松尾芭蕉が旅の途中最も長く滞在した栃木県大田原市「黒羽城」

松尾芭蕉が旅の途中最も長く滞在した栃木県大田原市「黒羽城」

更新日:2020/12/05 11:11

後藤 徹雄のプロフィール写真 後藤 徹雄 フォトグラファー
栃木県大田原市の黒羽城は、江戸時代に黒羽藩の藩庁が置かれたお城である。元禄の頃、その黒羽城下に俳人松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅の途中に立ち寄り、道中最も長い十四日間滞在した。
今は四季折々の花と緑に覆われた市民憩いの城址公園として、また堀や土塁がよく残った関東屈指の城跡として多くの人が訪れる。


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文学碑「おくのほそ道」と芭蕉の銅像に見る旅の情景

文学碑「おくのほそ道」と芭蕉の銅像に見る旅の情景

写真:後藤 徹雄

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黒羽城は天正4年(1576年)に大関高増により築城され、黒羽藩大関氏の本拠であった。大関家は外様大名ながら一度の国替えもなく、江戸時代を通じて藩領1万8千石を統治した。現在は黒羽城址公園として整備され、市民憩いの場として親しまれている。

その三ノ丸跡を訪ねると、旅姿で二人連れの銅像が建っている。像は松尾芭蕉とその弟子河合曽良である。そのふたりが「おくのほそ道」の道中、黒羽の城下を目指し那須野を行く姿を形どったものだ。乗馬の芭蕉と従う曽良。「おくのほそ道」に詳しくなければ、彼らが道中を通して、この形で旅を続けたと思ってしまうかもしれない。
しかし、その謎解きは、すぐ傍らに建つ文学碑に刻まれた「おくのほそ道 那須野」の一節から知ることができる。

文学碑「おくのほそ道」と芭蕉の銅像に見る旅の情景

写真:後藤 徹雄

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江戸を立ち、日光を訪れた主従ふたりが次に目指したのが、東へ60kmほどの黒羽の城下町であった。「おくのほそ道 那須野」を要約してみよう。

「黒羽の知人を訪ねて、草原を真っ直ぐに進んだ。途中、農夫が親切にも馬を貸してくれた。子供が二人、馬の跡について走ってくる。小娘の方は名を「かさね」だという。
かさねとは八重撫子の名成るべし(曽良:句)
「かさね」とは、花弁が八重に重なった八重撫子のことだろう。程なく村里に着いたので、駄賃を鞍に結び付けて馬を返した。」

果てしなく続く那須野の草原、放し飼いの馬、農夫の親切、「かさね」という名の娘との出会い。この先、関東の地を離れ、陸奥を目指す二人の旅の情景がしみじみと伝わってくる一節である。

文学碑「おくのほそ道」と芭蕉の銅像に見る旅の情景

写真:後藤 徹雄

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三の丸跡は芭蕉の広場と呼ばれ、文学碑、銅像のほか東屋と「黒羽芭蕉の館」が建つ。松尾芭蕉と旅の同行者である河合曽良の足取りを想い、おくのほそ道の気分に浸って散策してみたい。

土塁や堀が完全な形で残る黒羽城は城郭としても必見である

土塁や堀が完全な形で残る黒羽城は城郭としても必見である

写真:後藤 徹雄

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もういちど城郭としての黒羽城を見ておきたい。黒羽城は那珂川と支流の松葉川の間の丘陵に築かれた山城で、城主は中世から下野国那須郡黒羽を本拠とした大関氏である。天正4年(1576年)、大関高増が白旗城からこの地に移り本拠とした。

大関氏は関ヶ原の戦い(1600年)で徳川方につき、黒羽城において北方の上杉景勝勢の動きに備えた。大関氏はその後いちども改易、転封されることなく、明治の廃藩置県までの270年間、この黒羽城を守り通したのである。これは外様大名としては稀有なことと言えよう。

黒羽城は本丸などの曲輪跡、土塁や空堀もほぼ完全な形で残っており、城郭ファンにも見応えのある城跡である。

土塁や堀が完全な形で残る黒羽城は城郭としても必見である

写真:後藤 徹雄

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本丸と二の丸の間には深く、長大な空堀が設けられている。架けられた橋の上から高さを実感してみよう。近年数を増している山城ファンにとっても、心躍る最大の見どころとなるだろう。

土塁や堀が完全な形で残る黒羽城は城郭としても必見である

写真:後藤 徹雄

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本丸を囲む土塁もほぼ完全な形で残っている。土塁上から城下を望む。

6月から7月は紫陽花が咲きほこり、「くろばね紫陽花まつり」も開催

6月から7月は紫陽花が咲きほこり、「くろばね紫陽花まつり」も開催

写真:後藤 徹雄

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黒羽城址公園は特に花の公園として親しまれている。なかでも6月から7月にかけては、6,000株の紫陽花が咲きほこり、古城に彩りを添えて見事である。花の最盛期には「紫陽花まつり」も開催され、夜間のライトアップも見どころだ。

6月から7月は紫陽花が咲きほこり、「くろばね紫陽花まつり」も開催

写真:後藤 徹雄

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本丸と二の丸の間の堀いっぱいに咲き誇る紫陽花。

6月から7月は紫陽花が咲きほこり、「くろばね紫陽花まつり」も開催

写真:後藤 徹雄

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<黒羽城の基本情報>
住所:栃木県大田原市前田
アクセス:
(車)西那須野塩原ICから30分
(鉄道・バス)JR東北本線・西那須野駅市営バス

白河の関を越え、芭蕉と曽良はみちのくの旅路へと

白河の関を越え、芭蕉と曽良はみちのくの旅路へと

写真:後藤 徹雄

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芭蕉は黒羽城下に14日間滞在し、俳句の仲間を訪ねたり、近郊の名所を巡ったりしながら過ごしている。季節柄天候の不順もあっただろうが、やはりこの後、目指す陸奥への関門である白河の関をまえに、十分な用意と気力を養おうとしたのではないだろうか。

黒羽から北へ約30kmで白河の関である。古来白河の関は都から陸奥国へ通じる東山道の要衝に設けられた関所として名高い。

白河の関を越え、芭蕉と曽良はみちのくの旅路へと

写真:後藤 徹雄

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旧暦4月20日(新暦6月7日)から21日にかけ、芭蕉は白河の関を越えて待望の陸奥入りを果たしている。さらに東北、北陸を巡り岐阜の大垣までまだまだ旅は続くのであるが、この先はまた別の機会に紹介してみたい。
白河の関に隣接する「白河関の森公園」には、旅を続ける芭蕉と曽良の銅像が建っている。今度はふたり並んで歩く旅姿であった。

<白河関跡の基本情報>
住所:福島県白河市旗宿関の森
アクセス:JR東北本線・白河駅からバスで30分

黒羽城のまとめ

日本人に最もよく知られた紀行文学「おくのほそ道」。その冒頭に記された旅に惹かれる想いは芭蕉にかぎらず、私達にとっても共通のものであろう。芭蕉は黒羽城下で英気を養い、決意も新たに白河の関を越えていった。その足取りを辿る旅もいい。

2020年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。

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