マジカルミステリー怨霊ツアー in 京都 北野天満宮から下御霊神社へ

マジカルミステリー怨霊ツアー in 京都 北野天満宮から下御霊神社へ

更新日:2014/04/22 14:54

京都はどこまで行っても神社と寺院ばかり。それは千年に及ぶ怨霊たちのなせる業。怨霊ブームのそもそものはじまりとその仕掛け人、そして今を辿る旅に出かけましょう。

学問の神さま・北野天満宮

学問の神さま・北野天満宮
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学問の神様として受験生たちに大人気の北野天満宮は、太宰府天満宮と共に全国に4千余りある天満宮の総社です。
僕がこの地を訪れたときはまさに丁度受験期直前、お守りや絵馬を求める人たちの行列が続いていました。

この神社の神様は、なんと平安時代に実在した菅原道真公。
大変な努力家で文章博士となり右大臣にまでのぼりつめたのですが、ときの左大臣・藤原時平の讒言のため太宰府へ左遷させられ、その地で憤死します。ところが、その直後より都に落雷や天変地異が頻発し、彼をおとしめた時平以下の藤原家に変死者が続出したことから道真の神格化、すなわち天神さま信仰が始まったのです。
今でこそ道真のプラス面を強調した学問の神様ですが、そもそもは道真の祟りを鎮める鎮魂社としてスタートしたのです。

境内の参道には丑の歳、丑の日、丑の刻に生まれたという道真にちなんだ牛石が置かれ、伴氏社(ともうじしゃ)には道真の母が祀られています。その左手には5千坪の梅苑があり早春にはおよそ2千本の梅が一斉に花開き、かぐわしい香りを放ちます。

学問の神としての筆始祭は1月2日から4日。初天神は1月25日。直径5mの茅の輪をくぐる無病息災の夏越の神事は6月25日。
また、毎月の25日は天神さまの縁日、多くの露店が出てにぎわいます。

京都市上京区御前通今小路上ル馬喰町 TEL.075-461-0005

天神信仰のルーツ・文子天満宮

天神信仰のルーツ・文子天満宮
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道真事件にかこつけてはじまった怨霊ブーム。これには、れっきとした仕掛け人がありました。
東本願寺の東、間之町(あいのまち)通の文子天満宮。この境内に近年建てられたなんとも可憐な多治比文子(たじひのあやこ)さんこそが道真の怨霊ブームの火付け役です。

道真が大宰府で憤死したのちの天慶5(942)年に「われを北野の右近の馬場に祠を構えて祀れ」と、なぜか彼女に道真からの託宣がありましたが、「西京七条に住せし賤女(しずめ)」の文子は貧しくて社殿を建立することなどできず自宅に小祠を建てて道真公の霊をお祀りしました。文子天満宮のなれそめです。

「これは一大ブームになるぞ」とみてとった近江比良宮の禰宜・神良種(みわのよしたね)は、さらに自分の息子の太郎丸に天暦元(947)年、同じ託宣があったと言いふらし、文子と結託して北野朝日寺の最鎮に協力を依頼し現在の北野天満宮の地に社を建てることに成功します。
この仕掛け人たちは、いずれも比叡山の地主神・日枝神社に縁のある者たちですので何か匂いますね。

こちらの文子天満宮の方は、その後幾たびかの焼失を経て、大正7(1917)年に再建されたものです。
こじんまりした境内には道真公腰かけ石?!もあります。こうした心憎いジョークはいかにも京都人らしいですね。

下京区間之町通花屋町下ル天神町400 TEL.075-361-0996

道真の邸宅跡に建てられた菅大臣神社

道真の邸宅跡に建てられた菅大臣神社
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「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ」
道真が太宰府へ旅立つ日、屋敷を後にする時に詠んだと言われる有名な歌。その紅梅、白梅の咲き匂う広大な邸宅跡に建てられたのが菅大臣(かんだいじん)神社です。
道真をしたって太宰府まで一夜にして飛んでいったという「飛び梅伝説」はここから生まれました。西洞院通、高辻通、仏光寺通の三方からいわゆる天神さまの細道の参道が通じています。現在社域は随分狭くなりましたが、かっては一町四方あったと言われます。
仏光寺側の鳥居を出たすぐ先の路地裏に菅家(かんけ)屋敷跡とされる小さな社殿がありますが、こちらは道真の父・是善(これよし)を祀った紅梅殿です。

下京区仏光寺通新町西入る菅大臣町 TEL.075-351-6389

怨霊ブームのいきつくところ・下御霊神社

怨霊ブームのいきつくところ・下御霊神社
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菅原道真以前にも恨みをのんで死んだもの、非業の死を遂げた者はごまんといましたが、彼の死とその直後からはじまったさまざまな天変地異は、因果関係が誰の目からみても納得の行くものであったため、文子・良種の計らいはまさに摂関家の専横に不安を抱く当時の人々の心をしっかりととらえて、道真公は怨霊の権化として祀り上げられていきます。
そして、天満宮の怨霊鎮めのイベントが天皇家によって公認され祭礼化されるにつれ、事実無根の罪で死に追いやられた祟り神は道真公だけではないよとばかりにどんどん増え、しかも御霊(ごりょう)はんと親しみをこめて呼ばれるようになっていくのです。
すなわち、人間の横暴は雷や風雨で天が裁くという荒魂(あらたま)と、喜雨をもたらし豊作を約束する農業神としての和魂(にぎたま)の両義性をもった神として、怨霊神社は天満宮とともに爆発的なブームとなって全国にひろがっていきます。

その御霊神社のひとつが京都御苑の南にある下御霊神社。
本来は皇居の産土神として創建されたものですが、ここでは道真公にはじまり、伊予親王とその母・藤原吉子、早良親王、橘逸勢、吉備真備、文屋宮田麻呂、藤原広嗣と無念の死を遂げた怨霊は八神となり祀られています。

境内には、山崎闇齋の生身魂を祀る垂加社、歌聖柿本人麻呂を祀る柿本社などもあります。
怨霊たちはこうして明るく市民権を与えられ今日にいたっているのです。

上京区新烏丸通丸太町下ル信富町324 TEL.075-231-3530

おわりに

神社、寺院のひしめく京都を歩く旅は、ひとつのテーマでしぼるのが一番。
今回は菅原道真にはじまる怨霊ブームの成り立ちを辿るというテーマに沿って、JR京都駅のある八条から京都の中心部を北上し御苑の三条までの神社をご紹介しました。
道中には親鸞・聖徳太子にゆかりのある六角堂はじめ、マンションの1階が社務所と参道になっているユニークな造りの女人の厄除け祈願の市比売神社など、実にさまざまな神社仏閣が軒を連ねており、ゆっくり見学しながら歩くと半日余りかかります。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2013/09/14 訪問

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