写真:吉川 なお
地図を見る林家は台湾北部の米と塩の豪商で、桃園大渓・淡水に基盤を置いていましたが、小作料の取り立ての必要に応じて板橋に進出。1847年より林本源園邸の造営に着手し、日本統治時代直前の1893年に完成しました。林家は当時、台湾最高の建築といわれたこの庭園に居住するとともに、商談の場や、官吏の接待など宴席の場所として、また憩いの場所として利用しました。面積約2万平方メートルの広大な敷地には、あちこちに趣きのある建築物が配置されています。
写真:吉川 なお
地図を見る入り口を入って一直線に歩くと、一番奥の突き当りにあるのが汲々書屋です。林家の子弟が勉強するための書斎で、蔵書を保管する場所でもありました。林家は教育を非常に重視する家風で、子弟の教育のために福建省から優秀な家庭教師を招いていました。建物前の四阿(あずまや)のこんもり盛り上がった屋根は、南洋建築の影響を受けているといわれています。
写真:吉川 なお
地図を見る香玉簃は庭園を広く眺められる場所に建てられていて、花が咲く季節に来訪客と花を愛で、一緒にお茶を楽しむ場所でした。豪商だった林家は、ここを商談の場としても使っていました。お茶を楽しみつつ商談するときもあれば、込み入った秘密の商談を行う際には、建物右手の小さな別室を利用していました。
写真:吉川 なお
地図を見る月波水榭は、ひし形の部屋を2つ組み合わせた建築で、回りに小さな池をめぐらせています。林家の女性が池で釣りをしたり、月夜にアヒルを泳がせて、波に揺れる水面の月を楽しんだ場所でした。風情のある暮らしぶりがしのばれますね。
来青閣は来客の宿舎として使われました。当時、2階からは遠くまで見渡せ、周りを取り囲む深い緑から「来青閣」という名前が付きました。入り口の前方に建てられた小さな四阿「開軒一笑亭」では主に戯曲が上演され、宿泊客を楽しませました。清末の初代台湾巡撫で、台湾の建設に尽力した劉銘伝も何度もここに泊まったそうです。
写真:吉川 なお
地図を見る園内の最大の面積を誇る定静堂は、四合院建築で、来客をもてなす宴会場として使われました。林家には上は台湾巡撫から地方の官吏、名士、教育者、商売の取引先と幅広い来客がありました。建物本体までには3つの門があり、最も身分の高い重要な客が来る際は3つを全開、それに次ぐ客の時は2つを開け、それよりも低いクラスでは1つと、訪れる客のランクによって開ける門の数を決めていました。身分の低い客は入ることさえかないませんでした。宴会は際は中庭にテーブルや椅子が置かれ、一度に100人が座れたそうです。
写真:吉川 なお
地図を見るこれらの建物の周辺には池や花壇、陸橋などが配置され、散策を楽しめる空間になっています。ガイドさんの話によると、休日は1日当たり1,000人の観光客が訪れるとのことですが、日本人はあまり知られておらず、穴場の観光地といえるでしょう。都会の喧騒を抜け出して、庭園のゆったりした雰囲気の中でリラックスするのにぴったりです。
行き方は都市交通システム(MRT)府中駅から徒歩10分。板橋駅からタクシーで5分、入園料は1人80台湾元です。
住所:新北市板橋区西門街9号
電話:+886-2−8787-1066
アクセス:MRT府中駅から徒歩10分
営業時間:9:00〜17:00(金曜日は19時まで延長)
2019年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
この記事を書いたナビゲーター
吉川 なお
台湾の台北市に住む専業主婦の吉川なおです。台湾生活はもう8年ですが、常に新しい発見のあるこの国が大好きです。在住者だからこそ知っている生情報やお薦めのレストランなど、台湾の旅がより思い出深いものになる…
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