古代朝鮮半島とのつながりを示す!滋賀県日野町「鬼室神社」

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古代朝鮮半島とのつながりを示す!滋賀県日野町「鬼室神社」

古代朝鮮半島とのつながりを示す!滋賀県日野町「鬼室神社」

更新日:2019/03/01 15:00

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員

日本の古代史を考える上で、大陸とのかかわりを抜きにすることは出来ません。とりわけ、朝鮮半島とのかかわりは密接であり、百済をはじめとする国々からはさまざまな人やモノがやって来て、それが古代の日本列島に大きな影響を与えました。そんな朝鮮半島とのつながりを示す神社が滋賀県日野町にあります。「鬼室神社」です。今回は朝鮮半島からの渡来人・鬼室集斯をまつる鬼室神社をご紹介しましょう。

鬼室集斯をまつる滋賀県日野町の「鬼室神社」

鬼室集斯をまつる滋賀県日野町の「鬼室神社」

写真:乾口 達司

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「鬼室神社(きしつじんじゃ)」は滋賀県蒲生郡日野町にある神社。その名のとおり、「鬼室集斯(きしつしゅうし)」という実在の人物を祭神としています。

鬼室集斯は7世紀後半に活躍した人物で、古代朝鮮半島において大きな力を持っていた百済から倭(日本)にやって来た渡来人です。663年(天智天皇2年)、倭は滅亡の危機にあった百済を救援するため、朝鮮半島に進出しますが、白村江の戦いにおいて、唐・新羅の連合軍に敗北。それにともない、数多くの避難民が倭に逃げて来ました。鬼室集斯の一族もその際に日本列島に渡って来たと考えられています。

『日本書紀』によると、665年(天智天皇4年)、鬼室集斯は小錦下の位に叙せられ、669年(天智天皇8年)には佐平余自信など男女700余人とともに近江国蒲生郡に遷されています。したがって、かつて「蒲生野」と呼ばれた日野町の東端に、現在の鬼室神社が鎮座していることは『日本書紀』の記述と合致するものであるといえるでしょう。

鬼室集斯の墓?本殿とその背後にある石祠

鬼室集斯の墓?本殿とその背後にある石祠

写真:乾口 達司

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鬼室集斯の経歴で特筆すべきは、天智天皇がおさめていた当時の近江朝において「学職頭」の役職にあったこと。学識頭とは、後年、律令制度において「大学頭」と呼ばれることになる役職の前身と考えられており、鬼室集斯が当代きっての学者であったとともに、いまでいうところの文部科学大臣のような地位にあったことを示しています。

日本列島に残された朝鮮文化を探索した作家・金達寿は『日本の中の朝鮮文化』(講談社)のなかで「百済王朝の遺臣、それが日本のこちらへ来てはすぐに大学頭、文部大臣になったという天智帝の近江朝というのは、いったいどういうものであったのだろうか」と書いていますが、朝鮮半島からの渡来人でありながら、朝廷においてこういった地位に就いているということは、現代の感覚では確かに不思議ですよね。しかし、逆にいえば、それほどまでに当時の朝廷は朝鮮半島と密接なかかわりを持っていたことの表われであるといえるでしょう。

写真は鬼室神社の本殿。滋賀県の一角にそのような高い地位にあった渡来人をまつる神社があったなんて、驚きませんか?

鬼室集斯の墓?本殿とその背後にある石祠

写真:乾口 達司

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本殿の内部はご覧のとおりですが、注目したいのは、朝鮮半島とゆかりの深い仏像や文物の写真が額入りで飾られていること。さすがは朝鮮半島からの渡来人をまつった神社ですよね。

鬼室集斯の墓?本殿とその背後にある石祠

写真:乾口 達司

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本殿の裏側には、ご覧のような石の祠があります。祠のなかには八角形の石柱が安置されており、正面には「鬼室集斯墓」、その右面に「朱鳥三年戊子十一月八日殞」、左面に「庶孫美成造」と書かれています。すなわち、これこそ鬼室集斯の墓石にほかならないのです。

ただし、その石柱は中世以降のものであり、鬼室集斯のはるか後代の子孫あるいはその関係者がその遺徳を偲んで建立したものではないかとも考えられます。いずれにしても、鬼室集斯ゆかりのものがいまも残されているというのは興味深いですね。

鬼室集斯を偲んで建立された東屋

鬼室集斯を偲んで建立された東屋

写真:乾口 達司

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境内には、ご覧のような東屋も建立されています。その名も「集斯亭」。鬼室集斯の父親ではないかとも考えられている百済復興運動の主導者・鬼室福信が大韓民国扶餘郡恩山面にある恩山別神堂にまつられている関係で、現在、日野町と恩山面とのあいだでは姉妹都市協定が結ばれています。その両者の交流活動の一環として、2009年、集斯亭が建立されました。朝鮮半島の仏閣でしばしば目にする丹青の彩色などに、集斯亭の特徴が良く表されています。

鬼室集斯を偲んで建立された東屋

写真:乾口 達司

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軒下には「集斯亭」の名を刻んだ看板も掲げられています。その作者は「百済後人」。作者の詳細なプロフィールは不明ですが、その名のとおり、朝鮮半島にルーツを持つ人物でしょう。

鬼室集斯を偲んで建立された東屋

写真:乾口 達司

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ほかにも、ご覧のような記念碑も建立されています。建立したのは滋賀県韓国商工会議所。鬼室神社がいまなお朝鮮半島出身者から篤く崇敬されていることがうかがえますね。

これも珍しい!日本語・ハングル併記の案内板

これも珍しい!日本語・ハングル併記の案内板

写真:乾口 達司

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したがって、案内板には日本語とハングルの両方が記されています。境内に設置されている解説板も同様です。現在も韓国人や朝鮮半島にルーツを持つ人たちがしばしば鬼室神社に参拝しており、日本語のほかにハングル表記があるというのも納得です。

いかがでしたか?滋賀県に渡来人をまつる神社があること、おわかりいただけたでしょうか。朝鮮半島をふくむ東アジアとのかかわりを抜きに日本の古代史を理解することが出来ません。鬼室神社に参拝し、東アジアのなかの一国としての日本の過去・現在・未来に思いを馳せてみてください。

鬼室神社の基本情報

住所:滋賀県蒲生郡日野町小野
アクセス:近江鉄道桜川駅からバスで約25分

2019年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2019/01/01 訪問

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