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写真:Chanos Maya
地図を見る紀元前6000年頃から始まるキプロス。トルコやギリシャ、イスラエルなどの中近東が迫るそのロケーションにより常に歴史上の舞台となってきました。
長い歴史の中でギリシャ系とトルコ系の住民が住むようになったキプロス。四国の半分ほどの小さなこの島が、国連がコントロールする緩衝地帯「グリーンライン」でふたつに分断されるきっかけになったのが1970年代のキプロス紛争。ギリシャ系住民の多い南部キプロスと、分離独立を求めるトルコ系住民との衝突を抑止するために1974年にグリーンラインが引かれ、島の南部はギリシャ系の「キプロス共和国」、北部はトルコ系住民が多く住む「北キプロス・トルコ共和国」に分かれました。
北キプロスは、世界で唯一トルコだけが国家として承認しており、一般的に国として認められていません。しかしキプロスの南北で使われる言語や通貨だけでなく、宗教などの文化習慣もグリーンラインを境に異なり、事実上は別の国として存在しています。
写真:Chanos Maya
地図を見るキプロス島の中心から北東の内陸に位置する首都ニコシア。キプロスの玄関口ラルナカ空港からは車で約1時間のところにあります。
ラルナカ空港がキプロス共和国内に位置していることもあり、多くの旅行者は南のキプロス共和国側のニコシアに滞在しますが、グリーンラインを越える手間を気にしなければ北側のニコシアに泊まることももちろん可能。かつては地雷が埋められ人の行き来はなかったグリーンラインにクロスポイント(国境)がおかれ、2008年から24時間パスポートさえあれば誰でも南北キプロスを行き来できるようになりました。
双方の治安はもうグリーラインがなくてもいいほどに安定しています。グリーンライン内にあるさびついたまま放置された国連の監視塔。クロスポイントにも国境らしい塀や壁があるわけではありません。南北を分けるものはポールに括りつけられた古びたビニールテープと簡単な検問所だけというところも。でもこのクロスポイントを越えただけで、それぞれの国の「2つのニコシア」が見えてくるのです。
写真:Chanos Maya
地図を見るニコシア市内7カ所にそのグリーンラインを越えるためのクロスポイントがあり、2ヵ所は徒歩でのみ行き来することができます。その一つ、ギリシャ側ニコシアのレドラ通りに置かれたクロスポイントはキプロス分断の象徴にもなってきた場所。つい最近まで繁華街のど真ん中がグリーンラインで行き止まりになるという異様な光景を見せてきました。今は双方のイミグレーションオフィスでパスポートを見せるだけで、文字通り数歩で「お隣の国」のニコシアです。
ニコシア旧市街、西はずれのクロスポイントはギリシャ側キプロス共和国の検問と北キプロスの検問の間は、双方どちらの国でもない緩衝地帯(グリーンライン)が通っています。グリーンライン内の建物にはUN Buffer Zoneという住所が記載され、車のナンバーも国連独自のもの。ここは「どこにも属さない国」を歩ける世界でも珍しい場所です。
ここのグリーンライン内に今も建つ「レドラパレスホテル」はニコシア一番の高級ホテルでした。紛争でできた銃撃跡は今も残されたまま。紛争中にはジャーナリストたちが拠点にし、その後は南北統一にむけた会議も行われた場所。現在は駐留する国連部隊の住居になっています。ニコシアの近代歴史を見つめてきた建物が今も残されています。
写真:Chanos Maya
地図を見るたいていのグリーンラインは有刺鉄線やコンクリート壁などで隔てられています。ニコシア旧市街をグリーンラインに沿って歩いていくと、金属のフェンスが途切れ、乱雑に積み重なったドラム缶などがフェンス代わりに置かれただけのところもあります。
そんなフェンスの隙間からは、時に緩衝地帯内に残る廃墟となった家や建物が見えます。黄色く曇った窓ガラス、崩れた家、古い看板・・・人々の暮らしがそこにあったことを50年経つ今もはっきりと見せつけます。そこに住んでいた人々が退去せざるをえなくなった70年代から時間は止まったままです。
ニコシアの旧市街を歩くと、この緩衝地帯やグリーンラインがなぜ今も必要とされるのかを考えさせられ、平和であることのありがたさを感じます。
