蘇る阿蘭陀と日本の接点 長崎「出島(出島和蘭商館跡)」

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蘇る阿蘭陀と日本の接点 長崎「出島(出島和蘭商館跡)」

蘇る阿蘭陀と日本の接点 長崎「出島(出島和蘭商館跡)」

更新日:2019/04/15 15:12

肥後 球磨門のプロフィール写真 肥後 球磨門

江戸時代ポルトガル人を居住させるために海を埋め立てて作った出島は、その後渡航禁止になったポルトガル人に代わってオランダ人が居住を開始しました。以来およそ220年間、日本が開国するまでこの小さな島は阿蘭陀屋敷(おらんだやしき)と呼ばれてオランダとの貿易の拠点として、さらに日本とオランダの文化の交流点となりました。発掘と復元が進み当時の文化が蘇る出島を紹介します。

130年ぶりに架橋した「出島表門橋」から異空間へ

130年ぶりに架橋した「出島表門橋」から異空間へ

写真:肥後 球磨門

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長崎市出島町にある「出島(出島和蘭商館跡)」はポルトガル人の居住地として寛永13年(1636年)に海を扇型に埋め立てて完成しました。ポルトガル人が渡航禁止になりそのあとに移住したのがオランダ人です。それ以来出島は日本とオランダの接点として幕末まで続きました。今は周囲が埋め立てられて扇形の出島を見ることはできませんが当時の島の全体像は出島東側にある15分の1に縮尺した「ミニ出島」で知ることができます。

130年ぶりに架橋した「出島表門橋」から異空間へ

写真:肥後 球磨門

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発掘などの調査を基にオランダ商館員の居宅や蔵等の大部分が復元されています。当時は海だった出島の西側の出入り口は貿易品が最初に荷揚げされた場所です。現在は電車通りに面していますが、この門の向こうが海だったというのは驚きです。
和装のスタッフが案内してくれる無料の「出島タイムトリップビューツアー」に参加すると、タブレットに当時の映像がCGで現れここで繰り広げられていた賑やかで活気あふれる時間を体験することができます。1時間ほどのツアーですが、面白い話もたくさん聞けるので参加することをおススメします。

※ツアー開始時間は14時、19時で事前に出島総合案内所で申し込みが必要です。なお、タブレットを使用しないボランティアによる無料ツアーが、10時、13時、16時より実施されます。

130年ぶりに架橋した「出島表門橋」から異空間へ

写真:肥後 球磨門

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出島と長崎のまちとを往来できるのは1本の橋のみでした。その橋が約130年ぶりに架けられました。それが「出島表門橋」で長さ38.5メートル、幅4.4メートルのシンプルなデザインの橋です。入り口には門番の格好をしたスタッフが立っていて、橋を渡ってくる人を出迎えてくれます。

不思議な小さいベッド「一番船船頭部屋」

不思議な小さいベッド「一番船船頭部屋」

写真:肥後 球磨門

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発掘調査などを基に多くの建物が復元されている出島。注目すべき建物の一つが「一番船船頭部屋」です。オランダ船の船長が宿泊していた部屋には当時のくらしを再現した家具などが展示されていて、生活の様子を知る事ができます。

不思議な小さいベッド「一番船船頭部屋」

写真:肥後 球磨門

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驚かされるのが長さが短い小さなベッドです。世界一高身長といわれるオランダ人のベッドにしては長さがあまりにも短いのが不思議です。

不思議な小さいベッド「一番船船頭部屋」

写真:肥後 球磨門

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その理由がビデオ解説で判明します。当時のオランダ人は半身を起こしたまま寝ていたのだそう。ビデオ解説によると船長が国に帰っている間の数ヶ月は空き家になるため、「ネズミの館」になっていたということです。ネズミ獲りとしてインドネシアを出航するオランダ船に乗せられた尾曲がり猫が大活躍していたのかもしれませんね。この尾曲がり猫は「長崎の生きた歴史の証拠」として長崎では大切にされています。

砂糖が保管された出島はシュガーロードの出発点

砂糖が保管された出島はシュガーロードの出発点

写真:肥後 球磨門

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オランダ船が運んできた輸入品や日本で産出された銅などの輸出品が保管されていた蔵も復元されています。オランダ人は一番蔵を「バラ」、二番蔵を「チューリップ」というように花の名前を付け、これらの倉庫にはおもな輸入品である砂糖等が貯蔵されていたといわれています。

