松戸から“熊野本宮大社”参拝!千葉「金ヶ作熊野神社」

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松戸から“熊野本宮大社”参拝!千葉「金ヶ作熊野神社」

松戸から“熊野本宮大社”参拝!千葉「金ヶ作熊野神社」

更新日:2019/04/11 14:46

井伊 たびをのプロフィール写真 井伊 たびを 社寺ナビゲーター、狛犬愛好家

「金ヶ作熊野神社」は、和歌山県にある「熊野三山」のひとつ“熊野本宮大社”の分社。石川彦次右衛門が、神社敷地を寄進したのが始まり。代々引き継がれ、現在も氏神神社として、“熊野本宮”の御魂が祀られている。昔から本宮では、御神木であった「梛の木」の葉を御守として持ち帰る風習があった。災厄避けの御守として、当神社では、無料で「梛の木」の葉または小枝が拝受できる。御朱印は、ほぼ毎日拝領できるようになった。

「金ヶ作熊野神社」は「熊野本宮大社」の分社

「金ヶ作熊野神社」は「熊野本宮大社」の分社

写真:井伊 たびを

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今回、ご案内する「金ヶ作(かねがさく)熊野神社」は、新京成電鉄「常盤平駅」北口より徒歩5分で訪れることのできる、アクセスがいい古社だ。まず、迎えてくれるのが、堂々とした見事な“明神鳥居”だ。年始行事のときや、秋の例大祭のときには、この鳥居に国旗が掲げられる。

当神社は和歌山県の南東部に位置する「熊野三山(くまのさんざん)」のひとつ。“熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)”の分社である。

ちなみに「熊野三山」とは、「熊野本宮大社」「熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)」「熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)」の三社の総称である。

「金ヶ作熊野神社」は「熊野本宮大社」の分社

写真:井伊 たびを

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鳥居をくぐり参道を進めば、純朴そうで温かみのある狛犬さんたちが迎えてくれる。ぶ厚い唇からのぞかせた、歯の一本一本にまで拘った、石工の一途さが伝わってくる。

前足など粗削りだが、毛並み、巻毛、台座に流れる尻尾は、丁寧に彫り込まれており、“江戸流れ”の約束ごとをしっかり踏襲しているところに、石工の誇りを感じる。

「金ヶ作熊野神社」は「熊野本宮大社」の分社

写真:井伊 たびを

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こちらの狛犬さんは、狛犬仲間からみれば意外と若い。台座の刻字によると、「大正11年4月建立」とあるので、まだ100歳にもなっていない。平成27年(2015年)6月には、新たな台座を設けてもらって、どことなく嬉しそうでもある。氏子さんたちに、可愛がられているのが伝わってくる。

社殿に向かって真っ直ぐ延びる参道

社殿に向かって真っ直ぐ延びる参道

写真:井伊 たびを

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狛犬さんへの挨拶もそこそこに、真っ直ぐ延びる参道を進めば、神域が持つ厳粛さで、身が引き締まってくる。参道右手に設えられた手水舎で、身を清めることにする。

社殿に向かって真っ直ぐ延びる参道

写真:井伊 たびを

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簡素ではあるが清掃が行き届いた「手水舎」である。手を洗い口を漱いで、身を清める場所として、なんの不足もない。改めて祈願ごとに思いをめぐらす環境は、ここに整っている。

社殿に向かって真っ直ぐ延びる参道

写真:井伊 たびを

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手水鉢の刻字を読み取れば、文久3年(1863年)癸亥(みずのとい)2月吉日奉納とある。ちなみに、癸亥とは干支のひとつで、第60番目の組み合わせである。最近の癸亥に当たる年は、1983年(昭和58年)だった。干支は60年周期だから、次に訪れる癸亥の年は2043年である。

御祭神は二柱である

御祭神は二柱である

写真:井伊 たびを

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鳥居をくぐって、小さな階段を上がると、そこはもう熊野神社の杜の中。鬱蒼とした木々に囲まれた参道を進むと、左手に“くすの木”の御神木が迎えてくれる。

当神社の御祭神は、「伊弉冉命(いざなみのみこと)」と、「日本武命(やまとたけるのみこと)」の二柱である。万物を生み出す神である「伊弉冉命」の御神徳として、安産、子宝、縁結びなどがあり、「日本武命」の御神徳として、国土平安、五穀豊穣、商売繁盛などがある。

御祭神は二柱である

写真:井伊 たびを

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元武州川越藩の郷士であった「石川家五代目・石川彦次右ヱ門」が、当地の“新田開発”を計画。天明2年(1782年)、元締として九家を引き連れ、この地に入植。一家あたり五丁歩を与えて開拓したのが、この地「金ヶ作」の始まりだ。

その翌年、天明3年(1783年)8月5日(旧暦 7月8日)、浅間山が大噴火した。その大量な火山灰の降灰により、田畑が大被害を被った。急遽、氏神様を祭神することとなり、「石川彦次右ヱ門」が神社敷地として1,409坪を寄進。紀州和歌山の熊野本宮より御魂を拝受して、その名を「熊野神社」と称し、御祭神として祀ったのが当神社の始まりである。

当初、本殿は木造平屋茅葺であったが、明治28年(1895年)に建替えられた。その後百余年経過し老朽化したため、平成7年(1995年)2月5日に、現在の建物に建て替えられ、平成19年(2007年)には、お化粧直しを施されている。

当神社は、氏子さんたちが中心となってお祀りしている「氏子神社」だ。

御祭神は二柱である

写真:井伊 たびを

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明治28年から平成7年までの100年間、現在の境内入口付近に鎮座し「金ヶ作熊野神社」の本殿として機能していた「旧社殿」。現在の本殿の左奥に保存されている。

「御神木」が更新された

「御神木」が更新された

写真:井伊 たびを

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参道を境内に向かって進むと、参道脇の左手に「くすの木」の御神木がある。旧社殿が建っていた前面に位置していた自然木で、根の張り方が非常に力強い。そのパワーを授かりたいものだ。

「御神木」が更新された

写真:井伊 たびを

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かつての“御神木(まてばしい)”は、長年にわたり境内中央に鎮座していた。しかし、近年急速に衰え、太い幹が本社殿側に大きく傾き、倒木の危険があり、やむを得ず伐採された、御神木の更新が図られた。

そのあと、広々とした境内を享受することで、初詣や七五三詣や、例大祭などの恒例行事が、より円滑に運営されている。

旅行の御守として「梛の木」の“葉”をゲット!

旅行の御守として「梛の木」の“葉”をゲット!

写真:井伊 たびを

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社務所のカウンターにある「梛の木(なぎのき)」の葉、または小枝を、無料で自由に持ち帰ることができる。そもそも、梛の木は二千年前より「熊野坐大神」の御神木であり、参詣者は夫婦和合、旅行、交通、海上安全、心願成就などの祈りを込めて、梛の木の葉を御守として懐に収めて帰るのが常であった。当神社の境内にも三本ある。

旅行の御守として「梛の木」の“葉”をゲット!

写真:井伊 たびを

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「熊」という一字のめずらしい“御朱印”。かつては、御祈祷が行われる日限定だったが、現在ではほぼ毎日拝受できる。ただし、時間は9時〜17時の間である。まれに「書き置き」になる場合があるので、できれば事前にお問い合わせをされた方がいい。

金ヶ作熊野神社の基本情報

住所:千葉県松戸市金ヶ作361番地
電話番号:047-386-7049
アクセス:新京成電鉄「常盤平駅」北口より徒歩5分

2019年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2019/03/05−2019/03/27 訪問

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