※クロスポイント以外の場所からはグリーンライン内に入ることはできません。またグリーンライン内を撮影することは禁止されています。
写真:Chanos Maya
地図を見る旧市街南側、キプロス共和国のニコシア。メインストリートのレドラ通りを中心におしゃれなブティックやカフェが並びます。脇道にそれると雑貨店やテラス席のあるレストランなど、かわいらしい石畳の道が迷路のように広がります。
ギリシャ系住民の多いキプロス共和国にはギリシャ正教会の教会も点在しています。旧市街の真ん中にあるファネロメニ教会は16世紀からある、ニコシアで最も大きい教会です。また旧市街の西はずれにある考古学博物館は、キプロス島がイギリスに占領されていた19世紀からある博物館。紀元前5800年頃の新石器時代からビザンツ帝国頃の発掘物まで、1万年以上あるキプロスの長い歴史を物語る貴重なコレクションが展示されています。
ユーロに属し、通貨もユーロが使われるキプロス共和国側の旧市街。ヨーロッパ風の洗練された街並みが印象的です。
写真:Chanos Maya
地図を見る外国資本のお店が並ぶレドラ通りから検問所と今にも切れそうなビニールテープが張られたクロスポイントを越えて、北キプロス側のニコシアへ。がらりと街の雰囲気は変わり、そこは明らかに別の国。教会ではなく、モスクへ。モスクからはアザーンが流れ、細い路地には中近東のお菓子バクラワを売るスタンド、小さな商店が所狭しと並びます。北側のニコシアはイスラム文化に根ざしたエキゾチックな街並みが広がります。
イスラム教徒の多いトルコ系住民に愛されるモスク「セリミエモスク」はもともと13世紀に「セントソフィア聖堂」として建てられた教会。オスマン帝国時代にモスクに生まれ変わった、見た目はまさに「教会」なユニークなモスクです。
北キプロスを代表する建造物キャラバンサライは、1572年に建てられたものが現在も美しく残されています。現在はアトリエやセンスのいいハンドメイドの雑貨店、カフェなどが入る商業施設になっています。
洗練された美というよりも、使い込まれた美しさのある北キプロス側ニコシア。生活感あふれる街の色はどこか懐かしい、そんな雰囲気の旧市街です。
写真:Chanos Maya
地図を見るギリシャ料理やトルコ料理に近いキプロス料理。食文化には国境はなく、ニコシアのどこでもおいしいキプロス料理をいただくことができます。
ハムス(ひよこ豆のペースト)やオリーブ、グリルドミートボールなど小さなポーションのキプロス料理が盛り合わせになったMeze(メゼ)は多くのレストランのメニューにある代表的な一皿。羊とヤギのミルクで作られるハルミチーズはグリルしていただきます。ハルミチーズをはじめとするチーズ料理は南北キプロスの食に欠かせません。
4000年以上の歴史があるともいわれるキプロスワイン。キプロスはワインの生産も盛んで南北キプロスにワイナリーが点在しています。ニコシアの多くのレストランでキプロスワインを味わうことができます。
コーヒーを注文すると、普通のブラックコーヒーが出てくるギリシャ側。カップの底にコーヒーの粉が沈んだターキッシュコーヒが出てくるトルコ側。ニコシアで食文化の違いに気づくのはコーヒーを飲むときだけかもしれません。
使い古したテープが南北ニコシアを隔てるクロスポイント、小さな首都で接する全く異なる風景や文化、ニコシアのど真ん中を通るグリーンラインの存在、キプロスの複雑な国情が垣間見えるニコシア旧市街。
2008年に自由に南北キプロスを行き来できるようになって以来、治安はとても安定しています。ちょっと向こうに買い物へ、という感じの地元の人がクロスポイントを通過して行くのを見ると、この小さな街をパスポートをもって行き来し、グリーラインとともに生活をすることはキプロスの人にとって当たり前のことになっているようです。
一つの首都で2つの異なる国の街並みを見ることは、世界でニコシアでしかできない体験です。複雑な歴史によって生まれた「分断された首都」ニコシアを散策してみませんか?
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(2022/6/27更新)
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