写真:いなもと かおり
地図を見るはじめて「対馬」の名前が歴史書に登場するのは、3世紀に魏国(現在の中国)で書かれた書物『魏志』倭人伝です。対馬はこの当時から小船で行き来し、日本本土や朝鮮半島などの大陸と交易を行っていました。
今から約1350年前、そんな対馬にもとんでもないビックニュースが伝えられました。633年、倭(日本)と百済の連合軍vs唐と新羅の連合軍が戦う「白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)」が起こり、日本が敗戦したという報告です。敵が攻めてくるかもしれない……これは一大事だ!と、負けた日本側は、自国防衛に乗り出します。その一つが667年に、対馬に築かれた「金田城(かなたのき)」なのです。
13世紀には、江戸時代まで対馬を支配した宗氏が台頭するようになります。この頃、元(モンゴル)から日本へ服属を求めてきましたが、鎌倉幕府は拒否。すると、元軍らが対馬の西海岸へと侵攻します。対馬の兵達は少数精鋭で懸命に戦いましたが、結果は敗戦しました。
毎年11月第2日曜日には、この戦で討ち死にした宗助国たちを慰霊するために、小茂田浜神社で大祭が行われています。
写真:いなもと かおり
地図を見る豊臣秀吉が日本を統べる頃になると、1592年・1597年と朝鮮へ出兵します。日本からはトータル16万人もの兵を動員した大戦だったわけですが、秀吉の死によって撤退しました。本陣が置かれた肥前名護屋城から、壱岐の勝本城、そして対馬に築かれた「清水山城」を経由し、現在の韓国・釜山へと繋がる……清水山城は重要な中継地点だったのです!
江戸時代になり、対馬藩が立藩されると朝鮮との関係修復に奔走しました。1607年に国交が回復してから250年間、対馬は日本と朝鮮を繋ぐ役割を担ったのです。
国境の対馬は、このように日本の最前線で他国との対外関係に巻き込まれ、影響されていきました。それでは、対馬に行ったら訪れたい3城と良好に遺構が残るお船江跡を見ていきましょう。
写真:いなもと かおり
地図を見る対馬空港から車で20分の場所に位置する金田城は、天守が誕生するよりもずっと前、667年に築かれた国防最前線の城です。浅茅湾(あそうわん)に突き出た半島の北端に築かれ、約2.2kmの城域を石塁が巡っています。
写真:いなもと かおり
地図を見る定番の見学ルートは、南門の石塁や南西部石塁、城山砲台跡を見学して城山山頂へと向かう「山頂コース」。標高276mの山頂からは島々が重なる大パノラマが広がります! また、山頂付近には明治時代に築かれた砲台跡もありますよ。ルートは石塁の上を歩くのではなく、整備された道を登っていくので山登りに慣れていない人でも大丈夫です!
