赤坂乃木坂近くで必見!現存する日露戦争「乃木希典」大将の旧邸宅

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赤坂乃木坂近くで必見!現存する日露戦争「乃木希典」大将の旧邸宅

赤坂乃木坂近くで必見!現存する日露戦争「乃木希典」大将の旧邸宅

更新日:2019/03/04 09:54

大里 康正のプロフィール写真 大里 康正 旅する写真家、タイと台湾に詳しい旅作家

世界史の重要な出来事であり教科書で習う日露戦争。明治37年2月8日から明治38年9月5日までの期間、日露ともに多くの犠牲を出した陸海戦です。陸軍による旅順攻囲戦の第三軍司令官は乃木希典大将ですが、自宅が東京赤坂の乃木坂近くに「旧乃木邸」として今も残されているのです。

その一室は明治天皇崩御の後、ご夫妻で殉死を遂げられた場所。ご夫妻が愛された庭と、隣接する王子稲荷神社を合わせて紹介します。

旧乃木邸の表門と馬小屋

旧乃木邸の表門と馬小屋

写真:大里 康正

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東京メトロ「乃木坂駅」を出てすぐの外苑東通り。そこに今も残されているのが日露戦争の旅順攻囲戦、特に203高地で知られる乃木希典大将の邸宅で、「旧乃木邸」と一般的には言われています。

重厚な表門は明治の雰囲気を色濃く残している場所。ここから中に入ってみましょう。

旧乃木邸の表門と馬小屋

写真:大里 康正

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中に入り、正面のやや左側にある建物が乃木希典大将と夫人が住んでいた当時のままの建物となります。その前に植えられているのは、水師営の樹の孫と案内が書かれた「棗(なつめ)」です。

水師営とはどのような場所なのでしょうか。日露戦争において日本軍の第三軍司令官・乃木希典大将と、ロシア軍の旅順要塞司令官・アナトーリイ・ステッセリ中将が会見し、停戦条約が締結された場所であり、現在の中国遼寧省大連市旅順となります。

その際、敗軍のロシアに対し、帯刀を許したのが乃木大将。これは極めて珍しい行為であり、「後々まで恥を残すような写真を撮らせることは日本の武士道が許さぬ」とした大将の人柄として知られている話です。

旧乃木邸の表門と馬小屋

写真:大里 康正

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敷地に入り、すぐ右手に見える馬小屋は明治22年(1889年)に建てらたもの。乃木邸宅が黒塗りで質素な木造であったことに対し、重厚なレンガ造りの馬小屋。建築当時は大きな話題となっています。じっくりと観光しましょう。

現存する旧乃木邸宅と殉死

現存する旧乃木邸宅と殉死

写真:大里 康正

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乃木邸宅の設計は、乃木希典大将自らによるものです。大将はかつてドイツ留学を行っていますが、その間に視察したフランス連隊本部を参考にし、明治35 年(1902年)に新築しています。そしてこの自宅内の一室で明治天皇崩御の後、ご夫妻で殉死を遂げられたのです。

乃木邸宅の斜め前下に見えるマンホールですが、乃木大将はこの辺りで記念の写真撮影を行っています。その日は大正元年( 1912年)9月13日、殉死当日の朝でした。

現存する旧乃木邸宅と殉死

写真:大里 康正

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隣接する乃木公園を含めた一帯は、遺言により当時の東京市に寄贈されており、開設は大正2年のことでした。自宅内部が公開されるのは、大将が自刃した9月13日を含む前後と、その他年数回に分けて行われていますので、詳しい日時については事前に確認して下さい。

自宅の横に歩廊が設置されており、屋外から窓を通し内部を見学することが可能ですので利用してみましょう。

現存する旧乃木邸宅と殉死

写真:大里 康正

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歩廊を進み、一番奥の角の部屋。ここで乃木夫妻は自刃したのです。夜8時頃のことでした。また乃木大将は直前まで、夫人を道連れにする気持ちが無かったと伝えられています。

なお、隣接する乃木神社の宝物殿内において、自刃当日の様子を写真で見ることが出来ます。新聞を開き、まるでいつもの日常といえる姿。その自然な様子から、かえって明治人の凄さを感じることが出来るかも知れません。

