青森こそ日本中央!?東北町にある石碑と発見地のミステリー

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青森こそ日本中央!?東北町にある石碑と発見地のミステリー

青森こそ日本中央!?東北町にある石碑と発見地のミステリー

更新日:2019/03/21 09:26

大里 康正のプロフィール写真 大里 康正 旅する写真家、タイと台湾に詳しい旅作家

青森県南部地方こそ日本の中央であった!?なんと日本中央の碑と呼ばれる石碑が東北町にあるのです。そこは日本中央の碑歴史公園内「つぼのいしぶみ保存館」で、東北古代史のロマンとミステリーの地。また、この石碑が発見された場所を観光することも可能。碑はどのように見つかったのでしょうか。

更には東北町歴史民俗資料館への立ち寄りがお勧めです。付近の歴史を知り、縄文土器を含め様々な物を見学しましょう。

日本中央の碑は国道4号線沿い

日本中央の碑は国道4号線沿い

写真:大里 康正

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青森県の十和田市と青森市を繋ぐ国道4号線沿いに、日本中央の碑が展示されている「日本中央の碑歴史公園 つぼのいしぶみ保存館」があります。

実はこの国道は東京都中央区から青森市まで繋がっていて、総延長は854.9 kmにもなる日本で最も長い国道なのです。その昔、日光街道、奥州街道として江戸時代に設けられた主要道の一つであり、多くの人たちが往来した歴史があります。

ところで付近の観光ですが、車での移動をお勧めします。後で紹介する「日本中央の碑」発見地は主要道から外れる形となりますので、公共交通機関では不便な場所となるからです。

日本中央の碑は国道4号線沿い

写真:大里 康正

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日本中央の碑歴史公園内の「つぼのいしぶみ保存館」は、十和田市方面から北上すると、みちのく有料道路を過ぎて、ちびき病院の手前となります。歴史的大発見ともいわれる石碑観光は無料。ゆっくりと楽しみましょう。

日本中央の碑は国道4号線沿い

写真:大里 康正

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保存館内には様々な時代の出土品も展示されています。また、青森が生んだ世界にその名を知られる版画家「棟方志功」が、この地を訪れた様子も分かるようになっています。

つぼのいしぶみとは

つぼのいしぶみとは

写真:大里 康正

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保存館の中央にある「つぼのいしぶみ」は、高さ約1.5mの自然石で、石の中央部に「日本中央」と刻み込まれています。

では、「つぼのいしぶみ」とはどのような意味があるのでしょう。漢字で「壺の碑」と書かれることもありますが、藤原顕昭(ふじわらけんしょう 平安末から鎌倉初期の歌学者)による著作「袖中抄(しゅうちゅうしょう)」の中に、「陸奥のおくにつぼのいしぶみ有り」と書かれていることが知られています。

顕昭は幼少期に比叡山で修業し、のちに京都の仁和寺に入ったと伝えられる人物。なお、石に文字を記す、そこから石文(いしぶみ)となるのです。

つぼのいしぶみとは

写真:大里 康正

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では誰が文字を刻んだのでしょうか。

京都の清水寺建立でも知られる有名な人物は、征夷将軍ともなった坂上田村麻呂(天平宝字2年(758年)-弘仁2年(811年))です。日本中央の文字は、矢じりを使って田村麻呂が書いたという解釈がありました。

しかしながら、坂上田村麻呂は盛岡市南の志波城までが訪れた地としては最北になり、現在の青森県まで来たのは田村麻呂の次に征夷将軍となった文室綿麻呂です。こうしたことから文字を刻んだのは文室綿麻呂ではないか、という説があるのです。

つぼのいしぶみとは

写真:大里 康正

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なぜ、日本中央の文字が刻まれたのでしょうか。解釈の中には、千島列島を含めば日本の中央と考えてもよい等、様々なものがあります。しかしながらはるか昔に刻まれたとすれば、そこまでの地形を理解していたということそのものに無理があります。明治期には大きな議論となりましたが、結局は分からず。文字の意味は「なぞ」のまま、まさにミステリーなのです。