足腰に自信のある方は山頂付近から結合ルートを通って、奥の城壁を見ながらぐるりと一周巡るコースもあります。しかし、急勾配の難所も多く、道が迷いやすい……。山を歩き慣れた方向けです。
写真:いなもと かおり
地図を見る山頂コースと反対側のルートは、東南隅石塁を見て、三ノ城戸、ビングシ門、二ノ城戸、一ノ城戸、大吉戸神社へと繋がる「石塁見学コース」です。古代の城に興味がない方でも大興奮すること間違いなしの城壁! なかでも三ノ城戸は、金田城内で最高の6.7mもあります。機械のない時代に、人の手によって積まれているのだからスゴイですね。写真は二ノ城戸。平成16年(2004)から修復作業が行われ整備されています。
金田城の時代に築かれた城は「古代山城」といい、谷を囲むように山の斜面に石塁や版築土塁を築く特徴があります。
<基本情報>
住所:長崎県対馬市美津島町黒瀬城山
電話番号:
・観光について…0920-52-1566((一社)対馬観光物産協会)
・史跡について…0920-54-2341(対馬市文化財課)
アクセス:対馬空港から車で約20分、または、厳原空港から車で約30分で登城口
写真:いなもと かおり
地図を見る対馬を治めていた宗氏の館が15世紀前半の内乱によって焼失したため、金石屋形を築きました。1665年にはその屋形を拡張し城郭として整備。大手口に櫓門や、多聞櫓を築き、「金石城」や「府城」と呼ばれるようになります。写真の大手櫓は1990年に復元されたもの! 当時の櫓門は大正期まで残っていたそうですが、売却されてしまいました。
写真:いなもと かおり
地図を見る2002年に発掘調査をもとに復元された旧金石城庭園は、通称「心字池」とも呼ばれ、国指定名勝にもなる見どころスポット! 藩主屋敷は、朝鮮通信使の接待に不都合であったという理由から、1678年に桟原城へと移ったのですが、その後も1690年から3年という期間をかけて旧金石城庭園は築庭され、朝鮮通信使を迎える施設の庭として活用されていきました。
<基本情報>
住所:長崎県対馬市厳原町今屋敷670-1
電話番号:
・観光について…0920-52-1566((一社)対馬観光物産協会)
・史跡について…0920-54-2341(対馬市文化財課)
アクセス:「観光情報館ふれあい処つしま」まで、対馬空港から車で約15分、厳原港からは車で約3分。観光情報館ふれあい処つしまより徒歩約10分
写真:いなもと かおり
地図を見る金石城の背後にある標高208mの清水山に築かれた清水山城は、1591年に宗家19代目・宗 義智(そう よしとし)と、肥後人吉の相良氏、筑後三池の高橋氏、筑後福島の筑紫氏が協力し築城されました。当時の建物は残っておりませんが、石垣が見どころです!
写真:いなもと かおり
地図を見る一の丸、二の丸、三の丸の3つの曲輪によって構成される総石垣の山城で、対馬の玄関口・厳原港を望むことができます。また、岩場の山を登るため、足元がしっかりとした靴が必要です!
写真:いなもと かおり
地図を見る清水山城は、東西500mに渡り竪石垣によって繋がれている特徴があります! 朝鮮出兵で豊臣軍が退却するとすぐに廃城となったため、その当時のままの姿を体感することができる貴重な城です。
<基本情報>
住所:長崎県対馬市厳原町西里
電話番号:
・観光について…0920-52-1566((一社)対馬観光物産協会)
・史跡について…0920-54-2341(対馬市文化財課)
アクセス:「観光情報館ふれあい処つしま」まで、対馬空港から車で約15分、厳原港からは車で約3分。観光情報館ふれあい処つしまより徒歩約15分で登城口
写真:いなもと かおり
地図を見る江戸時代に、今の大阪・博多・長崎・釜山等各方面へと航海していた対馬藩が築いた船着き場があります。1663年に築かれた当時は、4基の突堤(とってい)と5つの船渠(せんきょ)が設けられていましたが、そのうちの一部が埋め立てられてしまい、現在は4基の突堤と4つの船渠を見ることができます。
海に面した藩は、船を格納する船屋を設けていましたが、これほど良好に残っているお船江は珍しく、全国的に見てもトップクラスの保存の良さなのです。
<基本情報>
住所:長崎県対馬市厳原町久田740
電話番号:
・観光について…0920-52-1566((一社)対馬観光物産協会)
・史跡について…0920-54-2341(対馬市文化財課)
アクセス:対馬空港から車で25分、厳原港から車で約6分
対馬には20城近い城がありますが、金田城、金石城、清水山城の3城は対馬の歴史を語る上では欠かせない特に重要な史跡です。そして、壊されることなく良好な状態で残った対馬藩お船江跡も見逃せないスポットとなっています。
対馬空港や厳原港といった対馬の玄関口から、およそ30分圏内で到着できるのも魅力的! 点在する歴史の足跡を探して、対馬の歴史旅を楽しんでくださいね。
2019年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2023/12/11更新)
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