写真:島塚 渓
地図を見る別名「鯉城(りじょう)」とも呼ばれる広島城は、戦国時代の大名「毛利輝元(もうりてるもと)」が築いたお城。天正17年(1589年)に交通の便がよいこの地で築城が始まり、江戸時代を通して福島家や浅野家の居城でした。現在、国の史跡に指定されている面積は、約11万8千平方メートル。ですが、江戸時代にはその8倍もあったと推測される超巨大なお城だったんです。
写真:島塚 渓
地図を見る「鯉城(りじょう)」という別名は、プロ野球チームの広島東洋カープの由来にもなっています。鯉を英語で「カープ(carp)」と言うため、球団名に採用されたという面白い経緯があるんです。
写真:島塚 渓
地図を見るお城のメインとなる天守は、5階建てで、天守台も合わせると約39メートルもの高さがあります。残念ながらオリジナルの天守は、1945年の原爆投下によって壊滅してしまいましたが、外観を復元して昭和33年(1958年)に再建されました。
写真:島塚 渓
地図を見る広島城は復元天守で、外観は以前の姿のまま再現されていますが、内部は鉄骨鉄筋のコンクリート造りとなっています。なかは博物館として利用され、武家文化をテーマに甲冑や刀、書画資料などボリューム感のある展示が特徴的です。
特に、城下町の暮らしに焦点を当てた展示では、実物の資料以外にも再現された建物などで当時の生活が理解しやすいように工夫されていますよ。
写真:島塚 渓
地図を見る最上階は展望室になっており、天気のいい日には宮島を望むこともできます。また、この階だけ木造となっていて、窓も伝統的な「華頭窓(かとうまど)」と呼ばれる形になっています。上部がアーチ状になった窓は美しさと気品を兼ねそえているので、訪れた際には見逃さないように注意してください。
写真:島塚 渓
地図を見る現広島城跡は大きく分けて「本丸」と「二の丸」の2つのエリアで構成されています。天守などを含む本丸が広大な面積を有しているのに対して、二の丸は南側の非常に小さい規模しかありません。
このような突出した構造は、一般的に「馬出(うまだし)」と呼ばれ、出入口を守ったり、外部へ出撃する際の拠点としての役割を担っています。近世城郭では、本丸を取り囲むような大規模な二の丸が多いのに対し、広島城のような形はかなり珍しいんです。
写真:島塚 渓
地図を見る古くから敷地内にあった建物は、取り壊されたり原爆の投下によって失われたりして、当時のまま残っているものはありません。ですが、二の丸にある平櫓(ひらやぐら)、多聞櫓(たもんやぐら)、太鼓櫓(たいこやぐら)の3つの櫓は復元され、かつての雰囲気を偲ぶことができます。
これらの櫓は繋がっていて、長さは合わせて90メートルほどあります。もちろん、なかに入って見学することもできるので、訪れた際はぜひチェックしてみてください!
住所:広島県広島市中区基町21番1号
営業時間:9時〜18時(12月から2月は17時まで。入館は各閉館時間の30分前まで)
料金:大人370円、高校生・シニア(65歳以上※公的証明書提示)180円、中学生以下無料
2019年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/9/12更新)
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