武田流の築城技術が丸ごと残る!愛知県新城市「古宮城跡」

武田流の築城技術が丸ごと残る!愛知県新城市「古宮城跡」

更新日:2020/04/02 17:57

木村 岳人のプロフィール写真 木村 岳人 フリーライター
愛知県新城市の北西に広がる作手(つくで)盆地の中央部には、日本城郭協会の続日本100名城に選ばれている「古宮城跡」が存在します。戦国時代に甲斐国や信濃国で多大な勢力を誇った武田氏が、徳川氏が治める三河国への侵攻拠点として築いた城の跡です。

コンパクトな縄張(設計)ながら現在も全体の遺構がほぼ完全に残っており、武田流の築城技術を目で見て体感することができる、お城好きには必見の知る人ぞ知る名城です。

新型コロナウイルスの発生と感染拡大に伴う、県境をまたいだ移動の自粛が2020年6月19日より解除されます。また県境をまたぐ観光については「徐々に行い、人との間隔を確保すること」というガイドラインが政府より示されています。各種報道機関の発表、施設や各自治体のホームページなどで最新の情報をご確認ください。(LINEトラベルjp)
LINEポイント還元中!旅行代10万円×還元率10%なら10,000ポイントもらえる!※一部サービス・取り扱い旅行会社のみ 詳しくはこちら

鬱蒼とした杉林の丘に眠る城の遺構

鬱蒼とした杉林の丘に眠る城の遺構

写真:木村 岳人

地図を見る

古宮城は元亀2年(1571年)に武田信玄の家臣である馬場信春が築いたとされる、高さ30m程の丘を城塞化した平山城です。現在はこんもりとした杉林によって全体が覆い隠されていますが、だからこそ長きに渡り遺構が破壊されることなく残ることができたともいえます。

現在、古宮城の周囲には水田が広がっていますが、かつては湿地帯であり、まさに自然の要害というべき立地でした。西側に聳える山城「塞ノ神(さいのかみ)城」と共に、武田氏の前線拠点として機能していたと考えられます。

武田氏がさらに勢力を伸ばしていれば古宮城の重要性も増したはずですが、天正3年(1575年)に「長篠の戦い」で織田・徳川連合軍に大敗を喫したことにより勢力が大きく後退。古宮城はこの時に廃城となり、歴史に埋もれることとなりました。

鬱蒼とした杉林の丘に眠る城の遺構

写真:木村 岳人

地図を見る

城の正門である大手門は丘の南西にありましたが、現在その周辺は民家の敷地となっており立ち入りは厳禁です。丘の南側に鎮座する白鳥神社の境内に階段がありますので、そこから丘の上へと登りましょう。

なお、城内には説明板等が一切ありませんので、まずは古宮城跡の約500m北にある「作手歴史民俗資料館」に立ち寄り、窓口で配布されている縄張図を手に入れてから登城するのがオススメです。情報があるのとないのでは、お城巡りの満足度が段違いですよ。

武田氏ならではの築城技術「両袖桝形」を堪能しよう

武田氏ならではの築城技術「両袖桝形」を堪能しよう

写真:木村 岳人

地図を見る

白鳥神社からの階段を上がっていくと、程なくして土塁(どるい/土を盛った壁)で囲まれた「桝形(ますがた)」に差し掛かります。桝形は内部に侵入した敵を土塁の上から攻撃する防衛施設で、古宮城のものは土塁がコの字状になった「両袖桝形」であるのが特徴です。これは武田氏による城の特徴のひとつであり、本拠地である「躑躅ヶ崎(つつじがさき)館」にも同様のものが築かれています。

武田氏ならではの築城技術「両袖桝形」を堪能しよう

写真:木村 岳人

地図を見る

また両袖桝形の横には樹齢600年以上にもなるという杉の木が聳えており、白鳥神社の御神木として祀られています。古宮城が築かれる以前より存在し、現在までその遺構を静かに見守ってきた巨木には、歴史のロマンを感じざるを得ません。

