日本人なら訪れたい フィリピンの軍用島「コレヒドール」の歴史探訪ツアー

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日本人なら訪れたい フィリピンの軍用島「コレヒドール」の歴史探訪ツアー

日本人なら訪れたい フィリピンの軍用島「コレヒドール」の歴史探訪ツアー

更新日:2019/05/16 14:39

Yuma A.のプロフィール写真 Yuma A. 観光学修士、インバウンド観光推進施設代表

フィリピンのマニラから船で向かう「コレヒドール島」はマニラ湾に浮かぶ小さな島。戦略上の要衝であったことから、フィリピンがスペイン統治下にあった時代から重宝された歴史の生き証人でもあります。コレヒドール島にはマニラから専用フェリーによるワンデイツアーが組まれており、島内の観光スポットも容易に巡れることから、気軽に参加できます。太平洋戦争時の日本の史跡も多く、邦人にも良く配慮されています。

まずはマニラからコレヒドール島へ移動

まずはマニラからコレヒドール島へ移動

写真:Yuma A.

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コレヒドール島へのアクセスはサン・クルーズ社の提供するワンデイツアーに参加することが条件です。

下部MEMOのサン・クルーズ社のウェブサイトからあらかじめ予約しても良いですし、少人数なら飛び込み参加でもOKです。常時催行されている「ヒストリカルトラムツアー」は平日で3,358ペソ/1日で往復フェリー代、島内ガイド代、及び昼食代、すべて込みの値段です(港使用料30ペソは別払いです)。

船の出港準備は朝7:00からですので、それまでに写真の「エスプラネード・シーサイドターミナル」内にあるサン・クルーズ社の受付カウンターに行きましょう。チケットと水及び団扇をもらえます。

なお、この港はマニラでも最大規模のショッピングモール「SMモールアジア」の北端にあり、早朝であっても最寄りの高架鉄道駅であるタフトアベニュー駅の袂から、多くのジプニーがSMモールアジアに走っているので、アクセスは楽です。

ちなみにツアーを終えてこの場所に戻ってくるのは当日16時ごろになります。

まずはマニラからコレヒドール島へ移動

写真:Yuma A.

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フェリーは大型で中には売店もあり、乗り心地も快適です。ただ空調がかなり効いているので長袖をもって乗ったほうが良いでしょう。

マニラから約2時間でコレヒドール島に到着です。上陸後はトラムと呼ばれるオープンタイプのバスに乗り換えて、島内の史跡を巡ります。

この時、日本人の参加者が一定数以上いると日本人専用のトラム(及びガイド)を用意してくれます!これは詳細は後述しますが、コレヒドール島では多くの日本兵が太平洋戦争時に亡くなっており、他の旅行者とは少し異なった「まなざし」でこの島を訪れる人が多いことへの配慮です。

戦略重要拠点コレヒドール

戦略重要拠点コレヒドール

写真:Yuma A.

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コレヒドール島はマニラ湾の入り口に位置するこから、スペイン統治時代より外国船の入国管理のため役所が置かれ、この「厳しく検査する」という意味のスペイン語であるコレヒドールがそのまま島の名前になりました。

19世紀末に米国とスペインの間で起きた米西戦争の勝者となった米国により接収され、マニラ防衛のための軍用基地に姿を変えたため、数多くの巨大な砲台がこの島には残されています。日本軍の爆撃が直撃し、銃口内がへこんだままの砲台もあり、あちこちに太平洋戦争の名残が見られます。

戦略重要拠点コレヒドール

写真:Yuma A.

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なお、米国がコレヒドール島を軍用機地として開発してすぐに太平洋戦争が起きたわけではないので、島内の今も残る20世紀初頭に造られた数々の建造物のコンクリートは実は日本製(浅野セメント)だったりします。当時の日米間の貿易の名残ですね。

爆撃にも耐え100年の年月が過ぎてもこうして残っているなんて驚きですよね。

戦略重要拠点コレヒドール

写真:Yuma A.

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巨大な砲台の部品もそうですが、島内の電力を賄う発電機を運んだのは路面電車です。その名残としていたるところに軌道の後を見て取れます。

なお、壁のあちこちにあるへこみは銃撃戦の弾痕です。

太平洋戦争突入!

太平洋戦争突入!

写真:Yuma A.

