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三重三階の層塔型となる福山城ですが、一般的には「松前城」として知られています。では、なぜ福山城なのかですが、慶長年間の築城のころ、付近は「福山台地」と呼ばれていたと記録が残されています。しかしながらその他にも説があり、背後の山を福山と呼んでいた等、現在ではこれが明確な根拠ということについては難しい状況となっています。
松前城という呼称は、松前家の初代藩主・松前慶広により慶長5年(1600年)から11年にかけて築城されたことから。当時、付近の住民は「松前城」と呼び、それが今でも使われていることになるのです。
昭和16年に旧国宝に指定されましたが、昭和24年に発生した火災で類焼の憂き目にあい、指定は取り消されています。その後、昭和35年に作られたのが現在の姿ですが、外観は忠実に再現されているのです。
福山城の外観を楽しむなら、お勧めは朝と夜。朝の場合、タイミングが良ければ靄の中の幻想的な福山城を見ることが出来るかも知れません。
そして夜はライトアップも行われています。せっかくの名城ですので、タイミングを合わせて夜の観光も楽しんでみてはいかがでしょうか。なお、ライトアップは日没から21:00となっています。
なお、城の遠景を楽しむために利用するのは、城から約300m離れた「道の駅 北前船 松前」の駐車場が便利です。朝、夜と楽しんでみましょう。
天守、松前城資料館への入場は、庭木の美しい正門からとなります。
堂々とした見事な門を通り、敷地内に入りましょう。
受付を済ませてから白い壁と天井の廊下を通り抜け、松前城資料館の見学となります。
資料館は地下の福山城縄張図、松前奉行所図の展示から始まり、1階には松前藩・松前神楽関係資料の展示、2階には松本家・アイヌ民族関係資料の展示と続き、3階は展望室となっていて、福山城の古城写真を楽しむコーナーが設置されています。
こちらは2階展示室の様子で、アイヌ民族関係資料の一部です。夷酋列像と題されていますが寛政元年(1789年)5月に、根室のアイヌの人々が和人から受けていた迫害や脅迫、圧政に対し決起した際の指導者12人となるのです。
城内を散策すると、本丸玄関を見学することが出来ます。この玄関は明治になると、松城小学校の一部として使われました。現在ある場所は不自然と感じられるかも知れませんが、ここは文化財として残すために移築された後です。
そしてこちらは、唯一の遺構である本丸御門から天守方向の様子です。本丸御門は重要文化財に指定されていますが、重厚さを感じることが出来るのではないでしょうか。
時代が幕末になると、福山城は榎本武揚をリーダーとする蝦夷共和国を夢見た旧幕府軍の勢力により、攻撃を受けることになります。明治元年(1868年)11月5日、元新選組副長の土方歳三以下約700人による攻撃では、わずか数時間で落城してしまうのです。
翌年になると土方歳三は函館で戦死し、榎本武揚は新政府軍に降伏します。これにより福山城は松前氏に戻ることになりますが、明治4年の廃藩置県によって城の所有は明治政府となります。その後明治8年には一部を除いて取り壊しとなったのです。観光の際には歴史の流れに思いを馳せながら、散策してみてはいかがでしょうか。
最後に、その他の北海道観光の案内です。記事に登場したアイヌ決起に関係する場所は根室、また土方歳三が戦死したのは函館で、機会を見つけて巡ってみたいところです。函館は有名観光地であることから見どころも多数となっており、それらは下記の関連MEMOにリンク設定していますので、ぜひご覧のうえ、旅行の参考としてみて下さい。
住所:北海道松前郡松前町字松城144
電話番号:0139-42-2275(松前町役場商工観光課)
アクセス:北海道新幹線「木古内」駅から函館バス「松前行き」で約1時間29分「松城」下車、徒歩約10分
2019年5月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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