旧邸宅裏側にある小さな祖霊社

旧邸宅裏側にある小さな祖霊社

写真:大里 康正

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乃木邸の裏側に小さな社が建てられています。これは乃木家の先祖と日露戦争で戦死した二人の息子を祭っている場所です。

旧邸宅裏側にある小さな祖霊社

写真:大里 康正

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そこから右に進むと、斜め下から乃木邸を見上げることが出来ます。2階左の角が自刃した部屋。

日露戦争時、日本軍の苦境が伝えられると乃木大将を批判する人が多くなりました。この邸宅へは投石が繰り返され、通りを歩きながら大声で非難を繰り返す人、司令官を辞職せよ、切腹して責任を取れという手紙が2000通以上届いています。その苦しい中で夫人はじっと耐えていたのでした。

戦後、大将の二人しかいなかった子息の両方が、ともに戦死していることが世間に知られます。また出征前には「誰が先に死んでも棺桶が3つ揃うまでは葬式は出さないように」と言葉を残していたことも知られるように。

その覚悟と悲惨な状況に、多くの国民は同情するようになったのです。

旧邸宅裏側にある小さな祖霊社

写真:大里 康正

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表門側に戻ると、そこには大将と少年の像があります。

明治24年のこと、陸軍少将の時代に金沢を訪れた際、辻占いを売りながら一家を支えていた8歳の今越清三郎少年に会いました。乃木少将は少年を励まし、金二円を手渡したのです。少年はこの恩を忘れることなく努力を重ね、やがて実業家として成功したという逸話によるもの。ぬくもりある人間関係が伝わってくるのではないでしょうか。

ご夫妻が歩いた庭から瘞血之處(えいけつのところ)

ご夫妻が歩いた庭から瘞血之處(えいけつのところ)

写真:大里 康正

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ご夫妻が何度も足を運ばれていた庭も残されています。銅像前の坂を下ってすぐ左側。壮絶な殉死とは違って、ここではご夫妻で穏やかな時間を過ごしていたことでしょう。

ご夫妻が歩いた庭から瘞血之處(えいけつのところ)

写真:大里 康正

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更に下に進むとそこにあるのが瘞血之處。ここには自刃で血の付いたものが埋められました。今でも手を合わせる人たちがいる場所となります。

<旧乃木邸の基本情報>
住所:東京都港区赤坂8-11-32
電話番号:03-5413-7015
アクセス:東京メトロ「乃木坂駅」徒歩1分
開園時間:9時から16時

ご夫妻に深い縁がある赤坂王子稲荷

ご夫妻に深い縁がある赤坂王子稲荷

写真:大里 康正

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乃木邸宅の裏門から出ると、そこは乃木神社の参道となります。

ご夫妻に深い縁がある赤坂王子稲荷

写真:大里 康正

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裏門を出て左側に見えるのが「赤坂王子稲荷神社」です。王子稲荷は、乃木ご夫妻が北区王子の王子稲荷神社へ月詣でを欠かさなかった程、信仰していました。

後に乃木神社が建立され、戦火で焼失するも再建されるのですが、再建に合わせて王子稲荷から勧請された神社となります。

ご夫妻に深い縁がある赤坂王子稲荷

写真:大里 康正

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乃木邸を一通り歩いた後は、乃木夫妻と深い縁があった赤坂王子稲荷に手を合わせてみてはいかがでしょうか。そして、乃木夫妻を祭神とする乃木神社にも足を運んでみて下さい。

<赤坂王子稲荷神社の基本情報>
住所:東京都港区赤坂8-11-27
電話番号:03-3478-3001
アクセス:東京メトロ「乃木坂駅」徒歩1分

旅順攻囲戦後も苦しんだ乃木大将

日本はロシアとの大決戦で勝利しますが、犠牲は少なくありませんでした。旅順攻囲戦で第三軍を指揮した乃木希典大将は、多くの死傷者を出したことをずっと悔やみ、戦後は時間を作って遺族の訪問をしていました。また講演を依頼されても断り、涙するばかりだったのです。

最後に乃木大将を祭神とする「乃木神社」は旧乃木邸に隣接しています。また、海外とはなりますが乃木大将が活躍した中国大連旅順の「203高地」は、観光地として一般公開されています。詳細は下記の関連MEMOをご覧下さい。

2019年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2019/01/16 訪問

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