写真:乾口 達司
地図を見る宛平城(えんへいじょう)は北京市豊台区にある城郭で、永定河沿いに位置しています。宛平城は華北地域においてもっとも保存状態の良い城郭として知られており、その着工は明代末期の1638年。明王朝に反旗を翻した李自成の攻勢から首都・北京を防衛するため、宦官の武俊によって築かれました。築城当初は「拱極城」と呼ばれていましたが、1928年、当時の宛平県庁が城内に置かれたのをきっかけにして、現在の名にあらためられました。
城郭は東西640メートル、南北320メートルと広大。形式は両門式城郭と呼ばれるもので、その名のとおり、東西両側に城門が設けられています。写真は東門に当たる順治門です。
写真:乾口 達司
地図を見るこちらは西門に当たる永昌門。清の時代には威厳門と呼ばれました。
写真:乾口 達司
地図を見る城門をくぐり抜けても新たに城門が待ち構えています。すなわち、順治門・永昌門いずれも外門・内門の二重構造から成っており、外敵の侵入をいかに厳重に防ごうとしていたかがわかります。
写真:乾口 達司
地図を見る城門はレンガを積み重ねた造りで、上には楼閣も設けられています。楼閣からは遠くまで見渡せるため、これなら外敵の侵攻も事前に察知することが出来ますよね。
写真:乾口 達司
地図を見るもちろん、通路には大きな扉が取り付けられていました。写真は扉に取り付けられた閂のはめ込み穴と思われます。
写真:乾口 達司
地図を見る城門を抜けると、写真のような街並みが広がっています。城内を東西に貫くメインストリートの街並みは清朝風に再現されています。
写真:乾口 達司
地図を見るこちらは旧宛平県庁の建物。現在は県庁としての役割を終えており、内部に立ち入ることが出来ませんが、その意匠からは当時の面影をしのぶことが出来ます。
写真:乾口 達司
地図を見る城内にはお寺もありました。これは長隆寺の山門。現在、長隆寺の境内には小学校が建てられており、かつての山門は小学校の正門となっています。
写真:乾口 達司
地図を見るもちろん、城内にはいまもたくさんの人が暮らしています。メインストリートから路地へ一歩足を踏み入れると、ご覧のとおり。路地の入口には屋根付きの門がしつらえられています。
写真:乾口 達司
地図を見る家屋によっては、入口にご覧のような縁起ものが貼られていることもあります。いかにも「中国」といったような貼りものですよね。
写真:乾口 達司
地図を見る路地は入り組んでいて、さながら迷路のよう。路地を散策することは構いませんが、大声をあげたり、家屋に立ち入ったりと、路地に暮らす住民の迷惑になるようなことは慎みましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る宛平城を城壁沿いに歩くと、壁のいたるところに大小さまざまな穴があいているのが、おわかりになるでしょう。これは1937年7月7日の深夜から翌日の未明にかけて起こった盧溝橋事件およびその後に繰り広げられた日中戦争時代の遺構なのです。
1937年7月7日の深夜、宛平城の北方で夜間演習をおこなっていた日本の支那駐屯軍に対して何ものかが発砲。隊員の一人が行方不明になったことから、宛平城に駐留していた中国軍とのあいだで武力衝突が発生します。盧溝橋事件です。この事件をきっかけに日中双方の対立は激化。遂には全面戦争に突入することになりました。宛平城の城壁に残る穴は日本軍の砲撃によって出来たもので、中国軍が城内に駐留していたとはいえ、一般人も暮らしていた街にも攻撃が加えられています。盧溝橋事件といえば、事件の舞台となった盧溝橋にばかり目が向けられがちですが、宛平城も事件の舞台となったことをご理解ください。
いかがでしたか?近年、地下鉄14号線が開通したこともあり、北京市の中心部からのアクセスも飛躍的に便利になりました。宛平城を訪れ、近世の中国式城郭の特徴に触れてみてください。
住所:北京市豊台区宛平城
アクセス:地下鉄14号線「大瓦窯駅」より徒歩約25分
2019年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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