兵庫県・生野銀山の玄関「口銀谷」地区を歩いて巡る鉱山町の風景

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兵庫県・生野銀山の玄関「口銀谷」地区を歩いて巡る鉱山町の風景

兵庫県・生野銀山の玄関「口銀谷」地区を歩いて巡る鉱山町の風景

更新日:2019/02/16 17:00

木村 岳人のプロフィール写真 木村 岳人 フリーライター

兵庫県の中北部、山がちな朝来市(あさごし)の南端に位置する生野銀山は、戦国時代から近代にかけて隆盛を誇った日本屈指の鉱山です。

その玄関口にあたる「口銀谷(くちがなや)」地区は生野銀山と共に発展してきた歴史を持ち、至る所に鉱山町ならではの風景を色濃く残しています。

そんな口銀谷を歩いて巡り、鉱業で栄えた町の歴史を堪能してみてはいかがでしょうか。

生野鉱山の入口に連なる歴史ある町並み

生野鉱山の入口に連なる歴史ある町並み

写真:木村 岳人

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JR播但線の生野駅から出ると、まず目に入るのが国登録有形文化財の「日下(くさか)旅館」です。明治42年(1909年)に建てられた旅館で、大正10年(1921年)に三階建に増築されて現在の姿になりました。当時、南は姫路・北は城崎にかけて、播但線の沿線には三階建ての建物が二軒しか存在していなかったというから、往時の隆盛っぷりがうかがえますね。

窓上部の小壁に目をやると、様々な形の下地窓が設けられているのが分かります。山間の寒冷な土地なのにも関わらず閉じられない窓が開いているのは不思議に思いますが、かつては暖房にも鍋料理にも炭火が用いられていた為、一酸化炭素中毒にならないために換気孔が不可欠だったのです。鶴や雲をかたどったかわいらしい造形に、数寄屋風旅館ならではの遊び心が感じられます。

生野鉱山の入口に連なる歴史ある町並み

写真:木村 岳人

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生野駅から口銀谷の中心部へ向かうには、南北に伸びる「鍛冶屋町通り」を歩くのがオススメです。その名の通り、かつて生野鉱山で使用されていたノミを作る鍛冶職人が多く住んでいた町で、また明治9年(1876年)には日本初の高速産業道路として生野から姫路の飾磨(しかま)港まで全長49kmの「生野鉱山寮馬車道」が整備された通りでもあります。

その道沿いには歴史ある町家が並んでおり、鉱山で出たケガ人を治療した「旧海崎医院」や、フランス人技師ドウー・セボーズの子ルイが育った「綾部家住宅」、醤油店邸宅として築かれた「松本家住宅」など、かつての繁栄を忍ばせる質の高い家々が数多く残されています。

川沿いに続く石積みの「トロッコ軌道跡」は必見の絶景スポット!

川沿いに続く石積みの「トロッコ軌道跡」は必見の絶景スポット!

写真:木村 岳人

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明治28年(1895年)に播但鉄道(現在のJR播但線)が開通すると、輸送手段は馬車から鉄道へと変わります。また大正9年(1920年)には生野鉱山から生野駅まで鉄道が引かれ、トロッコが走っていました。

トロッコの軌道は川に張り出して築かれたアーチ状の石積みの上に通されており、その建設に使われた石材は生野代官所の石垣を転用したと伝わります。

現在、トロッコ軌道跡は遊歩道として整備されており、姫宮橋から眺める美しい石積みと町並みは口銀谷地区を代表する風景と言えるでしょう。

町並みを彩る「カラミ石」に注目!

町並みを彩る「カラミ石」に注目!

写真:木村 岳人

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口銀谷地区を歩いていると、あちらこちらでほんのり赤みがかった黒色の石材を目にします。その正体は鉱石を精錬する際に排出された残りカス「鉱滓(こうさい)」を固めたもので、生野では「カラミ石」と呼ばれています。

カラミ石は鉱業が近代化した明治時代から大正時代にかけて大量に作成され、安価な建築資材として重宝されました。家の塀や土台、井戸や水路などに用いられており、その独特な光沢と質感は口銀谷における町並みの特徴となっています。

町並みを彩る「カラミ石」に注目!

