江戸情緒を堪能!浮世絵にも描かれた旧東海道「戸塚宿」

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江戸情緒を堪能!浮世絵にも描かれた旧東海道「戸塚宿」

江戸情緒を堪能!浮世絵にも描かれた旧東海道「戸塚宿」

更新日:2019/02/09 20:52

Isao Noguchiのプロフィール写真 Isao Noguchi 著述業、観光検定教材製作者、ブロガー

旧東海道「戸塚宿」は江戸時代、起点の日本橋から数えて5番目の宿場でした。朝に江戸を発った旅人にとって、一泊目の宿泊地に丁度よい距離だったことから大変賑わいました。当時の宿場範囲は市街地を中心に南北約12kmに及びます。歌川広重の浮世絵『東海道五十三次』にも描かれた風景は今も面影を残し、随所に風情を感じられます。江戸から現代への変遷を感じながら、歴史散策を楽しめるスポットをご紹介します。

浮世絵に描かれた風景を探訪!戸塚宿の玄関口「吉田大橋」

浮世絵に描かれた風景を探訪!戸塚宿の玄関口「吉田大橋」

写真:Isao Noguchi

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日本橋から京都へと向かう道中には「見附」と呼ばれる検問所のような施設がありました。当時は一般的に江戸側の出入口を「江戸方見附」、京都側を「上方見附」と呼びました。この範囲の中に宿場・宿内があったのです。

その「江戸見附跡」を過ぎて見えてくるのが「大橋」です。現在は「吉田大橋」と名前を変えていますが、戸塚区内を流れる柏尾川に架かる橋には広重の『東海道五十三次』の浮世絵が飾られています。

浮世絵に描かれた風景を探訪!戸塚宿の玄関口「吉田大橋」

写真:Isao Noguchi

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広重の浮世絵に描かれている「大橋」は1986年に架け替えられました。江戸時代の当初は、丸みを帯びた弧を描く美しい「木橋」で旅人を戸塚宿へと繋いでいました。

現在の「吉田大橋」にも江戸時代の風情を忍ばせるデザインが施されており、大名行列で槍持ちが持つ「毛槍」をイメージした照明灯などが印象的です。

浮世絵に描かれた風景を探訪!戸塚宿の玄関口「吉田大橋」

写真:Isao Noguchi

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橋の袂には広重が描いた「大橋」の浮世絵がパネルとして残っています。目の前に広がる現在の風景と浮世絵を見比べると街の変化が一目瞭然です。

浮世絵に描かれている「こめや」は東海道と鎌倉道の分岐点に位置し、他の浮世絵でも描かれています。この描写のスケッチ地点と思われる場所に立ってみると、東京から京都(戸塚)方面を描いていると推測されます。

寺院のイメージを覆す近代建築!老若男女に優しい「善了寺」

寺院のイメージを覆す近代建築!老若男女に優しい「善了寺」

写真:Isao Noguchi

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善了寺は真言宗の寺院として建立されましたが、1233年に浄土真宗に改められました。改宗時の寺院は退廃の一途を辿っていましたが、武田信玄の家臣であった「釈了唯」が状況を憐れみ中興に尽力しました。

現在の寺院は地域のコミュニティスペースとしても活用されており、本堂まではバリアフリーに対応した坂道が整備されています。

寺院のイメージを覆す近代建築!老若男女に優しい「善了寺」

写真:Isao Noguchi

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教会を連想させる本堂は、耐震上の理由から2016年に大きく様変わりをしました。浄土真宗の寺院であることを象徴するのは、本堂脇に建つ「親鸞聖人像」です。

善了寺は幾度も災難に見舞われてきました。1867年には鐘楼を残し全焼。再建後も関東大震災での半壊によってさらに改修が行われ、終戦後に再建した本堂は2014年まで残っていました。

寺院のイメージを覆す近代建築!老若男女に優しい「善了寺」

写真:Isao Noguchi

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本尊には阿弥陀如来像が祀られており、境内には「阿弥陀堂」が建てられています。金色の装飾が参拝時に一際目を引きます。

本堂と同様に和様建築ではないため、建築の観点から従来の日本寺院とは一線を画していると言えます。

家康を弔いながら生涯を閉じた「お万の方」と「清源院」

家康を弔いながら生涯を閉じた「お万の方」と「清源院」

写真:Isao Noguchi

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清源院は京都の総本山「知恩院」の末寺です。元々「長円寺」と呼ばれていましたが、戦国時代以降は廃絶状態でした。その後、徳川家康の側室であった「お万の方」によって、1620年に再興されました。

