横浜港を歩き日本の鉄道の歴史を探ろう

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横浜港を歩き日本の鉄道の歴史を探ろう

横浜港を歩き日本の鉄道の歴史を探ろう

更新日:2019/03/25 14:32

池口 英司のプロフィール写真 池口 英司 フリーライター、フォトグラファー 日本写真家協会(JPS)会員

みなとみらい21地区を中心とする横浜港周辺には、スタイリッシュなホテルやアミューズメントスポット、いかにも港町のものらしいエキゾチックな建物が集結していることで、屈指の人気スポットとなっています。けれどもこの一画には、古い時代から物流の拠点となっていた長い歴史があり、今も鉄道遺産が数多く残っています。これらの遺構を訪ね、港の周辺に延びた鉄道の歴史を探ってみるのも、この街ならではの楽しみです。

桜木町駅から港へ向けて延びる「汽車道」

桜木町駅から港へ向けて延びる「汽車道」

写真:池口 英司

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JR桜木町駅から海に向かって100mあまり歩いた先に、運河の中に延びる小道があります。これが「汽車道」とも呼ばれている道で、元々は山下ふ頭方面へ延びる貨物輸送専用の線路が敷かれていた場所を、線路が廃止された後に遊歩道に転用したものです。

ここからは運河を行き来する船はもちろん、みなとみらい地区に建てられたホテルや観覧車などを眺めることができ、開放感は抜群。桜木町駅から、赤レンガ倉庫の建つ新港ふ頭方面への最短ルートとして利用することができます。

桜木町駅から港へ向けて延びる「汽車道」

写真:池口 英司

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「汽車道」にはモニュメントとして、今もレールが敷かれています。もちろん、実際にこの上を貨物列車が走ったわけではありませんが、昔ここに線路があったことを誰もが理解できるというわけです。

桜木町駅から港へ向けて延びる「汽車道」

写真:池口 英司

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「汽車道」には合わせて3つの橋が架けられています。写真の「港1号橋梁」は、1907(明治40)年アメリカンブリッジ社製。この橋は実際に使用されたオールドタイマーです。クラシカルなデザインの銘板も残されており、この橋の長い歴史に思いを馳せることができます。

<基本情報>
住所:横浜市中区新港2-9
アクセス:JR桜木町駅から徒歩3分

輸入品の保管などに使用された赤レンガ倉庫

輸入品の保管などに使用された赤レンガ倉庫

写真:池口 英司

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「汽車道」を抜けて新港ふ頭に渡り、その先に建っているのが赤レンガ倉庫です。輸入された品物を一時的に保管することを目的として、明治末期から大正にかけて2棟が建てられ、平成の初めまで使用されました。

建物の老朽化が進んだ昭和末期には取り壊しも検討されましたが、その後、商業施設も入居させて保存することが決定し、2002(平成14)年4月にリニューアルオープンしています。

倉庫としての使用時代には2棟の倉庫の間には何本もの線路が敷かれ、貨物列車を引いた蒸気機関車がやって来た時代もありました。今も線路1本がモニュメントとして残され、この場所もまた、貨物輸送の拠点であったことが窺えます。

輸入品の保管などに使用された赤レンガ倉庫

写真:池口 英司

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2棟が並ぶ赤レンガ倉庫は、海に向かって右側のやや小さい建物が1号館、もう一方が2号館と呼ばれ、写真の1号館はギャラリーなどが設けられた文化施設、2号館は商業施設として使用されています。どちらも夜にはライトアップされ、闇の中に幻想的な姿が浮かび上がります。

<基本情報>
住所:横浜市中区新港1-1
電話番号:045-211-1515(1号館)、045-227-2002(2号館)
アクセス:みなとみらい線日本大通り駅より徒歩6分

東京駅から直通列車が運転された横浜港駅

東京駅から直通列車が運転された横浜港駅

写真:池口 英司

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赤レンガ倉庫の北側に隣接する場所に、短いプラットホームが残されています。これが横浜港(よこはまみなと)駅の跡です。1920(大正9)年7月に開業したこの駅は、サンフランシスコ航路の利用客の便宜を図るために設けられ、東京駅からの直通列車も運転されました。まさにこの場所が、日本の玄関となっていたのです。