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太平洋戦争が勃発し、1942年に日本軍が上陸すると瞬く間に米軍を蹴散らし、島を占領します。その際、日本軍が万歳三唱をした砲台も残っています。そんな史跡がそのままの姿で残っているのはすごいことですよね。

実は、戦後にフィリピンの悪徳業者が鉄を盗もうと砲台を切ったりした跡が残っているのですが、あまりに重すぎて運び出せなかったというエピソードがあります。前述の路面電車の重要性が良くわかりますね。

太平洋戦争突入!

写真:Yuma A.

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米軍の建造物は一時的に日本軍に接収されます。写真の史跡「バッテリーグラヴス」の敷地の中には漢字で部隊名の書かれた壁を見ることができます。

実際は占領後に十分に補給が取れず、食糧難や病魔との戦いに日本軍は苦しめられたといいます。

ここでは邦人専用トラムに乗った我々だけ、焼香(ガイドが用意します)する時間が与えられます。冥福を祈りましょう。

太平洋戦争突入!

写真:Yuma A.

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砲台や歴史的建造物を巡ったのち、昼食休憩となります。1836年にスペイン人によって建造された灯台は、太平洋戦争で破壊されたものの戦後再建されました。昼食をとる場所のそばにありますが、残念ながら登ることはできません。ただし灯台の近くにはお土産屋もあるので、早めに昼食を切り上げて見て廻るのも良いでしょう。

米軍の反撃

米軍の反撃

写真:Yuma A.

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日本軍の進撃に圧され、島から敗走する際にある男が名言を残します。そう、マッカーサー元帥です。当時、米軍と比軍の合同指揮官だった彼は「I shall return」の名言を残し、島の小さな桟橋から脱出します(実際は敗走先の豪州での記者会見での言葉ですが)。その桟橋には彼の銅像が立っています。

実際に彼はこの島に戻り、最終的には空てい団を指揮して島を再奪還しますので、有言実行になったわけですね。

米軍の反撃

写真:Yuma A.

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太平洋戦争中の歴史資料は途中で立寄る「太平洋戦争記念館」でも多く見ることができます。ここでは戦艦大和及び武蔵の砲弾(デカい!)なども展示してあり、見ごたえがあります。

米軍の反撃

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最終的に日本軍は降伏というか後述するように玉砕し、ほぼ壊滅します。これらの日本兵の慰霊のため、島内に「日本平和庭園」が設けられ慰霊碑や観音像が砲台の傍に設置されています。この庭園でも邦人専用トラムに乗った我々には焼香をする時間をくれます。こうした気遣いは本当にありがたいですよね。

激戦の歴史をマリンタトンネルで振り返ろう

激戦の歴史をマリンタトンネルで振り返ろう

写真:Yuma A.

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最後のハイライトは「マリンタトンネル」での光と音のショーで、このアトラクションのみ希望者が200ペソを別途支払います。

マリンタトンネルは名前こそトンネルですが、実際は爆撃を逃れるための地下施設として米比連合軍によって設計・建造されており、野戦病院や兵器庫として活用されました。ショーは全長250mのこのトンネルを進みながら展開されます。

激戦の歴史をマリンタトンネルで振り返ろう

写真:Yuma A.

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トンネルをガイドの指示に従いながら進むと、左右の坑道に展示物や映像が順番に流れる仕組みで、歩みを進めながら歴史理解を深めていく、面白い展示スタイルになっています。日本軍占領期には日本語の音声も流れます。

激戦の歴史をマリンタトンネルで振り返ろう

写真:Yuma A.

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追い詰められた日本軍は、このトンネルに立てこもり必死の抵抗を続けますが、最後は自らトンネルを爆破し、玉砕の道を選びます。1945年3月のことです。ここでもショー終了後には、邦人専用トラムに乗った我々には焼香をする時間がもらえます。

日本は太平洋戦争では敗者となりましたが、十分なリスペクトがこの島ではなされており、ツアーでも配慮されています。マニラからのアクセスも良好ですし、フィリピンの中にある日本の歴史の一部を知るためにもおすすめのツアーです。16時ごろにはマニラに戻ってこれますので、時間があまりない方にもうってつけでしょう。

それでは気をつけて行ってらっしゃいませ〜。

コレヒドール島の基本情報

住所:Esplamade Seaside Park, Pasay(サン・クルーズ社の住所)
電話番号:+63-2-864-6857
アクセス:サン・クルーズ社のツアーに参加し、専用フェリーで片道約2時間

2019年5月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2019/03/11 訪問

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