写真:木村 岳人

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また口銀谷地区から生野銀山へと向かう途中の太盛(たせい)地区には、道路を造成する際に築かれた擁壁にカラミ石が用いられており、他にはない鉱業の町ならではの景観を作り上げています。

最古の社宅「旧生野銀山職員宿舎」で体感する近代日本の生活様式

最古の社宅「旧生野銀山職員宿舎」で体感する近代日本の生活様式

写真:木村 岳人

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口銀谷地区の東端には、鉱山職員の社宅であった「旧生野銀山職員宿舎」が存在します。土塀に囲まれた敷地に四棟が保存されており、そのうち甲7号棟、甲8号棟、甲9号棟の三棟は明治9年(1876年)に官舎として築かれたもので、生野に現存する最古の社宅として大変貴重な存在です。甲19号棟は少しだけ時代が下り、明治29年(1896年)に生野鉱山が政府から三菱合資会社へと払い下げられた際に築かれました。

これらの社宅はそれぞれ明治初期、大正期、昭和初期、現代と時代ごとの姿に復原されており、各時代における生活様式の有様を比較しながら体感することが可能です。

最古の社宅「旧生野銀山職員宿舎」で体感する近代日本の生活様式

写真:木村 岳人

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また、この社宅地は昭和の名優「志村喬(しむらたかし)」の生家でもあります。冶金技師の子として生まれた志村喬は、昭和18年(1943年)に黒澤明の初監督作品『姿三四郎』に出演して以降、黒沢作品に欠かせない俳優として高く評価されました。

甲7号棟はそのような志村喬の功績を讃える「志村喬記念館」としても整備されており、氏に関する様々な情報が展示されています。

<基本情報>
住所:兵庫県朝来市生野町口銀谷687-1
電話番号:079-670-5005(甲社宅運営委員会)
アクセス:JR播但線「生野駅」から徒歩約15分
拝観料金:無料
拝観時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
定休日:毎週月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)、12/28〜1/3

生野城跡から見る口銀谷の全景と鉱滓ダム

生野城跡から見る口銀谷の全景と鉱滓ダム

写真:木村 岳人

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時間と体力に余裕があれば、口銀谷の北東に聳える古城山の生野城跡に登ってみるのも良いでしょう。生野は播磨国と但馬国の境に位置する要衝でもあり、生野城は室町時代の応永34年(1427年)に但馬守護大名の山名時熈(やまなときひろ)によって築かれた国境を守るための山城です。

その登山道は市街地北側の琵琶の丸公園から始まり、山頂の主郭まで約40分の道のりです。途中には棘のある植物が茂っていますので、服装は肌が露出しない長袖シャツに長ズボン、滑りにくい靴、そして軍手を忘れずに。

生野城跡から見る口銀谷の全景と鉱滓ダム

写真:木村 岳人

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主郭からは口銀谷の町並みが一望できると共に、南東方面に目をやるとそこには巨大な土の壁が鎮座しています。水のないダムのようなこの施設は、鉱山で不要となった鉱滓を蓄積するための「鉱滓ダム」。その膨大な量の鉱滓は長年に渡り採掘され続けてきた証であり、まさしく鉱業の町ならではの光景だと言えます。

鉱山町特有の町並み景観を楽しもう!

このように、生野銀山と共に歩んできた口銀谷地区にはユニークな鉱山町の光景が広がっていることから、平成25年(2013年)には口銀谷から生野銀山までの範囲が「生野鉱山及び鉱山町の文化的景観」として国の重要文化的景観に選定されました。

今回ご紹介したスポットの他にも口銀谷地区には数多くの見どころがありますので、生野駅で配布されている観光パンフレットを手に散策してみてください。

2019年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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