市街地の中心に位置し、駅からのアクセスは抜群です。境内には「葵の御紋」が随所に掲げられ、大名行列でさえも清源院の前を通る際は槍の穂先を下げて進んだと伝えられています。

家康を弔いながら生涯を閉じた「お万の方」と「清源院」

写真:Isao Noguchi

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清源院は徳川家にとって格式高い寺院であり、「戸塚七福神」としても有名です。本堂は改築されたばかりで、境内には「清源院芭蕉句碑」も残されています。

将軍家ゆかりの寺院とあって敷地は広大です。駅前の一等地に樹々が生い茂り、街の喧騒も忘れてしまうほどです。

家康を弔いながら生涯を閉じた「お万の方」と「清源院」

写真:Isao Noguchi

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境内に建てられた梵鐘は1744年に鋳造されました。本堂が改築される際も鐘楼(鐘を設置した建物)は残され、歴史を感じさせます。

お万の方は家康亡き後、この寺院で菩提を弔い続けました。山頂には火葬跡とされる碑が残っており、その生涯を後世に伝えています。

息を飲む荘厳な山門!宿内随一の規模を誇る「高松寺」

息を飲む荘厳な山門!宿内随一の規模を誇る「高松寺」

写真:Isao Noguchi

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高松寺は「本陣」に向かう道中から少し逸れた、有料道路「横浜新道」の近くにあります。参道へと曲がった瞬間、荘厳な山門が目に飛び込んでくるため、その光景に息を飲みます。境内には本堂の他に茶室も設けられており、創建は安土桃山時代末期です。

戸塚宿が整備された時期には宿内でも有数の規模を誇っており、その他の寺院と比較してもスケールの大きさを感じさせます。この寺院を創建した「高松頼重」は喜岡城(旧高松城)を築城した武士で、境内に立つと武骨な雰囲気が伝わってきます。

息を飲む荘厳な山門!宿内随一の規模を誇る「高松寺」

写真:Isao Noguchi

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山門は2階建てです。上層階に登ると「梵鐘」が吊るされた「鐘鼓楼」となっており、催事の際には鐘が突かれます。山門をくぐると本堂裏手に里山が広がり、奥行きのある境内が気持ちをリフレッシュさせてくれます。

敷地内には閻魔堂が建てられ、堂内は「閻魔大王」が祀られています!閻魔堂の左手前には「戸塚七福神」のひとつ、「大黒天」を祀っています。

息を飲む荘厳な山門!宿内随一の規模を誇る「高松寺」

写真:Isao Noguchi

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本堂には横浜市の指定有形文化財となっている「仏涅槃(ぶつねはん)図」と「雲岫和尚(うんしゅうおしょう)像」が奉納されています。特に「仏涅槃図」は江戸時代前半に狩野系の「町絵師」が描いたとされ、市井の絵師にまで繊細な技術が伝わっていたといえます。

また、墓地入り口付近に建つお堂には「おびんづる様」と呼ばれる仏像が鎮座しています。唐で創作されたと言われ、頭を撫でるとご利益があるそうです。

戸塚宿の歴史を今に伝える「本陣跡」今も変わらぬ街の賑わい

戸塚宿の歴史を今に伝える「本陣跡」今も変わらぬ街の賑わい

写真:Isao Noguchi

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「国道1号線」沿いにある「戸塚郵便局」付近に「本陣跡」の記念碑が建っています。注意深く歩いていないと見落としがちですが、当時の宿場内地図などが掲載されています。

戸塚宿に二つあった本陣は内田家と澤邊家がつとめました。近くには「明治天皇・戸塚行在所阯」の碑もあり、「澤邊本陣」裏手は今も澤邊家住宅となっています。

本陣は畳にして152枚分という広さで、大名をはじめとする要人が宿泊しました。少し先へ進むと一般の旅人も泊まれた「脇本陣跡」があり、宿場町として多くの旅人が戸塚宿で疲れを癒やしたことが伺えます。

旧東海道 戸塚宿の基本情報

住所:神奈川県横浜市戸塚区戸塚町 東海道
電話番号:045-866-8326
アクセス:JR東海道線 戸塚駅下車

2019年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2019/01/21 訪問

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