写真:宮坂 大智
地図を見る金亀頭砲台があるのは、澎湖に文明が築かれてから今日に至るまで澎湖の玄関口として活躍している馬公港のすぐ近くの岬です。澎湖はアルファベットの「C」を左右反対にしたような形をしているため、Cの字の切れ込みの部分は港を作るのにぴったりでした。逆に言えば敵軍から狙われやすい場所でもあることから、この部分にはオランダ時代から第二次世界大戦の終戦にいたるまでの間、数多くの軍事要塞が建築されました。
金亀頭砲台は、現在の澎湖でもっとも賑やかな通りである「中正路」からわずか1キロの場所にあるのですが、軍事施設だっただけにその存在はひっそりと目立たず、今でも往年の時代を感じさせる佇まいを残しています。
写真:宮坂 大智
地図を見る馬公港から「中山路」を西に進み、台湾に現存する清朝最後の城門「順承門」をくぐって台湾最古の眷村(かつての日本軍の軍人村)を通り、岬に続く坂を登ると、金亀頭砲台に到着します。現代的な中正路からものの数分で清の時代から日本統治時代までタイムスリップすることができるのは、観光スポットがコンパクトにまとまっている澎湖ならではです。
金亀頭砲台の歴史は実に1886年にまでさかのぼります。この時期に、澎湖を台湾の防衛の要とすべく、金亀頭砲台をはじめとした合計4つの砲台のほか、今も一部だけですが現存している媽宮城の城壁の建造が決められました。金亀頭砲台は翌年の1887年に完成し、日本統治時代の増築を経て、2006年まで現役の軍事施設として活躍していました。
写真:宮坂 大智
地図を見る金亀頭砲台には7インチ、10インチ、12インチのアームストロング砲などが設置されており、澎湖の四大砲台のなかでも最も強力な砲台でした。施設内には、兵舎、砲台などの軍事施設が当時の姿を残しながら公開されており、日本時代の建築様式で建てられたインフォメーションセンターのなかには、金亀頭砲台の概要や歴史に関する資料が展示されています。
これらの建物には実際に入ることができますので、当時の兵士たちがどのような生活を送っていたのかを想像してみてはいかがでしょうか?
写真:宮坂 大智
地図を見るさて、こうした施設を見学できるだけでも興味深いのですが、金亀頭砲台でもっともオススメの場所は地上ではなく、なんと地下にあります! その正体は、全長155メートルにも及ぶ地下坑道「戦役秘境」です。戦役秘境は日本時代に掘られたもので、金亀頭砲台の施設内から海まで誰にも姿を見られずに移動することができる秘密の通路です。
地下坑道の途中にはいくつかの小部屋があり、澎湖の歴史に関する映像資料を見ることができます。なかにはトリックアートが描かれている部屋もあり、戦争の歴史をただ暗いものとして伝えるのではなく、より多くの人に関心を持ってもらえるようにしているところに、台湾人の明るい気質を感じることができます。
写真:宮坂 大智
地図を見るそして薄暗い坑道を通り抜けた先には広い海が! 第二次世界大戦末期の日本軍と連合軍の力の差は明確でしたが、日本軍はこのような坑道を各地に作ることで最後まで陣地を守ったと言われています。そして、この海岸線には更に秘密があります。1つは日本時代に建てられた水平基準点の石碑で、これは澎湖の満潮時の海面の高さの基準となっています。
もう1つは巨大な鎖です。これは敵軍の軍艦が港に入り込まないように、海そのものに鍵をかけるために使われていたものです。鎖は海岸線から海の中まで伸びており、鎖にはステンレス製の網がついていたため潜水艦も侵入できないようになっていました。
この鎖が最初に作られた年代は定かではありませんが、一説によると1キロ以上も離れた対岸の岬である蛇頭山まで伸びていたと言われています。潮が引いている時にしか見ることができないので、訪れる時間に注意する必要がありますが、見ることができればその鎖の大きさとスケールに驚くこと間違いなしです。金亀頭砲台は、澎湖に無数にある軍事遺跡のなかでも見どころが多く、かつアクセスしやすい場所にありますので、市内散策と合わせてぜひご覧になってください。
住所:澎湖縣馬公市呂光村10-2號 ※呂の正しい字は草かんむりに呂
電話番号:+886-6-926-2180
アクセス:中正路から徒歩約10分
入場料:無料 ※地下坑道のみ30元の入場料が必要
地下坑道の公開時間:11時、14時30分、16時の3回
2019年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2023/11/30更新)
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