刻まれた文字から何が感じられるのでしょう。実際に現地を観光し、ぜひとも自分で確かめてみて下さい。

<つぼのいしぶみ保存館の基本情報>
住所:青森県上北郡東北町字家ノ下39-5
電話番号:0175-64-7979

「日本中央の碑」発見地へ向かう

「日本中央の碑」発見地へ向かう

写真:大里 康正

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国道4号線を北上し、ちびき病院を過ぎた後の信号近くに、コンビニエンスストアがあります。その右側を通る道が県道8号八戸野辺地線で、南下して少しすると「日本中央の碑」発見地があります。

発見地は駐車場を含めて整備されています。

「日本中央の碑」発見地へ向かう

写真:大里 康正

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しかしながら周囲は草木が生えており、その中の階段を下ることになりますので、必要に応じて虫よけ対策と、滑りにくいシューズを利用することをお勧めします。

「日本中央の碑」発見地へ向かう

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途中には看板がありますので、左側を通って進んで下さい。

ここが「日本中央の碑」発見地

ここが「日本中央の碑」発見地

写真:大里 康正

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看板を過ぎると再び下りの階段。

ここが「日本中央の碑」発見地

写真:大里 康正

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その先に、石碑発見の看板が見えてきます。

ここが「日本中央の碑」発見地

写真:大里 康正

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この場所こそ、石碑が発見されたという場所なのです。石碑の発見ですが、昭和24年6月21日のこと。川村種吉という人物によって偶然見つけられています。

発見の年代が比較的新しいこともあり、石碑そのものを疑問視する声もあるのですが、実はそのように単純なことでもありません。「つぼのいしぶみ保存館」から県道8号線に入り、すぐの場所に「親巡蹟」がありますが、これは明治天皇の東北巡幸の記念碑で、この巡幸は重要な意味を持っているのです。

坪(つぼ)と言われる集落近くに千曳神社(ちびき神社)があり、神社の伝説には千人で石碑を引っ張り、神社の下に埋めたというものがありました。神社の名前も千人で引くということから「ちびき」と付いたという説があります。

明治9年(1876年)の天皇の東北巡幸の際の出来事ですが、公式に明治政府より、神社周囲を発掘調査するよう命令が出ていました。結果として発見することは出来ませんでしたが、その後、昭和になって石碑発見のニュースとなるのです。

<日本中央の碑 発見地の基本情報>
住所:青森県上北郡東北町夫雑原

東北町歴史民俗資料館を見学しよう

東北町歴史民俗資料館を見学しよう

写真:大里 康正

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東北古代のロマン、あるいはミステリーとも呼べる「日本中央の碑」ですが、せっかくですので東北町歴史民俗資料館にも立ち寄ってみましょう。

東北町歴史民俗資料館を見学しよう

写真:大里 康正

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様々な展示がある中で、大きな見どころは東北町にも生息していたナウマンゾウの全身復元骨格や道路工事中に発見された30万年の埋没林からの展示。スギ、ヒバの途方もない歴史を見学することが出来ます。

東北町歴史民俗資料館を見学しよう

写真:大里 康正

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また、青森県は三内丸山遺跡や亀ヶ岡に代表される縄文文化が知られていますが、東北町歴史民俗資料館にはまるで顔にも見える土器等の見どころがあります。ぜひお楽しみ下さい。

<東北町歴史民俗資料館の基本情報>
住所:青森県上北郡東北町上野字上野191-30
電話番号:0176-56-5598
アクセス:上北町駅から徒歩約18分

日本中央の碑と青森のミステリー

源頼朝、西行らが歌にも詠んだつぼのいしぶみ。ぜひ、石碑を実際に眺めて、不思議な観光を楽しみましょう。

最後に、青森県はねぶたが有名ですが、他にもミステリーと言われる場所や、霊場恐山もあり魅力にあふれています。その他の観光地を含め、下記の関連MEMOにリンク設定していますので、ぜひ旅行の参考としてみて下さい。

2019年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2018/10/05 訪問

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