砂糖が保管された出島はシュガーロードの出発点

写真:肥後 球磨門

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倉庫内には日本からの輸出品も並んでいます。たとえば「コンプラ瓶」。この瓶に醤油や酒をつめて輸出していました。コンプラ瓶は長崎波佐見で焼かれ藁を緩衝材にして輸送したと伝わっています。

砂糖が保管された出島はシュガーロードの出発点

写真:肥後 球磨門

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輸出入品とともに輸入品の検査をしているミニチュアなども展示され、当時の状況がよく分かります。
そのほか蔵の壁の構造や復元過程なども学べる施設になっていておススメです。

出島を代表する建物「カピタン部屋」

出島を代表する建物「カピタン部屋」

写真:肥後 球磨門

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当時オランダ商館長のことを「カピタン」と呼んでいました。そのカピタンが居住していたのが出島を代表する建物である「カピタン部屋」です。室内は広く17.5畳の部屋や15畳の部屋があり、カピタンの職場兼自宅でした。15畳の部屋では幕府に献上する時計を検査し荷造りしている光景が再現されています。

出島を代表する建物「カピタン部屋」

写真:肥後 球磨門

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ここは出島を訪れた日本人の客をもてなす施設としても利用されていました。シャンデリアや、和紙に木版で松などの連続模様を刷った唐紙(からかみ)と呼ばれる壁紙など和洋折衷のしつらえが当時の雰囲気を伝えています。大広間では「阿蘭陀冬至(おらんだとうじ)」というクリスマスの祝宴風景が再現されていて必見です。

出島を代表する建物「カピタン部屋」

写真:肥後 球磨門

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現在は埋め立てられていますが大広間の奥にあるテラスの向こうには海が広がっていたのです。タブレットをテラスの方に向けると海が現れ、現在の景色との違いに時間の長さを感じます。

出島散策の途中にちょっと一息「旧長崎内外倶楽部」

出島散策の途中にちょっと一息「旧長崎内外倶楽部」

写真:肥後 球磨門

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出島は小さな空間ですが見どころ満載で一つ一つの施設をじっくり見て回るとあっという間に時間が経ってしまいます。途中で一休みしてはいかがでしょうか。この建物は英国式の洋風建築で明治36年(1903年)に英国人のF.リンガー等によって建てられました。当時は、会議室、応接室、遊技場、図書室、食堂、バー等があり、女人禁制だったため婦人トイレは設けられていませんでした。

出島散策の途中にちょっと一息「旧長崎内外倶楽部」

写真:肥後 球磨門

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現在はもちろん女性も入館可能です。建物一階はレストランになっていて「トルコライス」や「出島特製長崎具雑煮」など長崎名物が味わえます。写真は「長崎ビーフライス」です。
オランダの伝統的料理「ヒュッツポット(牛肉の煮込み料理)」を参考にした長崎の新しい一品で、馬鈴薯、人参、玉葱、チーズ等オランダから伝わった野菜や食材が使われた料理です。注目はバターライスの形。なんと出島を1500分の1に縮小したサイズなのです。崩すのがもったいないけど美味しくいただきましょう。

出島散策の途中にちょっと一息「旧長崎内外倶楽部」

写真:肥後 球磨門

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二階に上がると「旧長崎内外倶楽部」の展示があります。グラバー邸で有名なトマス・グラバーの息子の倉場富三郎を初めとした有志によって明治32年(1899年)に発起されたクラブは長崎に在留する外国人との交流の場として賑わいました。右手に見える立派なキャビネットにはさまざまな筆跡で書かれた手書きの会員名刺が収められていて興味は尽きません。

復元が進み見どころ満載の出島は、今後も19世紀初頭の出島の姿を目指し復元を行っていく予定です。扇形をした出島の輪郭をあらわすために四方に水面を確保し、完全復元する計画もあります。当時の姿が完全に蘇るまでには時間がかかりそうですが、楽しみに待つことにしましょう。

出島(出島和蘭商館跡)の基本情報

住所:長崎県長崎市出島町6番1号
電話番号:095-821-7200
アクセス:路面電車「出島」電停下車、徒歩すぐ

2019年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2019/01/25 訪問

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