エキゾチックなだけじゃない!長崎は3つの顔をもつ不思議な町

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エキゾチックなだけじゃない!長崎は3つの顔をもつ不思議な町

エキゾチックなだけじゃない!長崎は3つの顔をもつ不思議な町

更新日:2014/04/21 14:19

ナツキのプロフィール写真 ナツキ きのこの文化研究家、博物学者

異国情緒ただよう町並みがひろがる長崎には3つの顔があります。
異国へとひらく最果ての町はディスカバー・ジャパンの王道。
海風を胸一杯に吸い込んで長崎さるくをはじめましょう。

中島川ですっぴん(素面)の長崎を体感!

中島川ですっぴん(素面)の長崎を体感!

写真:ナツキ

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まず、3つの顔の1つ目、普段着の長崎の顔を知るには、市の中心部を貫く中島川界隈をさるくするのが一番。「さるく」とは、長崎弁で「ぶらり歩き」という意味。

町の北西部の二つのダム湖を水源とする中島川は、諏訪神社あたりで合流し市の中心部を貫き、出島から長崎湾へとそそぎます。この川は、めまぐるしく変遷を遂げてきた長崎の町を普段着のままにみせてくれます。

路面電車の諏訪神社前で下車。停車場にほど近い阿弥陀橋を起点にして八幡町から川の一筋東の寺町を南下して思案橋まで下るコースは、長崎にはちょっと詳しいという人向き。はじめての方には、中島川沿いの道を下るほうをおすすめします。

阿弥陀橋あたりの流れは異国情緒とは無縁の昔ながらのごく普通の町川で、カッパ伝説がつい最近まで伝えられてきたところ。
川沿いにはかっぱ地蔵、陶のモダンなカッパ、河童灯籠と河太郎に関係のあるオブジェがちらほら。
河原のそこここには小魚を狙う鷺もいて、堰のたまりには緋鯉、真鯉が群れを成していて人影がすると岸辺に寄ってきます。
川べりの石垣にはハート形の石垣も埋め込まれていて、ちょっとしたオリエンテーリング気分のときめきとスリルのある散策が楽しめます。
のんびり歩いても眼鏡橋まで1時間もあれば十分。この川端の風景の変化から長崎のさまざまな飾らぬ表情が立ち昇ってきます。

川沿いには、名物のしっぽく料理を楽しめる一二三亭、長崎カステラの店も実にさまざまあり、観て楽しみ、食べて楽しむ長崎が味わえます。

決して忘れてはならない記憶を伝えるもうひとつの顔・浦上

決して忘れてはならない記憶を伝えるもうひとつの顔・浦上

写真:ナツキ

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異国情緒の町、観光の町長崎。しかし、決して忘れてはならないのは昭和20年8月9日、この町が広島に続いて第二の原爆被爆地となったこと。この悲しい出来事を静かに伝えるもうひとつの顔が平和公園、浦上天主堂を中心とする浦上地区です。

路面電車の松山町下車。まず、噴水越しに平和の塔を眺めながら平和公園をゆっくりと時間をかけて巡ります。
土地の記憶に耳傾ける旅はそぞろ歩きが基本。
天主堂では「信仰の場というある種、閉ざされた空間から宗教を超えたふれあいの場にしたい」と願う神父さんの案内で、奇跡的に残ったという被爆のマリア像の前でこころゆくまで対話をいたしましょう。
教会前には聖者像も残され往時を伝えています。


そこから坂本町の長崎大学付属病院のかたわらにある山王神社の片足鳥居を探しに行きましょう。
原爆により片足を吹き飛ばされながらも、今なお立ち続けている一本足の鳥居は悲惨な戦争の無言の語り部となって狭い石段の上に静かにたちつくしています。

去来生誕の碑から見えてくる日本と新地界隈の夜

去来生誕の碑から見えてくる日本と新地界隈の夜

写真:ナツキ

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国道沿いにある市役所の裏通りから路地に入り、県庁方面へ歩いて行くと桜町小学校の裏手に「向井去来生誕の地」の碑が見えてきます。

向井去来は儒医の向井元升の次男で武芸に優れ堂上家に仕えましたが、若くして武士の身分を捨て京都嵯峨野に落柿舎を築き文人生活を送りました。松尾芭蕉の直弟子となり、芭蕉の俳論を今に伝える『去来抄』を著わし、蕉門の金字塔歌仙「猿蓑」の編集にも携わった逸材です。
芭蕉門下の都市派を代表する去来の流れは、其角、蕪村へとつながって、わが国固有の歌心を大成させていくのです。丸山や芒塚には彼の句碑もあり、長崎のハイカラさんは、江戸期の大衆芸術の完成に深く関わっていきました。2014年は彼の没後310年にあたります。

わが国固有の文化の「わび・さび」そして江戸期の「粋(いき)」が、外国の窓としての長崎の「洗練」に裏打ちされていることがこのさりげない碑から伝わってきます。

新地の中華街へ出て、60余年もの歴史を持つ老舗の江山楼で本場の長崎ちゃんぽんと皿うどんを賞味するともう気分は長崎っ子。お腹が満たされたところで新地の向いの銅座町で、お洒落なCAFEやBAR、居酒屋を物色しましょう。
筆者のおすすめは、ジャズが流れるカフェバー・ブルーノート。アイリッシュウイスキーをなめながらアナログ盤のモダン・ジャズに身をゆだねると長崎の夜は忘れがたいものとなるでしょう。

国際交流の舞台さながらの稲佐悟真寺国際墓地

国際交流の舞台さながらの稲佐悟真寺国際墓地

写真:ナツキ

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JR長崎駅から浦上川にかかる大きな稲佐橋を渡り、稲佐山への登山道をすこし登ったところには現存する長崎の寺院の中では最古の唐寺・悟真寺があります。
ここの国際墓地は、官の援けを借りることなく代々この寺の住職により維持され守り伝えられてきた世界的にもめずらしい墓苑です。

寺の境内には、密貿易で処刑された伊藤小左衛門と、あとを追って自害した丸山の遊女・定家の比翼塚。さらに、稲佐山裾の斜面にはコの字形の塀で囲まれた中国人の墓、出島商館のオランダ人たちのオランダ人墓地、そしてひときわ目立つ露西亜人墓地があります。
とりわけこのロシア人墓地は開国以前の幕末よりあり、日露戦争の際のロシア艦隊の死者もここに眠っていて、ロシア正教独特の十字架がのっかる礼拝堂がまばゆく日を返しています。
ここは、開国後もポルトガル、アメリカ、イギリス、フランス人たちと増え続け、今では千体を越す異国の人たちの永遠の安息の地となっているのです。

この国際墓地から長崎湾へとやや下ったところにある烏岩神社あたりは、開国を迫られた幕府がこの界隈をロシア艦隊・軍人の滞在地として認めたもうひとつの出島。かつては、ニコライ皇太子を歓待したかの有名な稲佐お栄さんの経営する高級ホテルもあったといいます。
その名残りは神社の鳥居脇に「お栄さんの道」と書かれた碑となって残されています。

第三の顔のエキゾチック長崎は意外や意外、国際交流の舞台さながらの稲佐でロシアとの深い縁を知る結果となりました。

おわりに

長崎は、その複雑な地形からかつては陸の孤島、日本の中の外国という扱いを受けていたように思われます。
そんな長崎の普段着の顔、原爆被爆地の悲しみの顔、そして日本文化の基層につながるエキゾチック長崎という3つの顔を訪ねました。ちょっと風変わりなお宝さがしの旅、はじめてみませんか?

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/05/12−2012/05/13 訪問

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