ただの前線基地にあらず!城の格が感じられる主郭の縄張

ただの前線基地にあらず!城の格が感じられる主郭の縄張

写真:木村 岳人

地図を見る

両袖桝形を抜けると、そこは城の中枢である主郭です。古宮城の主郭は土塁によって東西に隔てられており、そのうち西側の上段には城主が居住し、東側の下段では軍議などが行われていたと考えられます。

両袖桝形とは別に主郭下段の南東にも入口が設けられているのですが、これは家臣の為の通用口でした。城主が通るのは立派な両袖桝形、家臣が通るのは格の下がった通用口と、身分によって通る門が違っていたのです。

このような出入口の使い分けは中世の居館で一般的に行われていました。古宮城は前線に築かれた国境の城ですが、単なる急ごしらえの砦ではなく、居城と比べても遜色ない格を備えた城だったことが分かりますね。

LINEポイント還元中!旅行代10万円×還元率10%なら10,000ポイントもらえる!※一部サービス・取り扱い旅行会社のみ 詳しくはこちら

城域を東西に分かつ大堀切に目を見張る!

城域を東西に分かつ大堀切に目を見張る!

写真:木村 岳人

地図を見る

古宮城の中央部には南北に大堀切が通されており、城域を東西に分断して防御力を高めています。主郭がある東郭の方が、大手門から続く西郭よりも高く築かれていて見通しが効き、敵が攻め込んできたらすぐに発見して攻撃することが可能でした。

深く掘り込まれた大堀切は極めて急な斜面になっており、もちろん上ることなどできません。西郭から東郭へ向かうには土橋(土を盛って築いた橋)を通らなければなりませんが、主郭側には櫓が置かれており敵が来たら一網打尽にできました。

城域を東西に分かつ大堀切に目を見張る!

写真:木村 岳人

地図を見る

土橋を通る際には、ぜひとも大堀切に降りてみてください。その底に立つと両岸がまるでそそり立つ壁のようで、古宮城がいかに堅固な城であったか体感できます。

西郭は幾重にも張り巡らされた横堀が見どころ!

西郭は幾重にも張り巡らされた横堀が見どころ!

写真:木村 岳人

地図を見る

西郭は主郭を守るための郭であり、馬出(出撃をサポートするための陣地)の役目を担っていました。大手門から侵入してきた敵はまずは西郭までたどり着かねばならないのですが、西郭の周囲には郭に沿って湾曲した横堀が何重にも張り巡らされており、直線的に上ることはできません。

横堀を避けて進むと西郭から横矢を浴びせられることとなり、またそられを何とか掻い潜って進んでも、西郭の南北に設けられている桝形で攻撃を受けることになります。

西郭は幾重にも張り巡らされた横堀が見どころ!

写真:木村 岳人

地図を見る

攻め手からすると厄介極まりないこれらの横堀もまた、武田氏の城に多く見られる特徴のひとつ。古宮城はコンパクトな城ながら、武田流の築城技術がぎゅっと詰まった、実に見ごたえのある城跡なのです。

古宮城跡の基本情報

住所:愛知県新城市作手清岳字宮山
電話番号:0536-37-2269(作手歴史民俗資料館・つくで交流館)
アクセス:JR飯田「新城駅」から徒歩約5分「新城栄町 新城駅口」バス停から豊鉄バス「作手高里」行きで約40分「鴨ヶ谷口」バス停下車、徒歩約2分

2019年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

LINEポイント還元中!旅行代10万円×還元率10%なら10,000ポイントもらえる!※一部サービス・取り扱い旅行会社のみ 詳しくはこちら

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。

- PR -

条件を指定して検索

LINEトラベルjpで一緒に働きませんか?

- PR -

旅行ナビゲーター(在宅ライター)募集中!
この記事に関するお問い合わせ

- PR -