宝寺

写真:木村 岳人

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玉縄城の南東に境内を構える龍宝寺は、玉縄城三代城主の北条綱成(つなしげ)が建立した香華院にルーツを持つ曹洞宗の仏教寺院であり、北条氏の菩提寺として栄えた歴史を持ちます。

天正18年(1590年)には豊臣秀吉が天下統一の最終仕上げとして北条氏を討つ小田原征伐を行いました。玉縄城は徳川家康の軍勢によって包囲されましたが、城主の北条氏勝(うじかつ)は龍宝寺の住職であった良達の説得によって無血開城したと伝わっており、龍宝寺がいかに玉縄城と密接な関係であったかが分かります。

北条氏の菩提寺として栄えた龍宝寺

写真:木村 岳人

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境内の入口に構えられている茅葺の山門は江戸時代中期の元禄年間に築かれたもので、その堂々としたたたずまいに歴史の重みが感じられます。

境内の最奥に鎮座する本堂は昭和26年(1951年)の火災によって焼失しましたが、昭和34年(1959年)に著名な建築家である大岡実の設計によって再建されました。非常に立派な外観のみならず、堂内には本尊の釈迦如来像の他に歴代玉縄城主の位牌も祀られていますので、玉縄城を訪れる際にはぜひともお参りしていきましょう。

「玉縄ふるさと館」で知る玉縄城と地域の歴史

「玉縄ふるさと館」で知る玉縄城と地域の歴史

写真:木村 岳人

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龍宝寺の境内には「歴史民俗資料館」と「旧石井家住宅」が並んで建っており「玉縄ふるさと館」として一体的に整備されています。

そのうち「歴史民俗資料館」の一階には玉縄城の資料が展示されており、在りし日の玉縄城について詳しく知ることができます。中でも立体模型は周囲の地形と共に玉縄城の構造を視覚的に把握することができ、いかに堅固な造りであったのかが良く分かります。

また二階は近隣地域から集めた昔の農具や家具などが豊富に展示されており、なんともノスタルジーな気分に浸ることができるのと同時に地域の歴史を実感することもできます。

国指定重要文化財の茅葺古民家「旧石井家住宅」

国指定重要文化財の茅葺古民家「旧石井家住宅」

写真:木村 岳人

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玉縄ふるさと館の背後に建つ「旧石井家住宅」は、龍宝寺の山門と同じく元禄年間に建てられた古民家です。元は玉縄の北隣に位置する関谷に建っていたものですが、老朽化による建て替えを龍宝寺の住職が惜しみ、寄贈を受けて境内に移築保存しました。

石井家は北条氏に仕えていた地侍で、江戸時代には名主(村の長)を務めていた旧家です。土壁の家屋は古式な趣きを見せており、神奈川県下に残る伝統的な農家建築の典型例として昭和44年(1969年)に国の重要文化財に指定されました。

鎌倉時代からの古い寺社が密集する鎌倉市には国宝や重要文化財が数多く存在しますが、農家の重要文化財はこの旧石井家住宅が唯一の存在です。

曲がりくねった木材を使ったダイナミックな梁は必見!

曲がりくねった木材を使ったダイナミックな梁は必見!

写真:木村 岳人

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旧石井家住宅の内部は土間、板敷の広間、畳敷きの座敷が一列に並ぶ「三間(みま)取り」と呼ばれる形式であり、17世紀末における農家建築の特徴を良く残しています。

ぐり戸から内部に入ると、まずは年季の入った達磨ストーブが出迎えてくれます。たらいや洗濯板、すり鉢など、実際に使われていた生活用具が並べられており、昔の生活の様子をしのぶことができます。

ぜひ見て頂きたいのが広間の頭上に掛かる梁です。ぐんにゃりと曲がりくねった木材を巧みに利用しており、まるで現代アートのよう。この家屋を建てた人々のセンスと遊び心がひしひしと感じられます。

玉縄ふるさと館(歴史民俗資料館・旧石井家住宅)の基本情報

住所:神奈川県鎌倉市植木129(龍宝寺境内)
電話番号:0467-45-7411(玉縄城址まちづくり会議)
アクセス:JR東海道線「大船駅」から徒歩約20分
拝観料金:200円(学生100円)
拝観時間:9時〜15時(年中無休)

2019年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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