浦添城は琉球王朝時代の城といわれ、平成元年(1989年)8月11日には国の史跡に指定されています。どのような歴史を持つのか詳細は分かっていませんが、その始まりは13世紀頃、自然石を積んだグスクが造られたのが最初と伝えられています。
現在は浦添大公園内の史跡として整備されていますが、その中こそが日米が激突した戦地跡なのです。
城跡(浦添大公園)には二か所からのアクセスが可能で、一つは北西にある浦添グスク・ようどれ館側、もう一つは南側の浦添大公園南エントランス管理事務所となります。どちらにも駐車場とトイレが完備されていますので、観光の都合で利用して下さい。
敷地内に入り、進む方向はディーグガマ方向で南東側となります。
前田高地の戦闘は4月25日から5月6日まで。米軍に制圧されるまで多くの死傷者を出す激戦地となったのですが、現在のおだやかな公園としての様子からは想像することが困難なのではないでしょうか。
安全柵が設けられベンチも設置されているこの場所で、崖の向こうから米兵がよじ登ってきたのであり、それを日本兵が迎え撃つ展開となりました。
戦時中は狭い場所でしたが現在は整備されて眺めがとてもよい場所。景観を眺めていると半世紀前の出来事が信じられない気持ちになるかも知れませんが、実際にこの場所で日米が激突したのです。
前田高地は日本軍の守備線の中にあり、兵士たちはここを死守せよと軍命を受けていたのです。映画でも描かれていますが日本軍は複雑な地下通路を作り、まさに神出鬼没の作戦を行って米軍に徹底抗戦しました。
また、米軍はこの場所をハクソーリッジと名付けました。その意味は「のこぎりのような尾根」で、いかに厳しい場所であったのか、また場所の厳しさだけではなく米兵の中には発狂する者がいたほど、厳しい戦闘が繰り返されたのです。
見晴らしがよい場所のすぐ近くに、ディーグガマが残されています。名前の由来はかつて近くにデイゴの大樹があったことから、ディーグガマと呼ばれるようになったといわれています。なお、ガマは洞穴を意味し、拝所として長い間、使われていました。
階段を下るこの場所は、違う空気が流れているような涼しさがあります。
またディーグガマは、戦没者の納骨堂になっていた歴史もあるのです。
方角としては浦添グスク・ようどれ館方向に進み、北側に行くと下り階段がありますので下りてみましょう。すると崖に沿うように「浦添ようどれ」があります。
道に沿って前に進んで下さい。
「浦添ようどれ」とはどのような場所なのでしょうか。その歴史は英祖王が1261年に築いたとされ、とても長い歴史となっていますが、ここは琉球王朝時代の陵墓なのです。
英祖王陵が西室に、尚寧王陵が東室と二つの墓室となっています。この場所も国の史跡である浦添城跡に含まれており、文化財ですので観光のマナーは厳守しましょう。
浦添ようどれから道を戻り、右に下っていきましょう。少し歩くとそちら側が米軍が布陣していた場所であり、見上げる形でハクソーリッジを見ることが出来ます。
木々が生い茂っていますが、しかしながら現地で実際に見ると、断崖であることは分かります。厳しい崖ををよじ登り上で日本軍と戦闘を繰り返した中で、映画の主人公となっている衛生兵のデズモンド・T・ドスは負傷者を救助し続けたのです。
浦添城跡の前田高地ではぜひとも、崖の上と下から日米激突の戦地を眺めてみて下さい。また、浦添グスク・ようどれ館内では歴史が紹介されています。ぜひ立ち寄ってみましょう。
最後に、沖縄のその他の観光地を下記関連MEMOで紹介します。ぜひご覧のうえ、旅行の参考としてみて下さい。
住所:沖縄県浦添市伊祖
電話番号:098-876-1234(浦添市役所)
アクセス:儀保駅から徒歩約44分。仲間入口バス停から徒歩約10分
2020年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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