坂本龍馬愛用の木刀を握りに行こう!高知県護国神社とその周辺

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坂本龍馬愛用の木刀を握りに行こう!高知県護国神社とその周辺

坂本龍馬愛用の木刀を握りに行こう!高知県護国神社とその周辺

更新日:2019/04/09 16:28

春野 公比呂のプロフィール写真 春野 公比呂 歴史研究家、郷土文筆家、郷土登山家

2019年4月3日、テレビ番組「世界の何だコレ!?ミステリー」で、高知県護国神社に伝わる坂本龍馬愛用の木刀が「秘宝」の如く紹介されました。ただ実際に訪れてみると、木刀を触ることや素振りすることもできるのです。歴史上、最も人気のある人物なだけに、ファンならずとも触れてみたいもの。
また、昔はその一帯が景勝地で、今でも奇岩や池に浮かぶ仏堂等を見ることができます。

社宝が目の前に

社宝が目の前に

写真:春野 公比呂

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高知市の五台山南西の麓に鎮座する高知県護国神社は、戊辰戦争戦死者を祀る目的で明治2年に創建されました。その後、幕末から太平洋戦争までの各種事変や戦いで戦死した者も次々と合祀されていき、英霊は4万柱にも達しています。その中の一人が坂本龍馬なのです。龍馬愛用の木刀を拝むにはまず、事前に予約を入れておき、ここに参るのが規則となっています。憧れのヒーローに手を合わせ、自分が今、ここに来たことを伝えましょう。

社宝が目の前に

写真:春野 公比呂

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神社の参拝を済ませると社務所に行きます。木刀は秘宝ではないものの、社宝であることに変わりはないため、敬虔な気持ちで臨んで下さい。社宝用の賽銭箱や木刀展示施設建設のための募金箱に喜捨すると、拝観に関する説明を受けます。
そしていよいよ、社宝を納めた木箱が開けられます。胸の高鳴りは最高潮。

社宝が目の前に

写真:春野 公比呂

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この木刀は龍馬が土佐在住時、脱藩するまで高知城下の日根野道場で使用していたもの。黒樫製で全長は普通の木刀よりはるかに長い134cm、重量は780gの直木刀。先端に多数の疵があることから、突きの練習もしていたことが分かります。

龍馬になるか?イエスかノーか!?

龍馬になるか?イエスかノーか!?

写真:春野 公比呂

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一通り観察すると手に持ち、龍馬の気持ちになって素振りをしてみましょう。握りの部分には龍馬による握り跡のへこみも残っているため、龍馬と「手を合わせる」こともできるのです。因みにソフトバンクの孫正義氏も2010年の龍馬の誕生日兼、命日である11月15日の慰霊祭時に拝観し、素振りしています。

龍馬になるか?イエスかノーか!?

写真:春野 公比呂

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社宝は多数ありますが、龍馬が加入していた土佐勤王党の首領、武市瑞山(半平太)の肖像画もあります。これは有名で、かつて坂本龍馬記念館にも展示されていました。明治6年生まれの日本画家、公文菊遷によるものです。

龍馬になるか?イエスかノーか!?

写真:春野 公比呂

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壁に掛かる社宝は、太平洋戦争のマレー進攻作戦に於いて、「マレーの虎」と呼ばれた山下泰文(ともゆき)陸軍大将の手紙です。英軍のパーシバル中将との停戦交渉時、テーブルを叩いて無条件降伏を求め、「イエスかノーか!?」と迫った際の記録映像はあまりにも有名。
神社境内には龍馬ら志士の名が刻字された南海忠烈碑その他、陸海軍関係の慰霊碑や顕彰碑もあるため、英霊のかつての志に想いを馳せてみましょう。

<高知県護国神社の基本情報>
住所:高知県高知市吸江213番地
電話番号:088-882-2760
アクセス:JR高知駅から車で約15分(無料駐車場完備)
※高知市中心街からとさでん交通の複数の路線バスあり。神社に一番近いバス停は「護国神社前」、次に近いのは「南吸江通」