東京駅から直通列車が運転された横浜港駅

写真:池口 英司

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横浜港駅の跡に残るプラットホームと線路。ホームは現役の時代よりも短縮され、屋根が新設されていますが、駅の場所は昔と変わりありません。東京駅からの直通列車はサンフランシスコ航路が出港する日に2往復が運転され、鶴見駅付近から貨物線を経由して横浜港駅までを走行。「ポートトレイン」の愛称で親しまれました。

東京駅から直通列車が運転された横浜港駅

写真:池口 英司

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ホーム脇の古びた小さな階段も、この駅の昔の姿を偲ばせてくれます。

<基本情報>
住所:横浜市中区新港1-1
アクセス:みなとみらい線日本大通り駅より徒歩7分

貨物輸送に働いた鉄道の跡も残る

貨物輸送に働いた鉄道の跡も残る

写真:池口 英司

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新港地区と山下公園を結んでいる道が山下臨港線プロムナードです。この道は1986(昭和61)年に廃止となった山下臨港線の廃止跡を再利用して作られたもので、その大部分が高架となっています。

鉄道が現役だった時代には、山下ふ頭への貨物列車が走った道は、今、海を見下ろす快適な遊歩道となっています。

貨物輸送に働いた鉄道の跡も残る

写真:池口 英司

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山下臨港線プロムナードが「象の鼻」と呼ばれる岸壁の近くを通過する場所には、昔の鉄道施設を保護ガラスの中に展示している施設があります。これが「鉄軌道と転車台」と呼ばれているスポットです。

貨物輸送に働いた鉄道の跡も残る

写真:池口 英司

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強化ガラスの下に保存されているのは転車台と古いレール。蒸気機関車が向きを変える時に使用する転車台と比べるとずいぶん小さいのですが、この転車台は貨車専用のもの。桟橋内や倉庫街に敷かれた線路で使用する貨車の向きを変える時に使用されたものです。主に明治時代から大正時代に使用された鉄道の遺産です。

<基本情報>
住所:横浜市中区新港1
アクセス:みなとみらい線日本大通り駅より徒歩5分

日本の鉄道の基礎を築いたイギリス人技師たち

日本の鉄道の基礎を築いたイギリス人技師たち

写真:池口 英司

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明治の鉄道は、主にイギリス人技師の指導によって建設されました。江戸時代までの日本には鉄道という大掛かりなインフラを備える交通機関を建設する技術がなかったためです。

写真のレリーフはJR桜木町駅構内に飾られている鉄道の初代技師長、エドモンド・モレルの姿。モレルは、イギリス流の建設技法にとらわれず、日本の風土に合った建設技法を積極的に採り入れるなど献身的な仕事をしましたが、肺を病み、日本の鉄道の開通を見ることをなく世を去りました。

日本の鉄道には今も、左側通行の原則など、幾つもの「イギリスの流儀」が残されています。

<基本情報>
住所:横浜市中区桜木町1丁目1
アクセス:JR桜木町駅下車

日本の鉄道の基礎を築いたイギリス人技師たち

写真:池口 英司

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横浜市中区山手の外国人墓地では、モレルを始め、モレルの遺志を受け継いで日本の鉄道の建設に携わったイギリス人技師など、多くのお雇い外国人が眠っています。祖国から遠く離れた地で世を去った彼らの胸に最後に宿っていたのは、仕事への達成感だったのでしょうか、それとも望郷の念だったのでしょうか。

明治期の文化、文明の先端があった横浜

このように横浜港の周辺には、今も鉄道の遺構が数多く残っています。1872(明治5)年に日本で始めての鉄道が新橋〜横浜間に開通して以来、横浜には数多くの鉄道が建設され、航路との連携が図られました。明治から昭和初期まで、鉄道と海運は時代の先端をゆく産業だったのです。今も残る鉄道の遺構には、先端の産業で働いた当時の人々の誇りが宿っているようにも思えます。港の周辺をゆっくり一日歩いてみれば、必ずそこでいくつもの発見と出会えることでしょう。

2019年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/01/06−2018/07/11 訪問

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