写真:藪内 成基
地図を見る戦国時代に「独眼竜」として知られた大名・伊達政宗(だてまさむね)。江戸時代初期の慶長20年(1615)に、慶長遣欧使節団として支倉常長(はせくらつねなが)らをローマに派遣しました。支倉常長はローマ市公民権を授与されましたが、日本に帰国後は、江戸幕府による鎖国や禁教令によって不運の人生を送ることになりました。支倉常長や、日本で最初に殉教した26名のキリシタンや宣教師たちのために建てられた教会が、日本殉教者教会Chiesa dei Santi Martiri Giapponesi。1862年、チヴィタヴェッキアに建てられました。
写真:藪内 成基
地図を見る日本殉教者教会のみどころは、1950年代に日本画家・長谷川路可が祈るように描いたフレスコ画。支倉常長のほか、着物を着た聖母子(マリア)、や宣教師フランシスコ・ザビエルなどが描かれています。
<日本殉教者教会の基本情報>
住所:Viale della Vittoria, 39, 00053 Civitavecchia
電話番号:+39-0766-673917
アクセス:チヴィタヴェッキアCivitavecchia駅から徒歩約10分
写真:藪内 成基
地図を見る支倉常長像はなんと町なかにもあります。城壁が溶け込んだ町並みの中、古い城壁跡や中世の門Porta Livornoをたどりながら歩いていると、ルイジ・カラマッタ広場Piazza Luigi Calamattaにサムライ姿の支倉常長の像がたたずんでいます。
写真:藪内 成基
地図を見る遣欧使節団の上陸地チヴィタヴェッキア市と、出航地であった石巻市は姉妹都市条約を結んでいます。条約締結20周年を記して、1991年に建てられたのが支倉常長像です。
写真:藪内 成基
地図を見る支倉常長とともにチヴィタヴェッキアに名を刻んでいる人物が、ルネッサンス期を代表する芸術家ミケランジェロ。よく知られる彫刻でも絵画でもなく、ここでは城(要塞)です。ミケランジェロはフィレンツェ郊外で生まれ、フィレンツェを中心に芸術活動を行いました。しかし、フィレンツェにおける戦いが激しくなってくると、フィレンツェを守る要塞築城の責任者となったのでした。
写真:藪内 成基
地図を見るその後、フィレンツェからローマに逃れ、1535年にミケランジェロ要塞Forte Michelangeloを完成させました。海に突き出すように築かれたミケランジェロ要塞は、クルーズ船をにらみつけるかのようにそびえています。
チヴィタヴェッキアの中世の町並みは第二次世界大戦の空爆で破壊されてしまいましたが、ミケランジェロ要塞は今も姿を残っています。内部には入れませんが、外部からは見学可能です。
<ミケランジェロ要塞の基本情報>
住所:Calata Cesare Laurenti, 00053 Civitavecchia
アクセス:チヴィタヴェッキアCivitavecchia駅から徒歩約15分
写真:藪内 成基
地図を見るチヴィタヴェッキアはもともと、古代ローマ時代にトラヤヌス帝が設立した港として栄えました。現在は地中海クルーズの拠点として利用されています。ローマが寄港地する場合、チヴィタヴェッキアが寄港地となります。
写真:藪内 成基
地図を見るローマ市内へのエクスカーションツアーとは別に、チヴィタヴェッキアをゆっくり散策して、約400年前に同じように日本からたどり着いた支倉常長に思いを馳せつつ、日本との縁を感じてみてはいかがでしょうか。散策していると、黙々と船仕事に向き合う漁師さんにも出合えますし、巨大なクルーズ船と朽ち果てた城壁のコントラストが何ともたまりません。
写真:藪内 成基
地図を見るまた、ローマの中央駅であるテルミ二駅から鉄道で約1時間(4.6ユーロ)。ローマ観光と合わせたショートトリップにもおすすめです。
ローマ市街から1時間の鉄道旅で訪ねることができる、古代ローマ時代から港として栄えたチヴィタヴェッキア。日本とイタリアの縁が残り、日本人としてはぜひ訪ねてみたい港町です。おまけに、芸術家ミケランジェロが造った要塞が待ち構えていますよ。
日本殉教者教会やイタリア鉄道については、下記の関連MEMOをご参照ください。
2019年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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