龍馬が藩に武装を進言

龍馬が藩に武装を進言

写真:春野 公比呂

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かつて護国神社の西には泊船岸という入り江があり、「吸江(ぎゅうこう)十景」の一つに数えられていましたが、その南の岬、「法師ヶ鼻」も優れた景勝地でした。後者は昭和初期まで絵葉書になるほどの景観でしたが、昭和7年以降、道路拡張が続き、また、昭和40年代後期に防潮堤ができたせいで景観が損なわれてしまいました。それでも岬の岩の一部は残っており、往時を多少なりとも偲ぶことができます。

龍馬が藩に武装を進言

写真:春野 公比呂

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法師ヶ鼻のすぐ南には奇岩「鯨巌」も残っています。全長4.3mの鯨に似た岩ですが、目の前の浦戸湾には中世まで、実際に鯨が泳いでいました。

龍馬が藩に武装を進言

写真:春野 公比呂

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神社の東方、頭上に二本並んだ県道376号の坂本橋の内、東側の橋とその更に東、現在工事中の自動車専用道の橋(写真では橋脚部のみ)に挟まれた地には昔、半船楼という料亭がありました。ここに龍馬は暗殺される約2ヶ月前、慶応3年(1867)9月の帰国時、何度か訪れ、藩の重役と新式銃一千丁を藩に売却するための交渉を行っています。大政奉還が失敗に終わった時のことを考え、武装させようとしていたのです。

浦戸湾十景・八洲観音

浦戸湾十景・八洲観音

写真:春野 公比呂

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半船楼跡前を流れる下田川の南の堤防下にも川が流れており、二本の川が並行していますが、後者の川の西端は細長い八洲(はちす)池となっています。ここに琵琶湖の浮御堂を彷彿させる六角形の仏堂が橋を架けられ、浮かんでいます。これは「浦戸湾十景」の一つ、八洲観音の「六角堂」で、10代の頃、龍馬の本家、才谷屋の仕事を請け負っていた船大工の徒弟になったこともある小説家、田中貢太郎等、作家や文人たちが集い、談論風発の場として利用していました。

浦戸湾十景・八洲観音

写真:春野 公比呂

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六角堂へと続く橋はインスタ映えします。

浦戸湾十景・八洲観音

写真:春野 公比呂

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八洲観音は狸を祭る大膳神社と神仏習合しており、六角堂の中も中央に神鏡があり、脇侍のように弁財天と毘沙門天が神を守護しているかのようです。

ここは五台山麓。五台山と言えばよさこい節の純信・お馬を思い出す方も多いと思いますが、お馬の住居跡もここからほど近い場所にあります。詳しくは関連MEMOの記事『今蘇る土佐の高知の「よさこい物語」』を参照下さい。

<八洲観音の基本情報>
住所:高知県高知市五台山東孕
アクセス:護国神社と同路線のとさでん交通「三ツ石」バス停より徒歩2分ほど

社宝に触れない「手」はない

「世界の何だコレ!?ミステリー」で龍馬の木刀をご覧になった方は、とても一般人が触れられる代物ではない、と思ったかもしれません。しかし過去、全国誌で紹介されたこともあり、これまで何百人もの龍馬ファンが訪れ、皆、素振り体験をしています。貴重な社宝でありながら手に触れることができるのは、土佐では遍路に対する「お接待文化」が昔から根付いていたことにより、客人(まれびと)を広く受け入れて来たからかも知れません。

また、戦前の法師ヶ鼻の絵葉書には、帆傘船(帆が番傘の一回り大きな傘のようなものになっている船)も写っていますが、龍馬もよく浦戸湾を船で渡っていました。泊船海岸に上陸し、法師ヶ鼻を探勝したかも知れません。
八洲観音六角堂から池面に映る景色や五台山を望みながら、思いを巡らせてみるといいでしょう。

2019年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/02/27 訪問

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