お船江跡は、厳原港から少し離れた久田川河口にある、対馬藩の御用船を係留した船たまりです。現在の言葉で言えばドックヤード・船の建造や修繕で使用する設備で、1663年の造成といわれています。潮の満干を利用し水量が増減することを利用しており、写真は干潮時の水が引いている時です。
こちらは満潮時の写真です。水面に周辺の木々が反射してきれいに見えます。江戸時代にお船江を持っていた藩は多かったのですが、ほとんどは埋め立てなどの開発で姿を消しており、ここまで状態のよい施設は対馬だけです。
なお、お船江跡へ車で向かう時は、県道24号・お船江大橋手前にある交差点で旧道へ右折し、「対馬藩お船江跡」の看板手前にある細い道を左折して下さい。
<お船江跡の基本情報>
住所:長崎県対馬市厳原町久田
アクセス:厳原港から車で5分
豆酘(つつ)崎は対馬では最も南西にある岬です。豆酘集落から道路を進めると、手前に豆酘崎園地という広場があります。実は車はもう少し先へ進めることが可能ですが、ガードレールがない1車線の舗装道路で対向車と行き合えない場所も多いので、運転は十分注意して下さい。
車は灯台(写真)への階段と左右に遊歩道がある場所まで進むことが出来ます。しかし、乗用車3台が限度の駐車スペースしかないので、繁忙期は豆酘崎園地から灯台や岬まで歩いたほうがいいです。なお現在の灯台は1987年に旧陸軍要塞砲台跡に建設。砲台跡の一部は今も灯台のそばで見ることが出来ます。
豆酘崎の先端で人が行けるのは写真の場所まで。そこからの波景色は対馬の南を臨む対馬海峡で、見通しの良い時には九州や壱岐島が見える事も。岬から先の浅瀬の上に灯台があります。昔は浅瀬で海難事故が多く発生したので、明治42年に浅瀬の上に第1号の灯台が建設されました。また豆酘崎灯台の下には、かつて弾薬庫として使用されていた倉庫が残っています。
<豆酘崎の基本情報>
住所:長崎県対馬市厳原町豆酘
アクセス:厳原港から車で50分
豆酘集落から少し県道を北に進み、旧道を進むと、写真の「美女塚」と公園があります。昔、豆酘の天神山の麓に鶴王という美しい娘がいました。年老いた母親をとても大事にし、村一番の働き手だったので、「鶴王御前」と呼ぶようになります。評判はやがて都に伝わり、都に召し出すことになってしまいました。
老母を残しての旅立ちに心を痛めた鶴王は、現在の塚の近くで自殺。今後豆酘から美女が生まれないよう祈って息絶えます。村人たちは鶴王の死を憐み、この地に大切に埋葬。その上に平石を立ててお墓にしたお話です。
<美女塚の基本情報>
住所:長崎県対馬市厳原町豆酘
アクセス:厳原港から車で45分
多久頭魂神社(たくづだまじんじゃ・写真)は、豆酘の町中から約400m離れた山裾にある神社です。御祭神は天照大神など5柱となっていますが、本来は対馬特有の神である多久頭神(たくづだま)。古くは龍良山(たてらさん)をご神体として社殿はなく、対馬固有の天道信仰の社でした。
龍良山は聖地として昔から立入や樹木の伐採が禁止されているため、極めて自然の森林が残っており、国の天然記念物に指定されています。また天道信仰の中心人物・天童法師のお墓と法師の母の墓2か所はタブーの地として「オソロシドコロ」と呼ばれています。神社では旧暦の正月10日(現在の2月中旬)、米をお守りする神事が行われます。
多久頭魂神社には国指定重要文化財の梵鐘(ぼんしょう・写真)があります。1344年に肥前(佐賀県)松浦の鋳物師が製作した和鐘。1008年に作られた鐘を1344年に再度鋳造したものです。遥拝所(ようはいじょ)入口の鐘楼(しょうろう)にあります。
多久頭魂神社の隣に、境内社・高御魂神社(たかみむすびじんじゃ・写真)があります。以前は現在の豆酘中学校の場所にありましたが、1957年現在の地に遷座。御祭神は多久頭魂神の父である高皇産霊尊(たかむすびのみこと)で、日本神話の根源にあたるといわれる神社です。
<多久頭魂神社の基本情報>
住所:長崎県対馬市厳原町大字豆酘字龍良山1250
電話番号:0920-57-0162
アクセス:厳原港から車で45分
石屋根の倉庫(写真)は日本では対馬だけ、今は椎根(しいね)地区などの周辺でしか見られない建物で、長崎県の有形文化財に指定。火災や強風から貴重品などを守るために高床式倉庫の屋根を、板状の岩で葺(ふ)いたものです。石は厚みもあって相当重いため、母屋(おもや)には使われず倉庫だけに使用されています。
<椎根の石屋根の基本情報>
住所:長崎県対馬市厳原町椎根
アクセス:厳原港から車で45分
※すぐそばの消防団の格納庫が目印。近くに駐車場はありません。
石屋根は実は対馬やまねこ空港のそばにもあります(写真)。こちらは空港が1975年に開港してから3年後の1978年、公園として整備されたもの。石屋根の前には対州馬のモニュメントもあります。椎根まで行けなければ、または椎根へ行く前に、空港そばの石屋根を見てみてはいかがでしょうか。
鎌倉時代の元寇(げんこう)において、社会科の授業では日本は神風によって助けられたと習っていますが、対馬は全くの逆で、文永の役で対馬の武士80騎余りは約3万人の元軍や高麗(こうらい・当時の朝鮮)軍に抵抗しましたが、敗北し全員討死。小茂田浜神社(こもだはまじんじゃ)は元・高麗軍に勇敢に戦った宗助国(そう すけくに)や武士達を祀る神社(写真)です。
元寇は対馬の住民で代々受け継がれ、神社の前には奮戦図(写真)の他、少し離れた所には小茂田浜の歌の石碑が設置され、元軍の傲慢無礼ぶりから歌が始まります。また地元・対馬高校の寮歌には「文永の役 弔えば 恨みは 長し 七百年 若人の血は 躍るかな」という一節も。
小茂田浜神社では元寇を別な形で伝える行事があります。毎年11月12日に鎧武者を先頭にした武者行列が浜を歩き、元・高麗軍を迎え撃つ様に弓矢を構える「鳴弦(めいげん)の儀」(写真)が行われ、神社のお祭りも同時に行われます。
<小茂田浜神社の基本情報>
住所:長崎県対馬市厳原町小茂田742
電話番号:0920-56-0274
アクセス:
厳原港から車で40分
対馬空港から車で1時間
対馬市南部の厳原地区は、本土ではあまり知られていない日本の歴史を伝える名所がたくさん。歴史が好きな人にはきっと楽しめる場所です。また豆酘崎では景色・歴史の両方を堪能できるでしょう。国境の島・対馬南部の名所へ行ってみませんか。
なお名所6カ所への道は一部狭いので、なるべく軽乗用車か小さめの乗用車で回ることをおススメします。また名所の一部はバスで行ける場所もありますが、本数が少なく非常に不便なので、タクシー、マイカー、レンタカーのいずれかで回る前提で作成しています。また電話番号が書かれていない名所の問い合わせ先は全て、対馬観光物産協会:0920-52-1566です。
2019年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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